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千年少女  作者: 長沢紅音
奥野祥子
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奥野祥子 13


 些細な口論が発展し、篠崎陽名莉は浴衣を着て先に花火大会へと向かってしまった。奥野祥子は、はじめのうちこそむくれていたものの、相手の態度に解せないものを感じ、そして以前に八重樫エリアナに尾行してもらったときに若い男と会っていたという報告を受けたことを思い出し、半ば溜飲が下がるのを感じた。


 逢引きか? ならばはじめから花火大会のことなぞ私に話さなければよかろうに。そういえば先ほどの口論にしても一方的に難癖をつけられた形だ。予期せぬ形で誘いがあったのかもしれない。


 意趣返しとばかりに篠崎陽名莉の自室に侵入することを思いついた。この手の思いつきは冷静さを取り戻す前に実行すべきである。感情を理由にすれば、発覚したあとでも多少の責任転嫁ができるからである。


 階段を上る際に足音を忍ばせてしまうのは意味のないことであった。篠崎陽名莉は、今頃はバスの中である。意趣返しを終えたら一本遅いバスで追いかけるつもりであった。八重樫エリアナたちと共ににやけ面の篠崎陽名莉を尾行して楽しむことにしよう。


 むくれてはいたが、嫌悪の情はひとかけらもない。今は好奇心の方が勝っている。


 襖を静かに滑らせる。整頓された和室に、そぐわない二段ベッド。箪笥の上にはこまごまとした小物が陳列された、思春期を迎えた女の子にありがちなアンバランスな部屋であった。


 そして、無数の鏡——、大小様々な鏡があらゆる角度で部屋の内部を映している。浴室から外したであろう鏡に、等身大の姿見、小さな手鏡までが壁に立てかけられ、内部にいる人物を四方八方から反射している。その合間にフォトスタンドに入れた篠崎陽名莉と香月の写真が覗いている。それぞれを写したピンナップがカラーコピーで拡大され、さながらポスターのように壁に天井に貼り付けられ、おそらく篠崎陽名莉本人が部屋の中央に立っただけで、合わせ鏡の効果も加えれば千人の篠崎陽名莉/香月が存在するようになるだろう。遊園地にあるミラーハウスのようでもあったが、間隙から覗くいくつもの篠崎姉妹の多彩な表情が鏡の持つ同時間性を否定し、回り燈篭の如き様を形作っている。いくつもの時間がそこにはあった。


「な」と声が出そうになり、奥野祥子は慌てて口を塞いだ。音声までもが反射され山彦のように部屋に反響してしまうような気がしたからだ。


「自分大好きか」と先ほどの譫妄を払拭するためにあえて声に出して言ってみたが、奥野祥子自身全く信じていない物言いであった。篠崎陽名莉が好きなのは自分自身のことではない。


 震える手で襖を完全に押し開き、中に入る。性格的には正反対の二人であったが、平面に納まるとそこに確かな違いを見出すことは難しい。二人同時に写った写真の中でよく笑っているのが香月、わずかに引き攣ったような笑いが陽名莉であることは分かるが、一人で写っているのがどちらなのか分からない。


「いや」奥野祥子は胡坐座になって部屋中の鏡を見渡して言った。「全部香月だ」


 篠崎陽名莉は恐れていた。時の流れを。忘れていくことを。だから、香月の写真を貼り、一緒の思い出の写真も交え、生身で動く自分の姿を鏡で確認し、それを香月の姿とあえて誤認する。奥野祥子はそこまで推理してから、わずかに違和感を覚える。


 立ち上がって机の前に向かい、そこに香月と陽名莉以外の人物が写ったフォトスタンドを発見した。幼い姉妹の両脇に気難しい顔をした男と柔和な表情を浮かべた女がいた。亡くなった両親なのだろう。


 奥野祥子は恥じ入った。自分という枠組みが次の段階へと向かうために、密かに兄の死を願っていたことに。創作家でありつづけるために慈愛の魂を売り渡していたことに。


 兄のアドバイスを求めていたという建前は、学校に戻れば空虚な嘘と成り果てる。兄の独自の理論と思っていたものが教育の場では当たり前の基礎理論に過ぎなかったからである。加えて兄から精神的に学ぶところは少ない。嫌悪感を抱いていたということはないが、すでに兄の役割は奥野祥子にとってはないに等しい。ならばその存在が消えることで何らかの刺激を自分に与えるくらしか存在意義はないではないか。


