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千年少女  作者: 長沢紅音
奥野祥子
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奥野祥子 1




 長期夏期休暇を利用して帰省した奥野祥子は実家には立ち寄らず、かつて見知った町並みを散策して過ごした。


 建物のどれもが以前よりも小さく、古びて見える。そのくせ、町を取り囲む稜線は記憶にあるものよりも雄雄しく、遠くに感じた。ポンコツだな、私というカメラは。


 年齢が発覚して辞めた、かつてのアルバイト先であるファミリーレストランに立ち寄るも、居並ぶアルバイトの面々はどれも知らない顔ばかりであった。厨房で働く社員やマネージャーや店長に挨拶をしようかとも考えたが、混雑した店内の状態をみて諦めた。もとより、辞める際には随分と気まずい思いをさせてしまったのだ。会わせる顔はない。


 四人掛けのテーブルを一人で陣取る奥野祥子をアルバイトの女の子が煙たそうに一瞥をくれた。待合席で家族連れが睨むようにこちらを見ている。奥野祥子はその状況を楽しんだ。あとどれくらいで追い出されるかな。不快な視線だけでは私は動かないぞ。


 携帯電話の電話帳には篠崎陽名莉の電話番号が残されている。


 まだ繋がるだろうか? 痛ましい事件のあとに、進学のために仕方ないとはいえ、逃げるようにこの町を離れた自分を彼女は許してくれるのだろうか。


 通話ボタンを押してしばらく待つと、懐かしい、不機嫌な声音が聞こえてきた。


「退屈しているんですか。私が与える刺激は血生臭いものしかありませんから先輩の求めるものとは少し違います」


「かつての私は怠け者だったと思うよ。刺激を外から求めるのがその証拠さ。今ではそれを恥じている」自分が全く用意していない言葉が口から出たことに奥野祥子は驚いた。とても久しぶりに本音を曝け出したと気付いた。


「……先輩が消えてくれて、正直なところ助かりました。私は完全に香月になりきることができたのですから」


「邪魔してしまったかな」


「今では陽名莉を覚えている者は叔父さんとお隣の芹沢さんくらいのものです。きっとどっちだっていいのだと思います。だから」篠崎陽名莉の声は幾分浮ついた。「たまには陽名莉になるのも悪くはないです」




 それから二人は落ち合い、奥野祥子の提案で棒付きアイスの当たり棒を偽造する計画を立てるも、前提として当たりの原型を見なくてはならないことに気付き、駄菓子屋で購入したアイスを互いに三本ずつ食べたあたりで二人とも腹痛に襲われる。近くの民家にお手洗いを借りるという事態に計画断念を余儀なくされた。


「先輩は夏休みが終わればいなくなるからいいですが、私はこの辺りを通る度に”トイレを借りた女子高生だ”という視線を浴びるんですよ」バス亭のベンチに座り、農地を眺めながら篠崎陽名莉は言った。


「陽名莉君も高校生になったのだな。浮ついた話でも聞かせてもらおうか」


「興味ないです」


「……五式君はまだ見つからないのか?」


「この話の流れで五式清一郎が出てくる意味は分かりませんが、少なくとも私は見ていません」


 視線を外し、ギンガムのワンピースの裾を握る篠崎陽名莉の姿に奥野祥子は既視感を抱いた。


「性格は違ってもやっぱり双子だったのだな。嘘を吐くときの癖がそっくりだ。それに」続く言葉を飲み込んだ。強張った顔を目の当たりにしたからだ。髪の毛を元の長さにしたことについては言及せずにおいた。


 同級生の伝を使って調べたときには、五式清一郎は他所の土地へ里子に出されたと聞いた。死の直前の篠崎香月の告白を聞いたあとでは滑稽な噂話にしか聞こえない。


「兄貴も未だ音沙汰なし」


「そうですか」


「実は今回帰省したのは兄貴を捜すためでもあるのだよ。夏休みに入る前に兄貴の大学時代の友人や職場の人に会って話を聞いたりもした」一息ついて続きを話す。「香月の話では少々非人道的な研究もしていたということだから、個別の研究施設があってそこに隠れていると私は睨んだ。当然、職場の人間が外部にそれを漏らすことはない。それでもあえて職場に赴いてみた。その結果」


