始まりへの物語
◇
「今という時間が、ずっと続けばいいのに」
そう願った事はないだろうか?
今までの人生の中で一番楽しいと思った時間、瞬間。
時がこのまま止まって、永遠に今この場所にいられたらいいのにと、大好きな人といつまでも一緒にいられたらいいのにと、そう思った事はないだろうか?
「私と一緒に、失ったものを取り戻しにいこう?」
いつしか、終わりゆく世界でそんな事を言った少女がいた。
その少女は、永遠を取り戻したかったのだろうか?
――否、それとは正反対の思いを彼女は遂げた。
終わりを願っていた。
大切な誰かの明日、それを夢見ていた。
本当は誰よりも、ずっとそのままでいたいと思っていたはずなのに。
それでも、その少女は「後悔はない」と笑ってみせたのだ。
それもまた、一つの終末だった。
別れまでの時間を引き延ばした、ただそれだけのお話だった。
だからそう、これはよくある話だ。
終わりへの物語。「世界が滅ぶ」物語。
いつも、終末を見ている。
誰かとの別れがくる。
それが世界の理。不条理な現実。
だが、少女の紡いでみせたその終末への物語は、きっとただの終わりゆく物語などではなかったのだろう。
それはただただ、優しい物語。
その先を望んだ――次へと繋ぐ、「始まりへの物語」。
◇
「あの終末」から、一か月程経った。
「……」
街を、川を、夕日が茜色に照らす。どこかから子供の元気な声が聞こえてくる。
そんな光景の中、俺は欠伸をかみ殺す事も無く気怠げに学校からの帰路を歩いていた。
退院して学校へ復帰してから一週間、やはりあそこに通うのは怠い。しばらく休んではいたのもあり尚更だ。
俺も、そしてクラスメイトも何も変わらない。彼らは相変わらず俺を敵視してくる。
中には明らかに落胆した様子を見せていたやつまでいた。大方、俺が火事に遭ったと聞いてほくそ笑んでいたのだろう。それが数週間で何事も無かったかのようにしれっと学校に復帰していたら、確かにそれは面白くはないかもしれない。
まあ、どうでもいい事なのだが。
入院中、そして退院後もしばらくは警察の事情聴取ばかりで大変だった。
結局、俺は「夜散歩していたら火が見えて、駆けつけたら友達の家が燃えていて、気が動転して友達を助けようと思わず中に入ってしまった」とくらいにしか言っていないのだが。勿論「危ないだろ」と怒られた。
警察はあの直前現場付近を歩いていた他の人の目撃証言を取れなかった事、そして「被害者」本人も知らないうちに火が出ていましたとしか語らなかった事と、そもそも現場証拠がきれいさっぱり燃えてどうしようもなかった事から、「仏壇の蝋燭が勝手に倒れて火がついてしまった」という話でまとめてしまった。
その嘘話には、「彼」が一切出てきていない。
今日、もう怪我が治って退院していたその彼――金田を屋上に呼びつけ、俺は一発だけ思いっきり殴っていた。
「……」
彼は避ける事も、殴られて尻もちを付いた後も激昂する様子を見せなかった。ただ申し訳なさそうに俯いていただけだ。
「……金田、俺はてめえを絶対に許さない。ココロの事も、五十鈴の事も。お前のやった事は明らかに犯罪だ。お前の怪我だって『正当防衛』としか片づけられないだろうさ。更にはあの火事の元凶ですらある。……警察に全てを話して、お前の人生を終わらせてやろうとどれだけ思った事か」
怒りをあらわにして語る俺に対し、やはり金田は何も言わない。
そんな彼への苛立ちが抑えられないまま――
「……ちっ。次は無いぞ」
俺は、もう彼から背を向けていた。
「……いいのか、もう? それに僕は捕まるどころか、通り魔に襲われただけであの火事とは何の関係もないとして処理されたんだが……」
そこで彼は、消え入りそうな声でやっと言葉を発する。
「俺は許さないって言ってんだろ。……だが、これは五十鈴の意志だ。あいつに一生かかっても返しきれない借りを作ったって事だよ、お前は」
「……」
また黙ってしまった彼に対し、俺は苛立たしげに言葉を続けた。
「……それに、お前があの火事から少しだけでも五十鈴を助けようとしてくれた事だけは……感謝している。おかげであいつは、火元ですぐに死んでしまうという事態だけからは免れたのだから。……だから、このくらいで勘弁しておいてやる。今度、ちゃんとあいつに謝っておけ」
「……なあ、高山」
立ち去ろうとする俺に向けて、だが金田は呼び止めた。
「僕は、お前達が羨ましかった。先生にちやほやされるお前はそれで幸せなのだろうと思っていたし、お前と一緒にいる五十鈴さんだってただ幸せそうにしか見えなかった。……僕だけが、不幸なのだと思った」
立ち止まって顔だけは振り返り、彼を見る。もう彼は立ち上がり、こちらを見ていた。
