花咲かぬ、椿……
巣立つことのないツバキ
わたしは巣から出られない……巣から落ちたら一人では生きられないのだから――
今日も一人で広い敷地の庭の中を、一人で歩くわたし、椿。お庭を歩いていると微かな声で鳴く小鳥が足元に一羽、落ちていた。もしかしてあの木の枝上から落ちたのかしら?
足を伸ばして小鳥を巣へ戻そうとするも、わたしではとてもじゃないけど届きそうにない。必死に手を伸ばしていると、顔の横を勢いよく何かがかすめた。
少しして、庭の外より声がした。
「すみませーん! 外で仕事しながら遊んでてボールを入れてしまったんですけど、そこに落ちてないですか?」
「これ、でしょうか?」
辺りをよく見ると足元にボールが落ちていた。これを拾い、男性に見せた。
「こちらでしょうか?」
「それです。中に入ってもいいですか?」
「どうぞ」
「あ、小鳥……その小鳥に当たらなくてよかったです」
「そうですね、本当に……鳥は巣から落ちたら一人では生きられませんから……わたしと同じように」
見知らぬ男性に言っても仕方のない運命。何を言っているのだろうか。
「俺、ボール拾いに来ただけですけど、……俺とここから出たくないですか?」
※
仕事の休憩時間、同僚と何気なく始めたキャッチボール。豪華な邸宅の中にぽつんと空いていた空き地を利用していた俺たちだったが、あろうことかボールをキャッチ出来ずに邸宅の庭に飛んでしまった。
「……こちらのボールですか?」
俺は、彼女の姿に見惚れその場から動けないでいた。家の人か? ということは令嬢かな。恐れ多いな。
「小鳥にボールが当たらなくて良かったです。……あなたは大丈夫ですか?」
「……はい」
俺は照れながら、彼女を見つめた。彼女は儚げな表情で呟いた。
「……巣から落ちたら一人では生きられませんから」
「その、ご家族とここに?」
「私はこのお屋敷の世継ぎ……ここから出られることはありません。ここのお庭はそういう意味なのです」
単にボールを取りに来ただけの俺に何かすることが出来るのか? それでもこんなことを言い放つ彼女をどうにかしてあげたい。そんな無謀な考えを口に出した俺は、椿と言う名の彼女をそこから連れ出していた。
「俺が君をここから放ってあげるよ! さぁ……俺と一緒に」
※
何の前触れも無く、偶然お庭にボールと彼が迷い込んできた。それだけのことなのに、わたしはこっそりと庭を抜け出し、彼と”外”の世界を楽しんだ。
彼は連日のようにわたしを庭から外へ放ってくれていた。まるで鳥の巣立ちのように、大空を飛び回っていた。だけど、ひとときの”幸せ”は長く続かなかった。
「椿……あなたはこの家の大事な世継ぎを生む娘。勝手は許しません……」
いつか幸せは訪れる……そう思いながら楽しんだ日々は辛くも崩れ去った。庭の抜け道は塞がれ、迎えに来る彼は”家”の者たちによって、隔離された。
あの日、ボールと共に迷い込んできた彼。過ごした日々を思い出しながら、今日もわたしは窓の外から巣立っていく鳥たちの姿を眺めながら、お屋敷で時を過ごす日々……
巣から飛び立てなかったわたしは、かごの中からも出ることを赦されなかった――