蠢いた影
夜になると暗くなって色など分からなくなり、元の世界とほとんど変わらなくなる。
……と思ったがそういうわけでもなく、あちこちから漏れる灯りから見える物が全て灰色という事実が、やはり元の世界とは違うという感覚を俺に与える。
そんな街を三十分ほど彷徨い歩いた挙句、結局グラウンドの近場で食糧を発見する事となる。
目の前にあるコンビニで。
だがこの時俺はさっきも抱いていた違和感に再び直面する。
言った通り、灯りがついているのだ。つまり電気が通っている。自販機と同じように。
もちろん灯りがついている場所はこれだけではなく、歩いている最中にもいくつかの建物や電柱の灯りを目撃していた。
「……」
再び扉の前からコンビニの中を見る。
人は勿論いない。が、店の商品棚に商品は整然と並び、床には埃一つ見当たらない。
まるで、ついさっきに人の手が加えられたかのように。
何となく不気味だ。
しかし空腹には勝てず結局俺は店の中に入ることにする。
店内はまさしく普通のコンビニだった。雑誌、日用品、そして食糧がある。不自然なことと言えば店員がいない事くらいだ。
俺は無人のレジの前を通り、店の奥の方へ進んでいく。
奥のほうではパンやおにぎり、弁当、飲み物などが綺麗に並んでいた。
(腐っているわけじゃないよな?)
俺が高校二年生の年である十一月の日付が賞味期限に表記にされているが、そもそも今が何年何月何日かすらよく分かっていない。世界が滅亡する前後の記憶がないのだから。
試しにドーナツの包装を破ってみた。元の世界ではこれは明らかな万引き行為なのでかなり後ろめたい気持ちになったが、それは慣れるしかないだろう。
そして一口頬張ってみると、これもまあ普通に美味い。
つまりは、これらを食糧にできるわけだ。
(じゃあ、今日の日付はこの賞味期限記載の少し前……?)
曖昧な記憶を呼び起こし、俺の最後に残った記憶の中のカレンダーは確かこの年の九月頃だったのを思い出す。
どうやら年単位で記憶がぶっ飛んでいるわけでもなさそうだった。そもそも今が正しく時を進んでいるのかすらよく分からないが。
そんな事を考えながら、ひとまず今日の晩飯として弁当を二つ、飲み物を二つとっておく。俺のと……仕方がないココロの二人分である。
あとはレジからビニール袋をひったくり、そのまま出口に向かおうとしたところで――
何かが、視界の端で蠢いた。
(え……?)
そちらの方を向き――俺は戦慄する。
「そいつ」はいつの間にかそこにいた。
否、いたという表現が正しいのかそれすらも分からない。何故ならそれに明確な実体があるのかどうかも分からないのだから。
言うなれば、それは影。黒い影が蠢き凝縮して、辛うじて人型と見える形を保っている。
それが突如として現れ、今俺の目の前に亡霊のように佇んでいるのだ。
「な、なんだ……お前……」
そいつは俺の問いには答えなかった。ただユラユラと不気味に影を揺らしてその場に立っている。俺もその場に立ちすくんでそいつをただ見ている事しかできなかった。
影の、人でいう頭に当たる部分。その中心に白い光のようなものが浮かんでいるのが見える。それの中にある何かが今、俺を「見た」ような気がした。凄まじい悪寒が俺の全身を駆け巡る。
その瞬間―――その影が猛烈な勢いで俺に飛びかかってきた。
「……!」
辛うじて体勢を崩してそれを避ける。
避けられた影は本棚に激突し、ガラスも粉砕する。バサバサと雑誌を散らした。
無人のコンビニは一瞬にして地獄と化す。
(何なんだ、これは一体……!)
焦り、混乱する。状況が良く理解出来ない。ただ一つ分かっているのは、そいつが明確な敵意を持って俺に襲い掛かってきているという事だけだった。
なぜ? 万引きしようとしたから? 取り押さえるためにこうもダイレクトに突っ込んでくるとは、なんておっかない店員なのだろう……!