「……でも五十鈴さんの錯乱する姿を見て、こっちまで胸を締め付けられる気分だった。彼女はこんなにも悲しみ、苦しんでいるのだと思い知らされたよ。僕はまだ、何も知らなかっただけだった。――なあ、高山。本当の幸せとは、一体何なんだろうな……?」
縋るように聞いてくる彼に対し、しかし俺はまた顔を戻して去り際にこう答えただけだった。
「知るかよ。自分で見つけるしかないんだろうが、そんなもの」
◇
また話は変わるが――俺が目を覚ました日の夜、父さんと母さんが俺の病室を訪ねてきた。
二人は俺が目を覚まさない間、毎日ここに来てくれたそうだ。目を覚ましてからは、初対面となる。
だがすぐには話さず、お互いに長い沈黙を作っていた。俺も、母さんも、父さんも、下を向いて。
「……心配に、なった」
しかし、その沈黙を破ったのは父さんだった。
「お前が火事にあったと聞いて、目を覚まさないと聞いて……私は不安になったんだ。ずっとずっと、私はお前を憎む事しか出来ないのだと思っていた。――でもそれは、私にとっても苦しかった」
葛藤し、苦悩し、それでも言葉を紡ぐ。そんな父さんの様子を、母さんが心配そうに……でも、ちゃんと見守っていた。
「だから、ちゃんと心配も出来るのだと。父親らしい感情を、息子であるお前に抱けるのだと。それが分かって……私は嬉しかった」
俺は驚いてしまった。
随分と久しぶりに、父さんが微笑むのを見たから。
「――今までの事を許してくれ、とは言わない。でも、これだけ伝えさせてくれ。私はちゃんと、お前の『父親』だったよ」
「父さん……」
その顔を見て、俺も随分と久しぶりに父さんに笑顔を向けた。
多分すぐには俺達の関係を修復する事は出来ない。きっと、長い時間をかけて俺達は分かり合う必要がある。
それでもあの夜に、俺達家族の関係は決定的な変化が始まったのだろう。
◇
今日は父さんとどんな話をしようか、どんな話でもいいから、出来るだけそんな時間を長く取りたいし大切にしたい。帰路を歩く俺の頭の中はもはやそんな考えで埋まっていたが、まだこのまま家に帰るわけではない。
着いたのは、嘗て俺が入院していた病院。ここまで来ると思考もすぐさま切り替える。
受付でお見舞いに来ましたと伝え、病室へ向かう。毎日来ているのですっかり部屋番号もそこへ行くルートも覚えてしまった。
その途中、すっかり顔見知りになった若い看護婦ともすれ違う。
「あら、高山さん。また彼女さんのお見舞いに来てくれたんですね。お熱い事で」
「いや、だからまだそんなんじゃないですって……」
「……『まだ』? ほほう……ほほほぅ……。ええいじれったい。もう言っちゃいなよ、ゆー」
「……ぐ、馴れ馴れしいなおい。お節介焼きの近所のおばさんかあんたは……」
「あー! そこはお世辞でもお姉さんって言わないといけな……何がお世辞かまだ全然若いわー!!」
「……自己完結するなよめんどくさい……」
会うたびにこんな風におちょくられるのだから、堪らない。
場所は覚えたと言うのに、親切にもその看護婦は病室の入り口まで案内してくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。……あの、いつぐらいに退院出来そうでしょうか?」
「彼女、回復の経過は良好です。この調子でいけば一週間くらいでもう大丈夫だそうですよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「いえいえ。それでは、『ごゆっくり』。……あ、まだ怪我人なんだから襲っちゃだめだゾ」
「帰れ」
「おほほごめんあそばせ」とわざとらしく口元を手で覆いながら、その看護婦は去っていった。
溜息を付いた後に、気持ちを切り替えて入り口のドアを開ける。
そして俺は、窓際のベッドで夕日を見ているその少女の名前を呼んだ。
「五十鈴」
「……高山君」
彼女も、こちらに振り返る。
外の景色を見ていたのだろうか。少しだけぼうっとしているその顔は、相変わらず儚げで、綺麗だ。
だが、すぐにちょっと困ったかのように眉根を寄せる。
「うう……毎日こんなみっともないパジャマ姿見せちゃってる……。今日はまだそんなに汗臭くない……よね?」
「別に、俺は気にしてないって言ってるのに」
私が気にするの、と彼女は少しだけ拗ねたように呟いた。今日も元気そうで良かった。
「また来てくれてありがとうね。さっき高山君が入口でしゃべっていたの、瀬川さん? 何のお話をしていたの?」
「……うん、気にするな。お前はあの手の生き物とは一生疎遠で生きていて欲しい。それが俺の切実なる願いだ」
「……? 瀬川さん、凄くいい人だよ? 二人は仲が悪いの……?」
「そういうわけではないけれどな。……やっぱりお前、いい奴だよ。うん……」
