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千年少女  作者: 長沢紅音
八重樫エリアナ
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八重樫エリアナ 11


 それから跳躍が続いた。いきなり道路の中央に飛ばされ、軽トラックにはねられ、四十八分の間痛みに悶え苦しみ、次の時間に来るとその傷はたちまちにして治り、その代わり、沼の中央に飛ばされ、わけも分からず溺れ死ぬ。気が付くと次の時間がきて、真夜中の山中に一人きりでどこに向かってよいかもわからない状態になった。制服には赤茶けた染みが広がり、片方の靴と靴下は失った。金庫はいつしか手放していた。


 悲劇は飛ばされた場所によるものばかりではなかった。突然に両腕が消え、肩から血が噴出し、ショック状態で死亡し、足が消える、内蔵が消える、眼球が奪われるなど、よく分からないままに肉体的欠損が起きた。


 強い日差しの中、廃駅のホームに飛ばされた八重樫エリアナは、線路の上に大の字に寝転がり、自失していた。いつ肉体を奪われる痛みが起きてもいいように、極力何も感じないふりをしたかったのだ。あるいはそれは運命に対するモラトリアムを決め込んだとみてもよかった。


「電車は来ませんよ。ここは廃線ですから」 


 つば広の帽子を被り後ろ髪を結んだ女性が八重樫エリアナの顔を覗き込んでいた。


「来たら困る」


 立ち上がってスカートの埃を払い、女性と対峙する。女性は大きな荷物を持って何かを言いたげであったが、そのまま通り過ぎようとする。


「ここがどこだか分かるか?」と八重樫エリアナは問う。


「知りません」


「知らない場所を歩いているのか?」


 女性は困ったような顔を浮かべ、それから無理に作った笑顔で言った。


「夜逃げの最中なんですよ」


「どうみても昼間だが」


「昼間の方が目立たないから」


 合点がいったことで女性への興味を失くし、周囲を観察する。レールの錆びた鉄と草の匂いが混じり、地面からの放射熱が鼻腔へと届ける。ホームにはベンチが二つ残されていた。


 束の間立ち尽くし、体の異変に気を配る。何も起きない。嵐のような肉体損傷の時は終わったのかもしれない。休憩を求め、ホームの方へと歩みかけると女性はそれを制し、もの言いたげな眼差しを向けてきた。


「これを貰ってください」とオカリナを差し出して女性は言った。「思い出が欲しくて息子の部屋から持ってきてしまいました。ずっと大事にしていたものなのに。でも私には思い出を持つ資格がありません」


「捨てればいいだろう」


 女性は必死に涙を堪えるように顔を歪めた。それから大きく深呼吸をする。それから、そうですね、と言ってオカリナを線路の上にそっと置いた。


 八重樫エリアナはそれを拾い上げ、スカートのポケットにしまった。女性の懇願するような顔つきを無視して言った。


「貰ったんじゃない、拾ったんだ。だから、お前の思惑は私には関係ない。返してきて欲しいなんて言外の嘆願は無駄だ」


 女性は何度も頷いてその場に崩れ落ちた。泣き顔を見せられたところで八重樫エリアナにはどうでも良いことに思えた。


 ホームをよじ登り、日陰になったベンチに座る。眼下に泣き崩れている女性の姿があるが、構わずに携帯電話を取り出す。三コール音で繋がった。


「ひどい目にあった」


「そのようだな」シナモンの声は鮮明に聞こえた。「先払いで体が奪われたということは良い傾向だ」


「飛ばされた初期に、記憶の連続がない篠崎香月に会った。私にもそんな存在があるのだろう? できればそいつらの役目にして欲しかった」


「オカリナは捨てるな」


「金庫みたいにどこかで落とすかもしれない。いや、今にして思うとあれは金庫ではないな。おそらく紙幣ではなく資料なんかを入れていたものだろう」


「なんとかしろ」


 電話が切れてから線路を見下ろすと女性は消えていた。


 


 篠崎香月は狂喜乱舞している。片手で重そうに銃身を支え、コッキングレバーを引いて排莢し、次弾を装填する。大音響と共に散弾が職員室にばら撒かれ、逃げ遅れた教職員が倒れた。割れたガラスをローファーで踏みつけると氷の割れるような甲高い音がした。


「飽きた。警察はまだかな」呟いた声音は夕方の公園で囁く子供の嘆きに近かった。


「楽しいか」と八重樫エリアナは篠崎香月の背中に向かって言った。


「そうでもない。みんな逃げちゃったし。撃ち合いになれば少しは楽しめるかも」振り向いて笑顔を浮かべる。「八重樫先輩もどうですか? 交番から盗んだリボルバーがありますよ」


「それより聞きたいことがある」この篠崎香月も切り離された時間の篠崎香月であると当たりをつけた。あえて繋がっているとしたら、同級生の頭をバットで叩き潰した篠崎香月とであろう。


「性技のことですか? 時間を積んで腕前はすでにプロ級ですよ。ああ、相手は五式君ではありません。とても残念ですけれどね。それとも正義についてですか? そちらは管轄外です」


