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千年少女  作者: 長沢紅音
奥野祥子
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奥野祥子 11


「これは何だ」


「お前の兄である」と八重樫エリアナは呟いた。


 案内された先は、廃校となった分校校舎の中であった。篠崎陽名莉の家から程近い場所にある、神社を頂に構えた山の麓には不可解な野球の特訓のあった次の日に訪れた。


「やはり居所を知っていたのだな」


「生きて発見できたのは僥倖だと思え。他の時間では餓死していることがほとんどだ」


 たださえ細い体躯がさらに削られていた。黒ずんだ皮膚に無精ひげが覆い、落ち窪んだ眼窩の奥から小さな光を放っている。仰臥したまま顔を横に向け、饐えた臭いの息を吐いた。奥野祥子は持参したペットボトルからミネラルウォーターを飲ませた。飲ませた先からこぼれるので、とりあえず仰向けにするのが先であると思いついたが、かさかさに乾いて垢にまみれた皮膚に触りたくなかった。


 救急車は呼んである、と八重樫エリアナは告げて表に出た。救急隊の案内役になったのだろう。死にかけの男になにを話せばいいのだろうか、奥野祥子はギャラリーのいない状況下では大げさに慌てるふりをしなくても良いと悟り、かといって冷静に話すべき言葉も持ち得なかった。


「兄貴、祥子だ」といったものの、相手は視線を少し移動させただけだった。


「カリントウみたいな腕だな」


 救急車には同行しなかった。兄が病院へと搬送される様を校庭の隅から見送り、側に立つ八重樫エリアナの横顔を睨みつけるふりをした。


「早い段階で救出しようとすると、後に服毒自殺をする。確実に死ぬ。適度に弱った頃がいいんだ。臨死を経験することで、リセットされる」


 別の時間で、お前が死んだ直後に起きるイベントだ、と八重樫エリアナは付け加えた。「彼もまた記憶を失くしている。笹塚沙織に処置させたのだろうと私は考えている。不思議なのは、記憶を失ってなお、過去の痛みを継続しているかのように自害することだ。まるで五色清一郎のように」


「五式君はともかく、あいつには自殺するほどの凄惨な過去はないぞ」


「篠崎陽名莉と私は相性が悪い。なぜだと思う?」


 話の脈絡を欠いた言葉に唖然とするも、奥野祥子は思うまま答えた。


「互いにプライドが高そうだからなあ」理由のよく分からない取っ組み合いもしているし。


「あれは目的のためなら他を犠牲にするのも厭わない。私と同じように」八重樫エリアナは校庭を囲むフェンスにもたれ、口を動かし、声にならない発声をした後に言った。「お前の兄は篠崎陽名莉に振られたのだ」




 家族として面会を求めると親に里帰りが知られてしまう。八重樫エリアナを伴い、友人と偽って面会を試みたが未だ衰弱から立ち直っていない兄と顔を合わせることはできなかった。


「じきに会える」と待合室のソファに気だるげに座る八重樫エリアナは言った。「断言はできないが、自殺もしないだろう」


 それは時間軸を跳躍できる者からの発言かと奥野祥子が問うと、こともなげに「勘だ」と八重樫エリアナは言い捨てた。組んだ足先をぶらぶらと揺らして、手すりに腕をあずけ、あさっての方角に顔を向けている。


「ナプキン派かい? 私もそろそろだから持っているぞ」「違う」「上級者のグッズを使っているのだな、尊敬の眼差しを向けよう」「あの日でもなければ、機嫌が悪いわけでもない。きらきらした目を向けるな」


 じゃあ、と言いかけて奥野祥子は唇を噛む。


「お前はなぜそんなに私に気を使っている? いや、違うな」


 なにを誤魔化している? と八重樫エリアナは目を細めて問いかける。


 いつか篠崎陽名莉と共に訪れた病院は、建物の老朽化が進んでいる。壁に小さなひび割れをみた。


「捜していたのだろう」八重樫エリアナは訊いた。


「まあ、そうかな」


「篠崎陽名莉には連絡したのか?」


「迷っている」


「そうか」


 私はなにを感じているのだろう、と奥野祥子は自問する。八重樫エリアナの弁から推測すると、今の私の挙動はおかしいらしい。記憶を失った兄。ゾンビのように干からびた兄。どちらも求めていたものとは違う。だが、正常な記憶を有し、健康体で現れることを望んでいたのかというとそれも違う。


「死んでいて欲しかったか」と八重樫エリアナは偽悪的に顔を歪め、静かに言った。「お前はずっと死体を捜していたのだな。責めるつもりはない。その手の願望も分からないではない。高架下で言った言葉は戯れではなく、思わず漏れた本音だったということか」


 電光掲示板に新たな番号が映る。会計待ちの順番を表すサインを、奥野祥子は無機質な瞳で眺めていた。やがて立ち上がり、無言で八重樫エリアナの前を通り過ぎ、病院の外へと出て行った。



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