「その結果?」


「非常勤だという女性職員にアイスを一本買ってもらって追い返された」


「溶けてなくなればいいのに」


「だから私たちはこうしてあたり棒偽造計画を」




 実家に帰るとお説教を食らい、家から出られなくなる。その事を話すと篠崎陽名莉は「うんざりしたくないのでその理由は言わなくていい」としながらも家に居候させてくれた。


 自分以外の家族全員を亡くした篠崎陽名莉の家は驚くほど丹念に掃除されていた。黴ひとつない浴槽に浸かると台所から篠崎陽名莉の鼻歌が聞こえてくる。風呂からあがり、石鹸の匂いを染み込ませたバスタオルで体を拭いているときに奇妙なことに気付いた。


「陽名莉君」と呼ぶとすぐに駆けつけてくる。


「でっかい乳しやがって」と脱衣場に入るなり篠崎陽名莉は上機嫌な顔を仏頂面に急変させて呟いた。


「鏡がないぞ」


 本来壁に掛けかけるスペースは四隅の留め金を除き、白い壁をそのままに晒している。常備されていた鏡を外した形跡であった。


「そんなに自分の裸に見惚れたいんですか。ああ、でも乳輪もそれなりですね」


「なぜいきなり不機嫌になっている? それよりこれでは身支度に困るのじゃないか」


「必要なら出してきますけど」


 いや、と曖昧に遠慮を示すと篠崎陽名莉は台所に戻った。




 夕食の席で明日の予定を聞くと、用事があって先輩には付き合えないという返事が返ってくる。


「先輩はまた職場に行くつもりですか?」


「あそこで手掛かりが掴める見込みは薄い。兄の大学の友人は極稀にeメールを貰うそうだ。その人はパソコンの知識が豊富な人でね。それなりに兄の行方を憂いてくれたらしい。メールアドレスからIPアドレスを調べておおよその発信地を特定した。私にはその仕組みがさっぱりだが、おおよそしか分からずともこの町であることは確かだそうだ」


「町全部を捜して歩くつもりですか? 時間の無駄ですよ」


「兄だって洗濯はするし眠りもする。そして飯も食う。この町の食料品売り場全部で写真を見せて回れば手がかりくらいは得られるだろうさ」


「途方もない話ですね。大体、代わりの人が買い物をすれば写真見ても分かりませんよ。それよりずっと気になっていたんですが」篠崎陽名莉は味噌汁のお代わりをお椀に掬いながら言った。「先輩ってそんなにお兄さんのことが好きでしたか? 状況を楽しんでいるようにしか見えません」


「血の絆は意外に強いものだよ、陽名莉君。これでも学校の長い休みのときは毎度この作業をつづけてきたのだ。もちろん親元を離れての一人暮らしの身だ。懐がさびしいからアルバイトもしなくてはならない。こうして現地での作業に身を挺しているのはそれなりの歴史の積み重ねの末なのだよ」


 嘘を吐くことに軽い罪悪感を覚えながら奥野祥子は味噌汁の入ったお椀を受け取った。住所云々は出まかせではない。長い期間を経ての現地到来も嘘ではない。現に奥野祥子は盆も正月も帰省していない。しかし、食料品売り場を訪ね歩くのは人手があって初めてできる作戦である。普段の奇行が幸いして篠崎陽名莉はそれで納得してくれた様子だった。この先輩ならその程度のことはするだろうと考えているに違いない。


 それからお互いの環境について詮索しあい、奥野祥子は夕食の後片付けをし、篠崎陽名莉は風呂に入った。居間に布団を運び、就寝する前に篠崎陽名莉は家の鍵を渡してくれた。「帰るときには返してくださいね」


 一緒の部屋で寝ることはおろか、自室には絶対に立ち入らないよう釘を刺されたことに軽い戸惑いを覚えながらも奥野祥子は眠りについた。





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