ある日突然、空を失った
それは突然やってきた。
現代人類にとって空は自由の象徴だった。時には移動手段として、時には娯楽として、そして時には人類同士の争いの場として自由に利用してきた。
そして、それは当然のことであり、人類は空の上にある宇宙すらも次の支配地として見据えていた。これもまた、貪欲な生存本能を持つ人類にとっては当然のことであった。
高度1万メートルに生存する生物はおらず、気象上の危険地帯さえ避けていれば脅かすものは何もなかったのだ。
しかし、その常識はいとも簡単に覆される。
ある日、空の上には旅客機が飛び交い、遊覧飛行のヘリコプターが飛び交い、ある場所では軍用機が飛び交っていた。何の変哲もないありふれた日常。
ところが、あらゆるところで飛行し、地上と交信していたすべての航空機との交信が突如として途絶え始めた。最初はぽつり、ぽつりと交信できなくなっていき、地上管制官は機器の故障を疑った。何しろ、音声による交信ができなくなったものの、こちらから電波を発信してその反射をとらえるレーダーにはしっかりと機影が映っていたからである。
自分の使っているヘッドホンかマイクでも調子が悪いのだろうか。はじめはその程度の気持ちで予備と交換してみるが、状況は変化しない。それどころか、交信できない航空機は徐々に増加していき、そのスピードも段々と早くなっていた。
そして数十分後、奇妙な現象が発生した。レーダーには航空機が映っているのに、あらゆる呼びかけに全く反応しなくなった。当然、こちらから旋回の指示を出しても全く無視されてしまい、上空は完全に管制不能に陥った。中には自動操縦が働いているのか、規定のルートに従って飛行している機も存在したが、やはりそれとて呼びかけには全く応じなかった。
そして数時間後、最悪の事態が起き始めた。レーダーにははっきりと捉えられていた航空機の高度の数値がみるみる減少し始めた。そして、レーダー上から姿を消した。
ある程度、高度が低くなるとレーダーでは捉えられなくなるので墜落と同義ではないのだが、この特異な状況下ではそう判断せざるをえなかった。この時、レーダーから消失した最初の1機は不幸中の幸いというべきか海上だった。
だが、これで終わりではなかった。この国の上空には100を超える航空機が飛行しており、そのすべてと交信できなくなっているのだ。これらの機がたどる運命を知ったとき、管制室にいたすべての人間が絶望した。
全機墜落。そして現実になった。
それからはまさに地獄のような世界だった。次々とレーダーから航空機が消失し、その数分後には消失地点の近くで爆撃のような轟音を上げながら炎上させる。そんなことが100回以上も発生した。
大陸間を飛行中の機体はそのまま海上で行方不明となったが、陸上や空港付近を飛行中の機体が辿った運命は最悪だった。そして、この理解不能で理不尽な現象は世界各地で発生していた。
この日から、空は人類のものではなくなった。
ある国は何らかの他国による攻撃行為だと思い、無人航空機を探査目的で飛行させてみたが、結果は惨敗に終わった。ある国は大陸間弾道ミサイルを弾頭非搭載で飛行させてみたが、やはり途中で力を失ったかのように墜落する。ある国は慎重を期してヘリコプターを徐々に上昇させてみたが、やはり交信が途絶え墜落した。様々な国があらゆることを試してみたが、すべてに共通したのは、ただ被害が増えるだけということだった。
そして、あらゆる国は被害拡大を防止するために航空機の飛行を全面的に禁止した。名実ともに人類が空を失った瞬間だった。当然ながら、ただ指をくわえて空を見上げるだけではなく、様々な研究や対策が練られてはいたが、1週間、1か月、1年経っても空の飛行は禁じられた。
全ての人が目の前で起きていることが理解できなかった。理解できないがゆえに荒唐無稽な噂が出回るようになった。
空には”空喰い”が住んでおり、そいつらに全て喰われてしまう。
言い始めたのはネットの掲示板か、どこかの宗教団体か分からないが、この荒唐無稽な噂を人類は受け入れた。噂は受け入れられれば常識となる。その正体が明確であろうと不明であろうと全く関係がないのだ。
いつしか、空を飛ぶと空喰いに喰われると言われるようになった。
それから7年後。人類はただ空を見上げることしかできなくなった。いつしか抱かれていた空が自由という印象は全く存在しなくなった。
あらゆる文学で空は不自由の象徴として描かれるようになり、興味本位で空に手を出そうとするものは”空憑き”と呼ばれ迫害された。
それでも空を飛ぼうとする者が絶えなかったのは、きっと人類が空を飛ぶことを心のどこかで望んでいるからなのだろう。
これはそんな世界で生きるそんな人たちの物語。そして、これこそが空喰いの物語の始まり。正体不明で理不尽な空の無い世界で、再び空を取り戻そうとする人の物語。