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心からのありがとう



   ◇



 世界が、消えていく。

 この世界に存在していた黒と白のたった二色のうち、黒すらも消えていく。徐々に白へと染まっていく。


 これで、この世界が終わる。




 身体は動かない。手も足も投げ出し、河原の上に私は仰向けに倒れている。

 それはまるで、枯葉にでもなったかのような気分だった。


「おい、ココロ! しっかりしろよ! どうしたんだよ……!?」


 その身体が揺すられる。

 私の目の前には、酷く動揺した様子の彼の顔が映っている。


「……」


 ああ、なんて愛おしい顔なのだろう。

 今までも、この人の色んな顔を間近で見てきた。

 悲しそうな顔、辛そうな顔。この人は、よくそんな顔をしていた。

 でも、楽しそうな顔も見せてくれた。その笑顔も素敵だった。

 それを見ると、私だって嬉しくなった。何も見ようとしていなかった私が、また見たいって思えるものになっていた。

 だから私は、それを守りたいって思えた。


「……コウ……ジ……」


 ……でもこれで、最後だ。

 もう私は、告げなくてはならない。


「ごめん……ね、コウジ。本当は、私は……『ココロ』はもう……死んでるの」


「…………え?」


 コウジの顔は一瞬硬直した後、無理矢理に笑みを作ろうとする。


「はは、なに……また馬鹿な事を言ってんだよ……? 嘘だろ……そんな……」


 その彼の言葉に、しかし私はゆっくりと首を振るしかなかった。


「……ううん、本当。私はもう向こうには――『現実』にはいない。この世界でだけ、『理想の文歌』と合わさる事で存在を保っていたけれど、今からこの世界も終わる。だから私も、崩れゆくこの世界と共に消えるの」


「……ッ! 何だよそれ!? 全く意味が分からねえよ! もういないって、何を突然! なんで……そんな事に……!」


 彼は戸惑い声を荒げかけたが、突然愕然とした表情を見せる。


「……まさか、俺のせいなのか? 君は……あの火事から俺を、俺達を助けようとしたのか……?」

「……」


 ゆっくりと、私は首を振っていた。

 違う。それはコウジ達のせいなんかじゃない。

 だって、私が自らの意思で、そうしようと決めた事なのだから。


「……酷いね、私も。あれだけフミカに対して偉そうに言っておきながら、結局は私も庇うという行為で自分を終わらせた。あなた達を残して、先に消えるという道を選んだ」


 私は二人の命を奪うはずだった、倒れる落ちるタンスに身を投じた。

 ただ、二人を守りたかったから。自分以上に、二人に生きて欲しかったから。

 そんな事をしても、残された者を――二人を悲しませてしまうのに。

 でも――


「……でも、それは決して褒められた事ではないけれど、しょうがない事なのかもしれないね。だって、例えこの身が無くなっても、それが結果的に悲しませる事になってしまっても、それでも守りたいものってあったんだもん。……こんな私でも、それを見つける事が出来たんだもん……」


 ――ええ、そうです。いつしか私は、とても綺麗なものを見つけていたのです。


 それはただ孤独に、その終わりを待つだけだった生の中で。

 何も見えはしなかった、本当に灰色だった世界の中で。


 きっとそれは奇跡だった。


 コウジがあの時、あそこで倒れていた私を見つけてくれた瞬間に、意味の無かった世界には色が灯った。

 そこから、二度と訪れる事はないと思っていた私の世界はもう一度始まっていた。


 それは本当に奇跡のように、夢のように、私はその幸せを彼らから貰った。


「だから私はずっと……返したかったの。あなた達から貰えた、このかけがえのない『贈り物』を。あなた達が持たせてくれたこの命の意味を、あなた達のために示したかった」


 ――だから私は、あなた達にそれを贈り返すのです。


 私は、彼らを救いたかった。

 明日に怯えていた彼らに、明るい未来を信じて欲しかった。

 そのために、「尊い終わり」を望んだ。

 だから「理想」は、私に力をくれたのかもしれない。彼らを救いたいという気持ちが、私にその人格と身体をくれたのかもしれない。


「この世界を造ったのも、そのため。あなた達をここへ連れて来て、心を癒してあげたかった。私がいなくなってしまっても大丈夫なように。そして最後に、あなた達と楽しく過ごしたかった。私達の思い出を……楽しいもので終わらせたかった」


 ――それは、短いようで長い、そんな旅でした。


 コウジ達と遊んだ、最期の一週間の旅。

 消えゆく私が望んだ、最後の願い。

 それももう、今終わりゆく。


 ――でも、私はそれで充分なのです。


「この旅路の果てで、私はやりたかった事ももう全部叶える出来た。コウジの言葉は確かに聞いたよ。あなたはもう大丈夫。……これでもう、何も思い残す事はない。――ここで、私の旅が終わる」


「ふざけるな!!」


 私を抱き起し、彼は怒鳴る。


「違うだろうが! これからなんだろうが……! この世界から出たら、俺は……また君と、五十鈴とやり直そうって思った! 都合がいいのは分かっている! 見捨てたのは俺のくせに、何様だっていうのは分かっている! でも、俺は足掻くって決めたから! 諦めないってここで誓ったから……!」