「神隠しに遭いやすい気質というものがあるらしい。家族の中で疎外感を味わい、幸せの場所を外に求める」


「化身に出会った頃の私は幸せでした」篠崎香月は表情を消した。


「多分、あいつは一筋の時間を一枚の絵のように見る。出会った時期は関係ない」


「やはりお説教ですか」


「五式清一郎のオカリナについて、何か知らないか?」


「先輩の家庭にも問題はあるんじゃないですか?」


 無責任に踏み込まれるのが何より憎い、とその顔は言っていた。八重樫エリアナは腕を組んだ。


「悪かった」


「オカリナのことは知りません。私たちはお互いの弱い部分を尊重しあう間柄ですから、意外と知らないことが多いんですよ」


 それは恋人同士として歪ではないのかと八重樫エリアナは思ったが黙っておいた。五式清一郎の心を掴むために、この少女は必要以上に相手の意向を汲みすぎたのだろう。


 割れたガラス窓の向こうからサイレンが聞こえた。パトカーが校庭に次々と入り込み、物々しい装備をした大人たちがワゴン車から降りてくる。


 首を向けると同時に篠崎香月はスカートのポケットから取り出したリボルバーを左手に持ち一番手前にいる警官に向ける。発砲とほぼ同時に警官は倒れた。


「未成年と分かっているから、早々に撃ち合いにはならないかもしれないなあ」


 続けざまに三人倒した。「動く的を狙って撃つだけじゃあ、練習にならない」つまらなそうに言った。


 挑発しているのを警察の方でも理解したのか、大人たちは一斉にワゴン車の裏に隠れ、発砲はしてこない。代わりに拡声器のハウリング音が鳴り響く。


「香月、」幼い女性の声が拡声器から漏れる。「香月!」


 無表情に引き金を引いていた篠崎香月の表情が明らかに変わる。拍子に散弾銃が床に落ちた。「お姉ちゃん……」


 篠崎香月の姉は、それ以上は何も言わなかった。かわりに警察の誰かが投降勧告のようなものをおこなったが篠崎香月は聞いていなかった。


 拳銃を持ったまま頭を抱えその場でぐるぐると回りだした。後頭部がみえるたびに銃口が八重樫エリアナに向けられる。


「落ち着け。どの道、死ぬつもりなんだろう?」


「駄目なんだよ。ヒナちゃんが来ると私は弱くなる。ヒナちゃんがいれば私はいつだって安心できるもん。安心すると私は腑抜けになる。私は強くならなくちゃいけないのに。五式君を助けるにはどんな非情なことでもできるぐらいに強くならなくちゃいけないの。五式君を助けるために五式君を利用できるぐらいに強くならなくちゃいけないんだ!」


 悲鳴ともとれるほどに篠崎香月はがなり立てた。それから不意に静かになり、棒立ちのまま表を見つめる。


「五式君には宝物があったみたい。いつか見せてくれる約束はした。オカリナのことかもしれない」いつもの穏やかな笑顔をみせて振り向いた。「八重樫先輩はどうして手足になったんですか?」


「のっぴきならない事情があってな。お前はどうして」


「……お姉ちゃんに勝ちたかったのかな」


 篠崎香月は銃口を咥え、引き金を引いた。




「昔、ひとりの少女がいました」


 粗末な着物を羽織ってはいるが、確かに五式清一郎が飛び込み自殺をした現場にいた少女であった。落葉樹の幹の影から、半身を覗かせている。


 一歩足を踏み出すと腐葉土が思いのほか沈み込んでバランスを崩す。山中にあるくぼ地ゆえか、落ち葉が相当に溜まりこんでいた。


「彼女は貧しい身の上で、村八分でした。親の咎を一緒にこうむっていたのです。おまけに嘘つきでした。極まれに身の上を知らぬものと親交を暖められそうになると、虚言癖が露呈して結局相手は離れていってしまうのです。人を楽しませる方法が突飛な妄言しか思いつけなかったのです。だから、彼女が村の子供たちに受け入れられるのは、からかわれる時と、神降ろしの依代としての時しかなかったのです。彼女は必死にその役目に縋りつきました。そう」少女は胸に両手を添える。「あなたがシナモンと呼んでいる存在の話です」


「偉そうな口調のわりに惨めな人生だったんだな」


「彼女なりに威厳を保つ方法だったんでしょう。人づてに聞いた情報ほど大きな声で語りたがる連中と一緒ですよ。自分で考えたり発見したりしたことは責任逃れができないですからね。傀儡であるがゆえに大きな態度を取りたがる。しかし、その胸の奥では今にも瓦解しそうな自意識に恐れ戦いている」


 それから少女の口は止め処も無く回りつづけた。神降ろしについての国の対応への愚痴だったり依代の減少を嘆く声だったりしたが、八重樫エリアナにはさっぱり分からなかった。


「座ってもいいか」そう言って八重樫エリアナは枯葉のベッドに寝転んだ。汚れや謎の虫のことを考えなければ心地よい寝心地であった。


 少女の舌は急停止し、風が吹き梢同士が当たるさわさわという音が聞こえた。


「お前、誰だ?」


「あなたの旅は必要なことだったんですよ。でもこれで終わりではありません」


「断る」


「まだ何もお願いしていませんが……、まあ、いいでしょう。そら来た」


 林間を縫って走る影が遠くに見えた。その後を数人の粗末な着物を着た男達が怒声を発しながら追っている。


「この村では彼女が訪れたと同時に疫病が流行り、その咎を受けたのです。これから彼女は捕まって、私刑に遭い殺されます」


 鳥の鳴き声が聞こえる。私もそろそろ泣いてもいい頃だ。


「あなたのいた時代からおよそ千年ほど前なんですよ、ここは」


 誰か、助けてくれ。




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