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千年少女  作者: 長沢紅音
五色清一郎
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五色清一郎 4


 車で廃墟の敷地に乗り入れるとヒモロギノキミは運転させろとせがんできた。助手席からナビゲートするも夢中で耳に入らないのか全く聞く気がないのか彼女は好き放題に車を走らせる。公道に出ない約束を取り付けておかなかったならば死人がでた可能性がある。バンパーと運転席側のドアにへこみができた。下車して非難の目を向けると、意外と丈夫だなとヒモロギノキミはこともなげに答える。少しだけ心配になった。


 運転に飽きると今度はドライブをせがむ。ここには娯楽がありません、と彼女は言った。


「納屋に無線機があったけど」話を逸らそうと思いつきを口にした。


「それでどうやって遊べと? 今回は使う必要がありません」


 退屈しのぎの地味な嫌がらせに興じられるよりはと言われるままに再び車を走らせた。


 陽が沈み始めた国道を眺める助手席のヒモロギノキミはさぞや浮かれているのかと思いきや、真面目くさった顔つきで淡々と道を指示していく姿にはどこか悲壮感がある。浮かれる姿を想像する方が間違っていた。道なりに進むうちに彼女は小さく、停めてと呟いた。車を降り、道端に並んで立つ。そこにはかつて、僕の家があった。


「放火されたそうだ」犯罪者の家はときにそのような応報を受ける。彼女がなぜ僕の実家のあった場所を知っていたのかは分からない。「帰る家があるなら早く帰った方がいい。なくなるよりはましだ」


「私は家出娘ではありません」


「へえ」


 雑草が生い茂り、葉の間から燃え残った家の土台がみえる。土台が残っているのなら更地とは言わないのだろうか。法律上の土地の所有者云々の話は全く分からない、興味がない。たくましく茂る草を憎らしく思った。


 いきましょう、とヒモロギノキミは後部座席に乗り込んだ。運転席からバックミラーで表情を確認すると「よし、出せ」と言い放つ。


「五式が昼間に行った場所へもう一度」


「もう少し楽しい場所の方がいいんじゃないか」


「ドライブとは過程を楽しむものだと思います」


 その割にヒモロギノキミの表情は浮かない。気付かれないように何度もため息をついたのを知っている。沈黙に耐えられずラジオをつけるとジャニス・ジョプリンが「ミー・アンド・ボビーマギー」を歌っていた。それからスモール・フェイセス、ボビー・ウーマック、ZZトップとつづいた。古い洋楽を聴いているうちに陽は落ちた。万が一、昼間に会った家人に見咎められるおそれから可能な限り遠回りして夜になるのを待った。ヒモロギノキミは文句を言わず、レーナード・スキャナードの「スィート・ホーム・アラバマ」に合わせて指先でリズムをとっていた。


 再び父の家の前にいくと先客があった。昼間に僕が車を停めた位置に白いライトバンがある。その真後ろでブレーキを踏む。


「ここでいいか」


 降りて、とヒモロギノキミは指示する。よく分からないが言うことに従った。すると、ライトバンから数人の男が降りてきて周囲を取り囲んだ。車を背にした僕の前に一人、左右に二人ずつ、見張りらしき人物がライトバンの方で周囲をうかがっている。全員目出し帽を被っていた。


 目前の男は僕の髪の毛を掴んで地面に組み伏せた。最初に目の前の男が顔面めがけて踏みつけてきたのは分かった。後は四方八方から繰り出される痛みに耐えて両手で頭を抱え体を丸めることしかできなかった。途中から左耳が聞こえなくなった。鼓膜が破れたのかもしれない。襲ってきた男たちは特に脅しの言葉をかけるわけでもなく、淡々と暴力をふるった。右耳に荒い息遣いが聞こえ出した頃、突然暴力は止んだ。


 朦朧とした意識のまま不意打ちで再び痛めつけられるかもしれないとびくつきながら恐る恐る目を開いた。街灯の下にあったライトバンは消え、背後からヒモロギノキミが僕を見下ろしていた。


「グロすぎて気分が悪いです」とタオルを差し出してくる。「まずは血を拭ってください」




 町の噂から鑑みるに、父の家には嫌がらせの輩が何度も訪れ、対策として自警団を雇ったのであろう。昼間、家人に目撃されたのも手伝い、再び現れた僕はかくして勘違いから私刑を受けたのである。


「そうなることを知っていたのか?」


 廃墟に戻り、居間で手当てをしてくれるヒモロギノキミに訊いた。


「こめかみが派手に裂けています」


 萌え、と小さな声で付け加えるのを確かに聞いた。


 怪訝な顔を浮かべていたのだろう。ヒモロギノキミは喜色を抑え、いつもの取り澄ました表情に戻り、冗談ですと言った。


「隠れていたのか」


「後部座席から見ていました」


「よくも気付かれなかったものだ。まあ、目出し帽って視界が悪いしな」


 ヒモロギノキミは慣れた仕草で包帯を僕の頭に巻きつける。とてつもなく年季の入った救急箱には意外なほど真新しい薬品の数々が詰まっていた。こんな物が廃屋の中にあること自体が不思議ではあったが、ヒモロギノキミの吐息が頬にかかることのほうに意識が向いた。湿った息は夏の朝の草原のような匂いがした。


「それで、どうするつもりですか」


「何の話だ?」と惚けてみたものの、内心の焦りは隠せない。


 ヒモロギノキミは処置が終わったにもかかわらず、至近距離に顔を近づけたまま、じっとこちらの顔を凝視している。左のまなじりに泣き黒子のある彼女の目は、アイラインをひいたかのようにうっすらと黒ずみ、虹彩は奥深い洞のようであった。洞は遠い過去に繋がり、やがて分岐し、地底湖に消える。彼女はその一番深いところにある湖岸で息を潜め、堕ちてくるものを待ち構える。


「晩御飯です」


 空想がさめ、脱力して後ろに倒れる。軽いジェスチャーのつもりであったが、振動が傷に響いた。右腕が痺れて力が入らない。


「考え直さないとな」


「エビフライは中止ですか。せっかく材料も揃えてあるのに。エビの殻剥きやわたぬきくらいなら手伝えますよ」


 ヒモロギノキミは指示通りに動き、意外に器用な包丁さばきを見せた。揚げている最中に小さな歓声をあげたり、跳ねた油に怖がったりする様に気分が挫けてきた。惜しくなってきたのだ。


「いいんですよ」と彼女は後ろを見ずに言った。


 何も答えずにいると彼女は鼻歌を歌い出した。ビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」のメロディだった。車の中で聴いたメロディを覚えていたのだろう。


 衣が剥げたり付きすぎていたりしたものの、出来上がりはそれなりに良かった。ヒモロギノキミはご飯をお代わりした。僕は三杯食べた。 



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