五色清一郎 6 (最終話)
父は午後六時を過ぎた頃、漸く駐車場に現れた。仕事終わりというよりこれからまたどこかへ向かおうとしているかのような、苛立ちのある足取りだった。走ると不審に思われる。やや急ぎ足で父の乗った車に向かった。幸運なことに父は運転席で資料を片手に煙草を吸っていた。おかげで追いつくことができた。ドアガラスを二回ノックする。父は露骨に顔を顰め、こちらを睨んだ。僕の顔を見ても表情は変わらなかった。右手がイグニッションキーに近づいた。何、と訊いてきたので名を名乗った。整形をしたので顔が違うが確かに五式清一郎だと答えた。父の顔に狼狽はなかった。だが動きが止まった。それから知らんと言い捨て車を出そうと準備を始める。
「知り合いのルポライターが僕の記事を書きたいと言ってきた」
やっと父の顔に狼狽のようなものが見え始めた。厚顔とはこのような人を指すのだなとあらためて思った。しばらくの間、父は真っ直ぐ前を見つめ、微動だにしない。やがて追い払うかのように手の甲を向けひらひらと揺らした。この車だとばれる、と言った。運転席から出るのでそこをどけという意味だった。病院に車があるというと、早く言えと不機嫌に叱責した。
近くの交差点まで徒歩で向かうからそこで俺を拾えという指示に従った。父はタクシーにでも乗り込むかのように後部座席のドアを開けようとした。
「後ろだと話ができない」そう言ってドアロックを外さずにいると、乱暴に助手席のドアを開け、助手席のバネを軋ませる。ウインカーを出して車線に戻ると、あまり時間はとれないぞ、と父は釘を刺す。町の中心地を離れ、別荘地の方へと向かった。しばらくの間、無言で運転を続ける。買ったのか、と唐突に父は訊いてきた。レンタル、と答えると再び沈黙が降りた。父が時折僕の横顔を見るのが分かった。頬に貼った絆創膏を気にしていると思った。いくら欲しいんだ、と父は言った。新しい戸籍も俺が用意した、お前は馬鹿なことをしてふいにしたが、あいつらの言う通りにしていれば人並みの生活はできたんだ、と早口でまくし立てた。
「一緒にドライブしたかっただけさ」
父は懐に手を入れ煙草を取り出す。火を点け大きく煙を吸い込んだ。深呼吸するように煙を吐き出した。
「色んな所で隠し通してきたけど、たぶん、正気でいられる時間はもう残り少ないと思うんだ。理性を失くしたら、もう自分の人生に責任がもてなくなる。僕は身近にいる何人かの女の子を救ったらしい。自覚がないからあまり意味がないんだけど。でも最期には自分の人生を救いたいと思ってね」
橋が見えてきた。歩道が片側にしかなく、反対車線には脆弱な柵があり、その真下を少し過ぎた川原で僕は篠崎陽名莉に刺された。傷跡はまだある。彼女の妄想はともかく、その願望は痛いほどよく分かる。鼓動を同じくするようなその願望の痛みがもしかしたら僕の記憶を取り戻した要因かもしれない。
「父さん、僕はあなたについてどう考えていいのか分からない」
橋の上に差し掛かり、アクセルを踏み込む。ハンドルを右に切り、反対車線に突っ込んだ。エアバッグは作動不良にしておいたし、シートベルトは根元の方で一度切ってホッチキスで繋げただけだ。柵にぶつかる衝撃のあと、全身に騒音を浴びた。そして、静かなひと時がおとずれた。
「大丈夫。父親の方は花崗岩の上で死んでいます。完全に頭が割れています。柵が思ったより丈夫だったみたいですね。フロントガラスに突っ込んだ二人は空中に投げ出され、そのままここに落ちたのです。車も少し遅れて落ちました。これで原発施設が建設されることはなくなりました。このタイミングで死んでもらわないと他の者が引き継いでしまう」ヒモロギノキミは僕の耳元で囁いた。「五式ももうじき事切れます」
そうか、と答えたつもりだが相手に聞こえたかどうかは分からない。
「これから五式は確定しない時間の中で永遠に生きるのです。終わらない時の中で失ったものを取り戻してください。私があなたにできる精一杯の報いです」
それはどんな拷問だよ。僕の顔は笑ったはずだが、やっと動いた右手で確認するも顎のある位置には何もない。
「そこには過去の香月がいます。どうか彼女を救ってください。そうしないと彼女は堕ちていってしまいます。特別なことをする必要はありません。買い食いしてデートして痴話喧嘩をすればいい。彼女を退屈させないように、色んなあなたをみせてあげて。そして、神上げのあとの、現在の彼女もそこを彷徨っているはずです。永遠の中でいつかその香月に出会えることもあるでしょう」
ヒモロギノキミは立ち上がって僕を見下ろした。春の太陽が彼女のすぐ後ろにあった。風が吹いてスカートが靡いた。ああ、今日はパンツを履いているんだな。同時に桜の白い花びらが、空を分解するように埋め尽くした。
おしまい。
「千年少女」を読んでいただきありがとうございました。
この作品を書き上げるのに五年かかってしまいました。
そのせいかキャラクター達に思い入れがあります。
読者の皆様に追体験していただけるのが彼/彼女たちにとっての最高の報いであると思います。
拙い作品ではありますが、ここまでご同行いただき本当にありがとうございました。
近々、他の作品もアップしたいと考えていますので、もしよろしかったらまた読んでくださると嬉しいです。
感想・評価もお待ちしております。
多少辛口でもかまいません。
次作への課題として参考にさせていただきます。
長沢月花




