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千年少女  作者: 長沢紅音
篠崎陽名莉
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篠崎陽名莉 18


 散歩を終えて家に帰る。今日の夕食担当である香月の姿は台所にはなく、自室のベッドで毛布に包まっていた。呼びかけると小さな返事がある。


「調子悪いの?」


 香月は毛布の中で小さく頷き、顔を出して「ごめんね」と言った。


「あり合わせで何か作る。食べたいものはある?」


 食べ物の話にも呆然として、答えがすぐに出てこない。香月らしくない。顔には赤みが差し、目は充血している。額に手をあてるが熱というほどもなく、泣きはらした後の微熱と知れた。


「五式清一郎になにかされた?」


「五式君はいつも紳士だよ。手も繋いでくれないもん」毛布に潜り込んで不鮮明な声で言った。「調子悪いだけ」


 屑野菜を使って炒飯を作り、父の分を冷蔵庫に保存し、私と香月の分をトレイに乗せて二階に向かう。振り返ると父が階段の途中で上の階を見上げて立ち止まっている。それは事故以来無かったことだ。父は書斎と自室のある一階でしか生活を送らず、二階に人が住んでいることすら知らないのかもしれない。


 何か用事? と私が声を掛けると父は「何でもありません」と答えて書斎へと引き下がった。


 ご飯を平らげると香月は微笑んだ。


「お姉ちゃんは、ホラー映画で主人公が助かると知っていてもやっぱり怖い?」


「知ることと感じることは別でしょ」


 そうよね、と呟くと香月は窓を開けて冷たい外気に身を晒した。夜空は間近にあった。遠近法を覆すように、星はすぐ側で瞬き、その輝きには重力があった。科学的に正しくないと知りつつ、私はそのように感じた。まるで香月が夜空に落ちていくように思え、恐ろしかった。




 待合室で随分と待たされた。祥子先輩は社長秘書のようなスーツを着て伊達眼鏡をして化粧をしている。私と並ぶと姉か母のように見える。


「母と呼ばれるのは傷つくので年の離れた姉という設定で」と対面一番に自分から宣言していた。


 大げさですよ、という抗議に対し、「責任を擦り付ける対象がいた方が人は安心するのよ。もちろん私は責任を被るつもりはないけどね」


 緘口令はすでに解除されていたので、少女が山で保護されたことは町の大体の人が知っていた。最初は看護士に話を通したが、警察関係の男が現れ、本人の意思を聞いてみる、とだけ言って姿を消した。祥子先輩は何も喋らず役に立たなかった。


「いいぞ」という声と共に男が待合室に顔を出し、「その代わり俺と看護士さんを伴うが構わんか」と言った。


 病室にはいくつもの花が花瓶に咲き誇っていた。同情して見舞いに来る無関係な人が多いんです、と看護士は説明した。少々煩わしいという顔つきを見せたので適当に頷いておいた。


 少女は半身を起こし待っていた。私と祥子先輩はベッド脇の椅子に腰掛け少女の言葉を待った。看護士と男は入口近くで立っている。


「こんにちは」


「こんにちは」と私は言った。事前情報として知っていたが、言葉を喋れることに今更ながら驚いた。


「あなたのこと、知りません」ごめんなさい、と言って少女は頭を下げる。


 年相応の声に、形だけ丁寧にした口調が乗せられた。小学生が校長先生と話すときのように。


「山の中であなたと——、いいえ、あなたと似た少女と出会ったの。二年前になる」


「そうですか」少女は明らかに困惑していた。


「まるで別人のようだった。自信にあふれ、凄い人だと私は感じたの」適度に事実を歪曲しながら慎重に私は話す。「ねえ、あなた。あなたも山の中で誰かに会わなかった?」


 祥子先輩と一家失踪事件を調べているとき、図書館で私はいくつかの文献を読み漁った。そこでひとつの仮説を思いついた。化身とは他者の肉体に憑依する物の怪か神の類なのではないのかと。馬鹿げた妄想に近いとは分かっている。私が偶然名付けた「かか」とは古い蛇神の呼び名である。ならば——。


「覚えていません」少女は怯えたように呟いた。「お父さんとお母さんはどこですか? お祖母ちゃんと、小さな弟がいるんです」


 今にも泣き出しそうな様子にこれ以上の詮索は無意味だと悟った。


「知っているかい? 君は今年で四十歳になる。一家失踪事件は三十年も前の噂だったんだ。噂というかこれはもう伝説だね」と祥子先輩が小声で口にするやいなや、私たちは看護士と男に肩を掴まれ、表に放り出された。事前の注意事項ということで、本人の個人的事情には踏み込まないことを条件に認められていたのでこれは当然の処置である。大人たちに話している内容は聞こえなかっただろうが、耳元で囁く祥子先輩の行動は怪しすぎた。引き摺られながらみた少女の顔は青ざめ、小さな肩は小刻みに震えていた。やがて両手に顔をうずめた。


 祥子先輩と共にお説教を食らいながら私は最期の一手に思いを馳せた。それはできれば避けたい、最期の手段であった。そしてその手段を講じる必要性は今のところ全くない。





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