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千年少女  作者: 長沢紅音
奥野祥子
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奥野祥子 15


 サイレンがすぐ近くで聞こえる。八重樫エリアナは近衛三霧の側に座り、一見介抱しているように見えた。未だ意識のある彼に何事かを囁いていたのを奥野祥子は知っている。




 近衛三霧の腹に短刀が刺さった経緯については河川敷で遊んでいたときの事故ということを警察に話したが信用されたとは言いがたかった。だが、当人である近衛三霧の意識が戻ったときに同じ証言が得られたことで刑事事件とはならずに済んだ。


 奥野祥子はそのときの様子を知らない。証言者は少ない方がいいということで八重樫エリアナと篠崎陽名莉が現場に残り、シナモンと共に現場を去った奥野祥子は後にその経緯を篠崎陽名莉から伝え聞いたのだ。


 


 現場を去ってすぐに”シナモンを一晩預かってほしい”という八重樫エリアナからのメールを受け取り篠崎陽名莉の家に連れ帰ったものの、あらゆることに難癖をつける小さな暴君に奥野祥子は辟易した。


「貴様は本当に何もできんのだな」とシナモンは縁側で夜空を見上げながら言った。


 料理の才能がない自分でも素麺ならば茹でるだけだからと夕飯に用意したのだが、一口食べるなり「芯がある」とそれ以上口にしようとしないシナモンのために出前を頼んだ。


「貴様は篠崎香月の死ぬ瞬間に立ち会ったのだな」


 曖昧に頷く奥野祥子の顔を凝視し、シナモンは続けた。


「兄の死を願っていたとも聞いている」


「それは」と弁明しようとするが言葉は続かなかった。隣に座りつつも顔を向けられずにいた。


 これはレオナから聞いたことだから我の意見ではないのだが、と断ってからシナモンは続けた。


「貴様は篠崎香月を救えなかったことを悔いていた。何もできなかった自分を責め続けた。だから今一度同じような場面に出会い、やり直したいと望んだ。無能な自分を肯定するために。誰か身近な者が死の瀬戸際にある際に、颯爽と登場した貴様がその誰かを救う。そうすることで貴様の心的外傷は昇華される。


 貴様は映画を作りたいと望んでいたが、映画ごときでは人は救えない、そう頭の隅で考え続け、やがて情熱を失った。それでも行動する理由を映画に求めた。心的外傷と向き合うことができなかったからだ。情熱を取り戻すためとかなんとか行動するさいの口実を作った。本当はただ、誰かを物理的に救いたかっただけ。だからやり直す必要があった」


「それが本当だとして、どうして兄の死を願うことに繋がるのだい? まるで逆の願望じゃないか」と自嘲気味に奥野祥子は呟いた。裸足の我が足が闇に紛れてひどく汚れたものにみえた。


「貴様が兄の死を望んでいるとレオナが嘘の憶測を言ったことは許してやってほしい。奴は無自覚な貴様を意図的に混乱させた。死に際は望んでも実際に死ぬことは望んでいないのにな。レオナは勘が良い。相手の心の奥底にある僅かな願望を見抜き、言葉巧みに増幅させる。だから本当の意味では全くの出鱈目ではないのだが、そこに作為があった。だが、もしも本当の貴様の願望を言ったのなら、貴様は自分の問題に折り合いがついてしまう。そうすると貴様は誰も救えなくなってしまうのだ」


「それは別の時間で体験済みのことかい」


「レオナが想像し、考えて計画したことだ」


「化身の僕は優秀なのだな」


 シナモンは首をかしげ、腕を組み、視線を斜め上に上げた。夢から覚めたような顔つきである。


「よく考えたらそんなはずがない。我がレオナから聞いた話は後付の可能性がある。たぶん、貴様を殺人願望者に仕立て上げたのはただの思いつきだ。勘が良いくせに、それをいけずなことにしか役に立てない」深く頷いて、納得してから言った。「奴はポンコツだからな」


 玄関から呼び鈴が聞こえ奥野祥子は出前の品を受け取りにいった。金を払い戻るまでに三度深呼吸をした。


「大丈夫ですかね」と芯の残る素麺を啜りながら奥野祥子は呟いた。警察にいる二人を案じての独り言だった。


「心配いらん」とシナモンは大盛りのカツ丼を口いっぱいに頬張りながら答えた。


「ちなみに事情聴取でカツ丼が出るのは刑事ドラマだけの話だがな」と奥野祥子は意地悪な気持ちで言った。


 そうなのか? とシナモンは心底驚いた様子で言った。


 八重樫エリアナの状況と同じ気分を味わおうとしてカツ丼を頼んだらしいと奥野祥子は分析して、それから笑い出した。


「貴様は近衛、いや五色清一郎を救った。それは篠崎香月の願いを叶えたということだ」箸を置き、真顔でシナモンは言った。「貴様は本当の意味で、篠崎香月を救ったのだ。誇っていい」


 奥野祥子はそのまま横様に倒れこみ、シナモンから顔を背けて笑い続けるふりをした。床板に涙と鼻水の跡が残らないように落ちたそばから上腕で拭いつづけた。 





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