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千年少女  作者: 長沢紅音
八重樫エリアナ
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八重樫エリアナ 13


 三年ほど時間が遡り、八重樫エリアナは混乱した。四十八分の跳躍とは異なり、自分の姿も三年分若返っていたからだ。篠崎香月の時間遡行に巻き込まれる形になって、記憶を維持しているのもその一端にある。理屈では分かっていたはずであったが、声帯を震わせる音は甲高く、未だ産毛すら生えない瑞々しい自分の体に、違和感以上に新鮮な感動を覚えた。


 ある程度の時間を経過した後(両親は既に離婚していたのでそれを阻むことはできなかった)、足を切断される事態は避けることができる、と思い当たった。これは一種のパラドクスではあるまいか? 足を切られなければ化生の手足になることはない。シナモンに訊ねてみたい衝動に駆られたが、この時期に廃墟にいる可能性は低い。「ここも久しいな」と邂逅当時にシナモンが言っていたのを思い出したからだ。


 幸いこの時期はすでに携帯電話を所持していたので、下校時に人気のない川原に行って自分の番号に電話した。


「うろたえるな。篠崎香月はこの状況を何度繰り返していると思う?」


「奴がトチ狂った理由も分からんでもないな」


 シナモンはパラドクス自体を否定した。そもそも繋がりのない時間同士であるからだ。だが同時に、手足になったという事実は他の時間にいる八重樫エリアナにも影響を与えるということである。


「そっちの方がより逆説的だ」と文句を言うとシナモンは「観測するとはそういうことだ」と述べた。


 廃墟で落ち合う約束を取り付け、もう一度家の中を掃除するのが億劫であると愚痴を言うと、シナモンは我も手伝うと言い出した。意外な提案にかける言葉を失った。


「快適に過ごせるのならばそれに越したことはないのだ」


「妙なことを訊いていいか」


「なんだ」


「この電話は私が私に話しているようなものだが、現実のお前にその声は届いているのか?」


「同時間にいる個体に同調できる。それ以外の時間との繋がりは遮断している……今のところはな」


 


 人格は早々に変えることはできないが、仮面を被ることはできる。癪に障りつつも八重樫エリアナは他人に対する態度を軟化した。要らぬ敵意はいずれ何らかの形で自分の人生を妨害してくるのだ。近い未来にクラスメイトの廃墟への誘いを断ろうとも、高慢な態度のままではその後もいずれ無駄な関わりを持つことになる。他人を見下ろすのではなく、敵意を抱かせない程度に無視することにした。母のあしらいも上手くなった。


 


 廃墟で再会を果たすと、出会った当時のようにシナモンは獣臭かった。


「チビだな」開口一番つぶやいた。「そのくせ、偉そうな口調は変わらん。生意気さ五割り増しといったところか」


「それは自虐のつもりか」


 同じ目線の高さになると襦袢についた臭いが容赦なく鼻を刺激する。八重樫エリアナは風呂場の掃除用具を忘れたことを後悔した。


 掃除をはじめつつ祠に仕掛けられている百歩蛇の呪いの解除について知恵を絞った。だが、シナモンはそんな懊悩にはどこ吹く風とばかりに縁側で寛ぎながら言った。


「それはもう解決済みだ」


「まさかあの時間で祠を破壊したからここでも破壊されているとかいう話ではあるまいな」


「まるで理解していないのか」半ば呆れたようにシナモンは呟いた。「まあいい。百歩蛇の呪いは強固な呪いだ。ほかの時間に新たに肉体を発生させてそこに精神を放り込むのだからな。大したものだ。だがそれは手足にだけ有効な手段なのだ」


「どういうことだ?」


「つまり、我が祠を壊せば問題はない」シナモンは質問を無視して結論を述べた。


 掃除の手を休め、本格的に考えてみたがやはりわからない。


「せっかく御霊の座を降りたので気は進まんのだが、その気になれば我は他の時間の我と同調できる。貴様の中にいる我や他の時間の我ともな。つまり元々単一の意識体ではないのだ。呪いが我の体を他の時間に作り、そこに意識を跳ばしても我にしてみれば新たな意識がひとつ生まれたに過ぎない。いわばおできができたようなものだ。まあ、ほぼ同時にいくつもできる感覚が湧き上がるから、全身におできができたように感じるだろうが」


「気色悪い」


「だが同調を切ることもできる。即ち呪いはほぼ無効になる」


「そんな簡単にいくものかね」


「術者はおそらく、我自らが祠を壊すであろう可能性を考慮しなかったのだろうな。手足自身の説明はしたが、貴様にしたように我自身について懇切丁寧な解説はしなかったから、手足と同様な印象を抱いていたからかもしれん。どちらでもいい。片手落ちという結果は変わらん」


 じゃあ、早速壊すか、と急かすとシナモンは異議を唱えた。歯切れの悪い言葉でその時期が来たらやればいいとだけ言った。


 掃除に戻ろうとすると、レオナ——、とシナモンは不意に口にする。


「我のときだけその名を通すのは良いが、それでは弱い。名の代わりになる印を周りの連中に示す必要がある」


「顔を変えろとでもいうのか? 五式じゃあるまいし」


「髪を切るのでも代用は可能だ。古来より髪は呪具としての側面が」


「断る」


 シナモンが言い終わる前に八重樫エリアナは即答した。何とかする、といい加減に付け加え、雑巾掛けをはじめた。その日、結局シナモンは何一つ手伝わなかった。



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