……呑気な事考えている場合ではない。
逃げることも難しそうだ。今その影の攻撃を避けたせいで、そいつは俺よりも出口のほうに行ってしまったからだ。
(どうする……!)
何とか働き出した頭で考えを巡らせていた時。
「コウジ!! 大丈夫!?」
聞き覚えのある声が聞こえてきた。
出口を見ればそこにはココロが立っている。助けに来てくれたようだ。
しかし、影もその声に反応する。
ココロの方へ振り向く(?)と、今度は彼女の方へ飛び掛っていった。
「あぶない、ココロ!」
「……!」
だがそれに合わせてココロも跳躍する。
影に急接近し、拳を構える。
「はああああ!!」
その拳は、影の白い部分に当たるとそのままそいつの頭部をぶち抜いた。
見事な返り討ちだ。こちらにまで風圧が伝わってくる強力な正拳突きである。あれを喰らったら、俺の頭部だってぶっ飛んでしまうのだろう。
その白い部分が消し飛ぶと、残った胴部分の影も霧散していく。そしてそいつはその場から嘘のように消失した。
「……ふう」
ココロは小さく溜息をついていた。
もう大丈夫なのだろうか。警戒しながらそちらの方に近づく。
「すまん、助かったココロ。……倒したのか?」
「うん。どうやら」
ココロも少し警戒しているのだろう。抑え気味の声量でそう言った。
「なんだったんだ、今の」
「恐らく、彼は『ジン』。世界が何とか原型を保たせるために作った、見た通りの『影』。言わば、この世界の番人だよ」
「ジン……番人……」
今の世界のシステムに驚く。滅ばないようにと、そんなものまで取り入れているというのか。
「原型を保たせるためとは?」
「このコンビニは電気も通っているし、品物もちゃんとあったでしょ? それらはすべて彼らがやってるんだよ。より元の世界の姿を保っているためにね。彼らのやることは、発電、食糧の確保、清掃、そして――世界を乱すものの排除」
「つまり、俺は奴から世界を乱していると判断されたと?」
やはり万引きは良くなかったのだろうか。それなら俺が襲われたのも納得がいく。
だが、ココロは難しい顔をして首を振った。
「あり得ないよ。彼らの仕事はあくまでバランスを保つというだけ。そして私達は生き残った人間なんだよ? 元はこの世界の住人だったんだから、何をしようがこの世界を乱すだなんて絶対にない。なのに襲われたということは、彼らジン達に何か異常でも起こっているのかも……」
異常。その言葉を聞き俺は眉根を寄せる。目覚めて早速、面倒な事に直面してしまったようだ。
「つまりその異常を解決すれば襲われる事はないというわけか。何とかならないのか? あれはまた現れるんだろう?」
今はココロがいてくれて助かったが、また俺が一人の時に襲われたらどうしようもない。
「まあ、そうなるんだろうね。でも原因が分からない以上どうしようもない。とりあえずは、また襲ってきたらさっきのように倒すしかないね。彼らの頭部にある白い光――核を攻撃すれば、一時的とはいえ彼らは消失するから」
要するにあの白い部分が弱点というわけなのか。だが――
「そう簡単に言ってくれるがな、俺では素手であいつに勝てるとは思えない。見ただけでも人並み以上のパワーがある事が分かった。その核を狙う前にこっちが潰されるだろうよ。さっきもお前が来てくれなかったら今頃どうなっていたか分からないし。……というか、お前」
ここで俺は、当初から疑問に思っていたことを口にする。
「なんでそんなに強いわけ?」
「さあ?」
大体はちゃんと質問に答えてくれているココロが、初めてそんな返答を返す。
「さあ、って……」
「うーん、だって本当に分からないし……。今の世界が力を貸してくれてるとか、そんな感じなのかな? 私もジンのような世界維持機構の一部に組み込まれているのかもしれないね。……多分だけれど」
曖昧に言葉を濁す。やはり彼女にも分からないことは多いのだろうか。どうやら元々持っていた力ではなく、何らかの恩恵であるという事は分かっているようだが。
ともかく、ココロがいてくれると心強いことであるのは確かだ。これなら一緒にいる時ならジンに襲われても問題はない。だがやはり、俺一人でも対処する術を見つけたいものだが。
と、クイクイッとココロが控えめに俺の袖を引っ張ってきた。
「それは置いておいてね、コウジ」
「ん、どうした?」
彼女ごほんと可愛く咳払いをし、改まった様子で俺の方に向き直る。
「……出来たよ、秘密基地」
◇
(ほ、本当に作りやがった……!)