 私の肩を持つ手の力が強くなる。その手は、震えている。


「現実はやっぱりそれを許してはくれないかもしれない、また終わるかもしれない未来が来るかもしれない。でも、今度こそは怯えないでいようって……もう逃げないでいたいって……! どんなに苦しくても、辛くても、もう、絶対に手放さない……手放したくない! それなのに……それなのに……君はもういないって……なんなんだよ、それ……!」


 温かな雫が、私の顔の上に零れ落ちる。


「もう……泣いちゃだめでしょコウジ。これからは……前を向くんでしょ?」


 ちょっとした意地悪で彼にそう言ってしまった。

 本当に、この言葉はずるかったかもしれない。

 だが彼は自分の泣き顔を恥ずかしそうに拭い、精一杯私に言い返す。


「……うるさい……ッ! 君だって……泣いてるじゃないか……!」


 そう言われて、自分もまた涙を零している事に初めて気が付いた。


「……」


 もう未練はないはずなのに、満ち足りたはずなのに。

 ……ううん、違う。

 少しは悲しいのもあるかもしれない、辛いのもあるのかもしれない。


 でもこの涙は、嬉しくて流しているものだ。


「……当たり前じゃん。こんなの、泣くしかないじゃん。だって私はやっと――あなたに『ありがとう』を言えるんだから」

 

 ああ、そうだ。きっとこれが、私の本当の目的。

 それは彼らを救って、この刹那の世界に連れて来て、そして一番やりたかった事。


 あなた達に、心からの「ありがとう」を伝える事。 


「ありがとう。あの日、河原で私を見つけてくれて。終わるはずだった私の生は、またあそこから始まった。もう来ないと思っていた明日は、あなたがくれた」


 始める事に、意味はあるだろうか?

 だってそれは、必ずいつか終わる。

 悲しみを生んでしまう。


「ありがとう。毎日私と遊んでくれて。私の心の寂しさは、あなた達が奪ってくれた。温もりを知った、笑顔を知った。私はもう……孤独じゃなかった」


 それを誰しも嘆きたくなる時があるのだろう。

 辛いのなら、悲しむだけなら、最初から始めなければ良かったと。

 そして、孤独を感じてしまう。

 自分は結局、誰からも愛されはしないのではないのだろうかと。


「ありがとう、私の頭をいつも撫でてくれて。ありがとう、いつもおいしいご飯をくれて。……ありがとう……私の、そばにいてくれて……っ」


 でも、どうか忘れないで。

 あなたのその覚悟は、勇気は、きっと他の誰かも救っているんだって。

 あなたという存在は、決して孤独なんかじゃない。いつも誰かと繋がっていて、誰かに影響を与えている。

 始めれば、変われば、その誰かだって変わる事が出来る。

 だから、決してそれは無意味なんかじゃない。


 あなたはいつだって、誰かから愛される事が出来るんだよ。

 

「あなたという存在は、こんなにもたくさんのものを私にくれたよ。私は、こんなにもあなたに救われたんだよ。もう私は……あなた無しの生なんて考えられない。私の明日は、あなたとの明日になった。こんな私でも、誰かを愛する事が出来た。だから、本当にありがとう……コウジ……! ――大好き……だよ……っ」


「……っ! お礼を言わなきゃいけないのは……俺の方だ……!」


 コウジは涙を抑えようとして、でも止める事は出来ず溢れて来て。でも、言葉だけは精一杯紡ぐ。


「君と出会って……どれだけ俺は救われたと思っている……! 君がそばにいてくれて、どれだけ俺の心の支えになってくれたと思っている……! 俺だって同じだよ、もう俺には……君のいない明日なんて考えられない……!」


「……」

 嬉しい。コウジにそう言って貰えて。

 私の命は、ちゃんとあなたのために意味を持っていた。

 私は、生きていて良かったんだ。


「だからこの夢から覚めた俺は、どうすればいいんだよ……! 嫌だ……君のいない世界で、俺はどうすれば……!」


 だからこそ、私はあなたにこう告げよう。

 残酷にも、でも深い祈りを込めて、あなたにこう言おう。




「生きて、コウジ」

  



「……ッ!?」


 その言葉に驚く彼は、酷く間の抜けて情けの無い顔だった。

 まるで幼い子供が母親に見捨てられて途方に暮れているかのような、そんな顔だ。

 きっと彼には、私が彼を突き放してしまったかのように聞こえてしまったのだろう。


 でも、許して欲しい。

 あなたはこれから、私を置いて明日を生きなくちゃいけないのだから。

 悲しみに押しつぶされない強さを、持って欲しいから。


「私はもういなくなるけれど、明日をあなたとは見られなくなるけれど……それでも、あなたは生きるの。私の分まで、あの広い世界でたくさんのものを見て、たくさんのものに触れて、色々な事を感じて。きっとそれは楽しい事ばかりじゃない、苦しい事の方が多いかもしれない。それでも、きっとその先で……あなたは意味を見つける事が出来る。『答え』を……見つける事が出来るよ」