「悪魔か、私は」


 無愛想で気難しい篠崎陽名莉は亡くなった家族を思い続け、そこそこに人当たりがよく適度に浮ついた自分が家族のひとりを冥府の王に売り渡そうとしている。コントラストが自覚を促し、自嘲気味に呟いた。


 机の上の雑多な様子は家の中の過度な整頓に比べると意外性を感じさせる。案外、こちらが篠崎陽名莉本来の姿なのかもしれないと奥野祥子は思った。


 自分のことはおろそかにしがちな依存性の高い人格。だが、寄りかかる相手はすでにこの世にはいない。曖昧な予感を胸に抱く。肌がざわついて、机の引き出しや本棚を無心に漁った。


 アルバムには部屋に拡大されて飾られたいくつかの写真のオリジナルのほかに、家族との写真や隣家の犬の写真、散歩の途中で目に付いたのであろう珍妙な看板や蟻の隊列、夕暮れの月など、雑多な風景の写真もあった。ファミレスで皆と撮った写真が最後のページにあった。


「懐かしいな」


 幼い自分の姿——、といっても数年しか経ていないが、自信満々に背伸びしている姿に恥辱に似たうずきを感じるものの、香月に陽名莉、そして五式清一郎たちの邪気のない顔つきをみていると腹の底から緊張がほぐれていくような感覚がした。特に陽名莉は今と比べて随分と締まりがない表情をしている。


 無理もない、と呟いた拍子に頁の隙間から一枚の写真が滑り落ちた。全頁を眺めたつもりであったが、見落としていたのか、あるいはアルバムのカバーとの間に挟まっていたのか定かではないが、まだ見ぬ一枚であった。


 それを見定めて奥野祥子は一瞬混乱する。遠くから勝手に写したと思われる近衛三霧の姿は制服を着込んで俯き加減に路上を歩いている。冬服の制服から推察するに、撮られたのはここ最近のことではない。


 知っていたのか、という驚きならば不安はない。奥野祥子の動悸はもっと別なことに反応していた。


「なんだ……、私は何を焦っているのだ?」


 急いで停留所に向かうも、バスが来るのは三十分後であった。むやみやたらに走り出して乗りそこねでもしたら元も子もないのは分かっていた。それでも無意味と知りつつ「次のバス亭まで」と繰言を言いつつ駆け出して、危うく停留所間でバスに追いつかれそうになった。運転手は慣れたものとばかりに機転を利かせ、進行方向に向かって後ろを振り返りつつ必死な形相で走る少女の側で停車し、「そんな走らんでも花火は逃げねえよ」と乗せてくれた。乗客の何人かに笑われた。珍事が逆に作用し冷静になった。マナー違反と知りつつも座席の裏に隠れて電話をかけた。篠崎陽名莉の携帯は、電源が入っていないか電波の届かないところにいるため掛かりませんというアナウンスを告げている。


 予想はしていたが思わず舌打ちが漏れる。その時に対面の座席に並んだ老婆から「電話は駄目だよ」と窘められ、謝罪を述べてから顔を上げ窓の外を眺める。夕映えの空を黒い木立が蔽いつくしていく。山間に入ったのだ。車体は前後に傾いで蛇行する。めまいを起こしそうな車道も昼間ならさほどでもない。車窓からみえる風景が動きを予測させるからだ。夜間ならば車内灯のおかげでアトラクションのような雰囲気がある。昼と夜のあわい——、車内灯を点けないこの時間が一番不気味な乗り心地になるのだった。


 八重樫エリアナへとメールを送ると「あの女ならまだ来ていない」との返信が届く。つづけて近衛三霧の所在も確かめようとするも、そこで電波は届かなくなった。諦めて車内を確認すると結構な人数が乗り込んでいた。当然か、と納得しかけたところで急激に眠気に襲われた。



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