そんな会話をしながら、俺はまた自分の頬が緩んでしまうのを自覚出来た。
五十鈴があの意識不明の重体から目を覚ましたのは、ほんの数日前の事だった。
俺の目の前で、長い夢から覚めるかのように彼女はゆっくりと目を開けた。
一命は取り留めたものの、いつ目を覚ますかは分からない。そんな風に医者から告げられて少し経ってからの事だ。
でも絶対に戻って来てくれると信じていた俺は、彼女に微笑みながらただおかえりとだけ言った。
五十鈴も目に涙を溜めながら、それでも笑ってただいまと告げた。
二人で、学校の帰りに寄った洋菓子店で買ったプリンを食べる。これがとても美味しいと知ったのは本当につい最近の事だ。
退院したら、アパートを借りて今の高校に通うのだと五十鈴は語った。思い出の家から離れる事は寂しいが、新しい住まいで新しい生活を始めるのだと。
あの終末から、少しずつではあるが色々な事が変わってきている。
「留学、どうしたんだっけ?」
「止めたよ。両親に反対されたって事にしておいた。先生は名残惜しそうだったがな」
「そっか。……良かったの?」
「……ああ。あの出来事があってから、俺はこの町を離れたくない理由が増えていた。それだけの事だよ」
「……そっか」
そこからしばらく沈黙があったが、それを破ったのは彼女だった。
「何だったんだろうね、あの世界は」
ぽつりと、俯きながら五十鈴はそんな言葉を漏らす。
「記憶もある。あそこで触れた物の感触、抱いた思いすらもちゃんと覚えている。でもこうやって目覚めてしばらく経つと、だんだんそれが薄れてくる。だからやっぱりあれは長い夢だったんじゃないかって……そんな風に思ってしまうの」
「俺とお前の二人共が、それぞれの視点から全く同じ世界の夢を、か?」
「そうだね、そんなの……夢じゃないか。ただ、あそこでの出来事で私の中の何かが大きく動いて、それで今私は呆然とするしかないような……そんな感覚だから」
溜息を付いた後、五十鈴は微笑みながら右の手のひらを宙にかざして見ていた。
「……私は私のままでいい、か……。酷い事を言うよね、あの私も。そんな事を言われたら――尚更頑張りたくなっちゃうじゃん。……上等。だったら私は今度こそ、私の出来る範囲で、私の意志で、私の目指す理想に近づいてみせるんだから」
そう語る彼女の瞳はもう曇りも無く、真っ直ぐに未来を見据えている。
そんな吹っ切れた様子の彼女を見て、俺も思わず微笑んでしまった。
「……そうか。変わったな、お前。かっこいいじゃん」
「う……もう、そう言われると照れくさいよ……」
そう言うと彼女は少し頬を膨らませて俺を見た後、また笑顔を向けてくる。
「でも、そう言う高山君だって変わったんじゃない? ずっと先の見えない未来を恐れていたのに、何だか今では……変化する事を、ちゃんと受け入れられているように見える」
「……別に、変わったという程大層なものでもないさ」
今度はこっちが少し気恥ずかしくなってしまい、俺は顔を逸らしながら答えた。
「終わるってやっぱり悲しい。何も変わらなければそれがいい。……でも、少しは終わりの先を……そこから続く始まりを望む事が出来るようにもなった。それだけだよ」
――だからこそ、言わねばならない事がある。
「……だから、だな。五十鈴」
「うん、どうしたの?」
急に改まった様子になった俺に対し、五十鈴が怪訝そうな声で答える。
「その、俺と……」
覚悟を決めていたつもりでも、躊躇ってしまう。
それでも、俺は精一杯言葉を絞り出す。
きっと言った瞬間に俺は赤面し、その一瞬遅れて彼女すらも大いに赤面させてしまうのであろうその言葉を。
もう「今までの関係」に終止符を打つ事となる、その言葉を。
◇
病院から出た後、何となく河原に訪れていた。
日はもうすっかりと落ち、街からの光を暗い川の波が反射している。夜の静けさが、川の流れる音と風が草を揺らす音を際立たせる。
砂利の上へ静かに腰を下ろし、目の前の川を眺めた。
確か、ここがココロと初めて出会った場所だった。
息絶える寸前のはずだった猫。でも、一時俺達と共に生きてくれた猫。
そして彼女は、最後の時間に人となってまで俺達を一つの世界へと連れ出してくれた。
――生きて――
それが、旅路の果てに彼女が俺達に託してくれた願いだった。
命の終わりをただ待つだけだったはずの猫が、見つけ出してくれた希望だった。
生きるって、何なのだろう? そんな事を最近は考える。
誰かの愛によって生まれ、それは広いこの世界で生きていく。そしてそれもまた誰かを愛して、次の命を生む。
そんな数え切れない程の命の連鎖を、俺達生命はこの長い歴史の中繰り返してきた。「進化」という世界への適応、生物学的に言えばそんな目的のため俺達は命を繋いでいる。
では、俺達一人一人の「個」は?