再びグラウンド、その地面に設けられた階段を下りた先の地下の空間に俺達はいた。そう、ココロの作った秘密基地だ。
「どう、かな……?」
「あ、ああ……なかなかいいんじゃないか?」
素直に褒めてしまう。
ココロの作った秘密基地は、思った以上に立派なものだった。
空間は広く、悔しいが俺の言った条件を十分に満たしている。
空間を支える骨格はどうやら体育祭とかで使われたテントの鉄パイプを使っているようだ。
だが普通にそれらを使ったところでテント以上のものができるはずもない。
しかしココロの馬鹿力があればそれらを捻じ曲げて巨大な空間の骨格を作り上げることなど容易い事であったのだろう。
骨格と骨格の間には補強のためだろうか、ご丁寧に天幕が張られている。この空間そのものがまさに巨大な地下テントのようなものになっているのだ。
床にはビニールシートが敷き詰められているが中央はぽっかりと穴が開いており、そこに薪がつみ重ねられていた。こいつを燃やして灯りにするのだろう。肌寒い時には暖房の代わりにもなる。
対象に天井にも四方一・五メートル程の穴が開いており、その先には俺の注文通り天窓が取り付けられている。大きさからしてウチの学校の教室から拝借してきた窓のようだった。
空間の隅にはベッドが二つ並んでいる。どこかで見たことのあるベッドだと思ったら保健室のベッドだ。
その他、テーブルとソファー(どう見ても校長室にあったやつだ)、本棚(本がびっしりと並んでいるがこの並び、以前図書室で見たことがあるような気がする)、そして「高山」と書かれた学習机も置かれていた。
……つまりこれは。
(学校からの借り、パク……!?)
戦慄する。
そう、ここは学校のグラウンド。つまり目の前には何でも調達できる校舎がある。生活道具を揃える事など、造作もない事だったのだ。
そうして作られたのが、この申し分のない秘密基地。
(ココロまさか、最初からこれを狙って……!)
まさに策士。
難題を出してハメたつもりが、ハメられていたのはこちらだったというわけだ!
……これ、普通に学校で住めば良かったのでは?
そんな疑問はさておき、俺はあることに気が付いた。
「おいココロ、トイレは……?」
「体育館の横にあるよー」
「……風呂は?」
「更衣室のシャワールームにあるよー」
「よーし、帰るかー」
「……ねえ、コウジ」
にっこりと、ココロが笑う。何だろう、今までの笑顔に比べてなんか怖いような。
「さっきキミがジンに襲われた時、必死なって駆けつけて助けに来たのは誰だったかな……?」
「……」
こうして、俺とココロの秘密基地生活が始まったのだった。
記念すべき一日目は、何だか夜までどたばたしていたように思える。
ともあれ、無事にこの初日を終える事が出来た。
しかし、この一週間はまだ始まったばかりである。謎も多い。
この先に待つものとは何なのだろう。
そもそも、なぜ世界は終わったのだろう。
――果たして、ココロという少女と共に紡ぐこの「終わり」は、一体どこへ向かうというのだろう。