 大丈夫だよ、コウジ。きっとそれは必ず見つかる。

 だって私も。それにマイだって。それを見つける事が出来たのだから。


「そして、人生を楽しんで。私の分まで。心ゆくまで。あんな嘘だらけな世界で……いつか失うって分かっている世界でもさ、それが出来たら――痛快じゃない。私、あなたにそれをして欲しいな。それが、卑怯にもあなたを生かした私が、あなたに託す願いなんだ」


 涙にぬれた顔をくしゃくしゃに歪め、私は心からの笑顔を見せる。

 これから旅立つ、あなた達を送りだす言葉を精一杯紡ぐ。




「ねえ、笑って。悲しくても、辛くても、どうか最後は笑っていて。そしていつか、生きる事を……そんな世界を、どうか『素晴らしい』って――そう言ってみせて……コウジ……」




「……本当に、卑怯だな……君は……」


 コウジの涙は止まらない。

 ずっと情けなく、涙を零し続けている。

 ……でも、その顔のまま。


 彼も精一杯の笑顔を作ってくれた。


「命を懸けてまで、『終わり』を望んでまで、君がそんな願いを託してくれるのなら……俺はそれを、全力で叶えてみせるしかないじゃないか……! それがどんなに重くても、どんなに残酷でも……俺はそれを、受け止めてみせるしかないじゃないか……っ!」


「……」


 私も笑って、僅かに残った力で手を上げる。その手で、ゆっくりと彼の頭を撫でてあげる。

 強くあろうとしている彼を、前に進もうとしている彼を励ますように。




 それと、もう一つ。


「高山君」


 その頭に手を置いたまま、「理想の文歌」として私は彼の名を呼ぶ。

 それは彼女から託された思いを、遂げるために。


「もう一人の『私』を、どうかお願い。見た通り弱虫で、頼りない『私』かもしれないけれど、どうかこれからも君があの子のそばにいてあげて。嫌いにならないであげて。きっと……あの子だって変われるから」


 ……ねえ、これでいいのでしょう? 「理想の文歌」。

 あなたは、フミカ自身も救ってあげたかったんだよね。

 そのために、あなたは現れたんだよね。

 だから、虚しくもすれ違い続けた二人を今度こそ結びつけるため、私は少し叱りつけるように彼に言った。


「だから、もう二度と『私』のためだからって『私』から離れないで。もう君自身からも、『私』からも逃げようとはしないで。次そんな事したら……許さないんだからね……!」


「……ッ!」


 彼は驚き、逡巡するような様子を見せる。


「……俺で……いいのかな……? 俺は、彼女の隣にいていいのかな……?」

「馬鹿、君しかいないじゃない。誰が、あの子の弱さを受け止めてあげられるの?」

「……」


 しばらくしてから、彼は私を見つめた。

 相変わらずの泣き顔のままで。でも、その目にははっきりと決意を灯して。

 彼は、頷いてくれた。


「……そうだな。もう、後悔だけはしたくない。自分に嘘はつきたくない。だから俺も、五十鈴の隣にいられる未来を願う。今度こそ彼女に、俺はこの気持ちを伝えていきたい。これからも、ずっとずっと……!」


 その言葉に、私の顔は自然と緩んでしまった。


「……それでいいんだよ、コウジ。……よか……った……」


 そう言って。

 彼の頭に乗せていた、私の手も落ちる。


 視界が霞む。舞い上がり始めた光の粒が、その視界の端で煌めいていた。




 気が付けば世界は、もうほとんど白く染まっていた。もう、私にも力が残されていない。


「ココロ……ココロ……っ!」 


 コウジは酷くうろたえた様子で私の名前を呼んだ。

 私の身体も光に包まれ、薄く消え始めたからだ。


「……ここまで……か……」


 そろそろ時間だ。ここまでが、もう私の全て。


 これが全ての終わり。そして――全ての始まり。


 でも、もう全部伝えた。もう、何も言い残す事はない。


「これで……もう本当にお別れだね……。ごめんね。……そして――ありがとう」

「ココロ……!! おい……! 待てよ……待ってくれよ、ココロ……!!」


 顔をぐしゃぐしゃにして、声も裏返らせてしまって。

 そうやって泣き叫ぶ彼へ――でも最後に私はまた笑う。

 私自身も、涙を零し続けて。


 最後の言葉を、彼に贈る。


「――さようなら……コウジ。さようなら……大切な人。生きていて良かった。楽しかった。最後に、あなたとここで旅が出来て……本当に良かった――」




 輪郭が崩れる。時が止まる。

 その世界は、終末を迎える。


 やがて残ったどこまでも続く白と、そこを舞う光の残滓の中で。


「ココロおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」




 ――彼の叫び声だけが、いつまでも響いていた。


 

 

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「終末へのココロギフト」を読んでいただきありがとうございます!よろしければこちらより、現在連載中のファンタジー 「そして勇者は、引き金を引く〜引きこもり少年と怪物少女の、異世界反逆譚〜」 も読んでいただけるととても嬉しいです!よろしくお願いします…!
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