この一つの命は、この世界で何を見る?
苦しんだり、悲しんだり。
笑ったり、誰かを愛したり。
きっとそれは、この世界から見ればちっぽけなもので。
でも、同じくちっぽけでしかない俺達にはとても大きなもので。
短い命の中でただ過ぎ去っていく日々に、俺達は時に押し潰されそうにもなる。
戻りたいと、後悔する時もある。
でも、それでも俺達は進み続けている。
そうやって、この世界を「生きて」いく。
(たくさんの終わりを見て、でもその分、たくさんの始まりを見て。そんな連鎖の中で俺達は大切な物を見つけ、成長していく。きっとそれが、生きるって事。――そうだろう? ココロ)
怖くても、苦しくても。
それでも笑っていたい、信じていたい。
俺達の命には、未来には、希望が待っている。
失う事を恐れないでいよう。過ぎ去る事を嘆かないでいよう。
――俺達は、生きているのだから。
決意を込め、俺は一人呟いていた。
「さて――始めようか」
◇
時は、もう随分と移ろいだように思える。
それがいつなのか、その時何を思っていたのか。
そんな事は、もう分からないけれど。
「この……舞……っ! 大人しく……ミルクを飲みなさい……っ!」
「あーうー!」
「お母さんやお姉ちゃんに対しては大人しいくせに、どうしていつもお父さんにはこう……っ! もう反抗期か!? パパ嫌いか!? 悲しいぞ……ってああ! こぼれた!」
「きゃっきゃっ」
「やべ……もうそろそろ二人が帰ってくる。早く拭かないと……!」
そんな会話が、扉の向こうから聞こえてきた。
「もう、お父さんと舞ちゃんは仲良しなんだから」
隣で困ったように、でも可笑しそうに苦笑する。それにつられて笑ってしまう。
「さあ、入ろっか。お父さんを助けてあげなきゃね」
二人で買い物袋を持っていたので、それぞれ空いた手で一緒に扉を開けて、家の中へと入っていく。
「ただいま。お父さん、舞ちゃん。……あらあら。二人共ちゃんと留守番出来たね、偉い偉い」
「あ……おかえりお母さん。最高に胸に突き刺さる嫌味をありがとう。さてはちょっと怒ってるなすいませんでした」
懸命に床を拭きながらも、笑顔を向けてくる。
「お姉ちゃんも、おかえり」
――それでも、確かにもうそれは繋がっていたのだろう。
だからこそ、こうして笑っているのだから。
「ただいま」
――おしまい――
最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。
改稿含め随分と時間をかけてしまいましたが、ようやく完結しました。しかし書いていて自分もとても楽しかったです。ヒロイン達がみんなここまで活き活きとしてくれるとは…。
もしも感想、レビュー等を頂けるのでしたらとても嬉しいです。
改めて、感謝申し上げます。ありがとうございました(ノД`)・゜・。
…最後に宣伝を。
冒頭でも言いましたが、下の方にあるリンクで、現在新しい連載もしております。今度は「王道ながら歪なファンタジー」です。この物語以上のものが書けるよう、今日も精一杯書いています。もしもよろしければ、見ていただけるととても嬉しいです。よろしくお願いします…!




