最終決戦
◇
「効いてる……?」
「マイ」から託された機関銃に撃たれ、さっきまで恐ろしい勢いで飛び交っていたはずの触手の数本が溶けるように萎びていくのを見て、俺はそう呟いていた。
見ていた限りでは、いくらジン達が攻撃を加えても衰えるどころか取り込んでさえいたあの漆黒が……。
しかし油断している場合では無かった。まだ残っている大部分の触手達が、勢いよく俺に迫ってくる。
「うわ……っ!」
それらが触れる直前、しかし俺は何かに凄い速さで掴まれて宙に浮いた。
ココロだ。俺を機関銃もろとも抱きしめるように掴み、触手を避ける。
「――悪いけれど、やっと見つけたこの勝利のカギだけはそう簡単に渡せないね。……あ、コウジお帰り! ぎゅーしてあげるね!」
「おいこら馬鹿やめろお前の力でぎゅーされたら俺の骨とこの機関銃が砕けんだろ台無しだ。というかこの体勢地味におかしいだろ……!」
俺を救出するだけにしてはやたら接触面積が多い気が。なんか色々柔らかくて動揺し、俺は空中でじたばた暴れてしまう。
「こらこら動いちゃだめだぞコウジ、落ちちゃうよ」
そこまで言って、彼女は微笑んだまま柔らかく目を細める。
「……ありがとう。戻ってきてくれて」
「……」
急に恥ずかしくなって、俺は彼女から目を逸らした。その様子を見て彼女はもっと嬉しそうな顔をするから堪らない。話も逸らすべく俺は質問をした。
「ココロ。この機関銃は、一体……」
ちらりと前を見て、触手がすぐにはこちらに迫ってこない事を確認してから彼女は答える。
「昨日も言った事だけれど、『マイ』は人になりたかったの。その目的はあの黒い記憶のカケラ――『反転したマイの残滓』も同じ。そのために必要なのが彼女自身の『情報』。それがここには無いから、あれはああやって暴れ続けるしかない。……あんな姿になっては、どの道それを取り込めた所で自然消滅するしかないのにね。でも逆に言えば、そのマイの『情報』を与えればあの漆黒は大人しくなる。丁度、あの溶けた触手のように」
「……! じゃあ、このマイの機関銃が……」
その目に確かな希望を灯し、彼女は頷く。
「正確には、『マイの情報に限りなく近いもの』なんだろうね。マイと一緒に造ってから、あの子にずっと肌身離さず持たせていたものだもの。この子が、きっと『彼女』を一番良く知っていたのかもしれない。それは『マイの情報』とほとんど遜色が無いくらい。つまり、これから発される情報が――弾が、あの漆黒には今この世界で一番有効な物体だという事。……マイと一緒に消えてしまったとばかり思っていた。よく見つけて来てくれたね、コウジ」
「……」
その腕に抱える機関銃を俺は再び見つめる。
あの砂浜で、別れを告げに来たマイ。
そして、目が覚めたら目の前に置かれていたこの機関銃。
この時俺は彼女の意図を、覚悟を、完全に理解する事になる。
それを知った上で、俺は再び災禍の中心――黒い記憶のカケラを見据えていた。
「頼む、ココロ。俺とこいつを、あそこまで連れて行ってくれ……!!」
「……もちろん。そのつもりだよ」
彼女は地面に降り立つ。そこには残った数体のジン達が集まっていた。
俺はココロから解放されたのもつかの間、すぐにその後ろからひょいっと掴まれる。
「うお……!?」
この感覚には覚えがある。物凄い力で引っ張られているのに動きはやたら滑らかで丁寧な感じ。
ジン達の中でもひときわデカいその一体――巨大ジンは俺をその肩部分に乗せると、背中から勢いよく影の翼を生えさせる。
「お願いね、巨大ジン。キミがコウジを運んで。援護は私達が全力でやるから」
そのココロの言葉に巨大ジンはこくりと頷くと、羽を大きく羽ばたかせ俺と機関銃を運びながら飛翔する。それに続くように、ココロとジン達も地面を蹴った。
「先に言っておくよコウジ! ――フミカは、生きているよ!」
「……!」
後ろから突然そう告げてきたココロに対し、俺は思わず振り向く。
「だからこれは彼女の弔い合戦には成り得ないし、しかも私達が負けた所で彼女が死んでしまうものでもない。やる気を削ぐようで悪いけれど……それでも、キミには戦う理由はあるの?」
「それは、どういう――いや、だからこそ後でじっくりと聞かせてもらおう。お前には説明してもらいたい事が山ほどあるんだ。だからこの戦いに勝利して俺も生き残るし、お前にも生き残ってもらう。それに――」
首を振って彼女に答えた後、俺はまた黒い記憶のカケラを睨んでいた。
「俺は、五十鈴をあんな風に泣かせたあの野郎に一発ぶち込んでやりたい。ただ、それだけの事だ!!」
「……言うじゃない。流石、フミカの惚れた男なだけはあるね。おーけー、キミの背中を全力で守ってあげる理由としては、十分過ぎるというもの」
偽らざる俺の本心を聞いたココロはくすっと笑った後、右手に刀を生成して戦闘態勢に入った。
俺も、不思議と扱い方を熟知出来ている機関銃を構える。
「さあ、行こう。今度こそ私達の手で――」
「――ああ。俺達の手で、マイを終わらせる!」
ヒーローが二人、最後の戦いに臨む。
それは、一人の少女の最後の願いを叶えるために。
それは、一人の少女を救い出すために。
◇
まだ残っているビルや電柱を次々と蹴りながら、私達は跳躍していく。空間に入ったヒビのようにも見える、四方八方へと伸びる触手の中心――黒い記憶のカケラを目指して。
そんな私達が並翔する形で付いていっている巨大ジンの上で、コウジは一斉に迫ってくる触手に向けて発砲を続けていた。
私達がどれほど頑張っても数を減らす事が叶わなかった触手達が機関銃に撃たれ、次々と真下の瓦礫の山へと沈んでいく。
もちろん油断は出来ない。まだまだたくさんの触手が残っており、それらが次々と私達目掛けて迫ってくる。
「……くっ」
向こうから彼の呻き声が聞こえる。数本の触手が弾幕を掻い潜り、コウジへと迫って来ているのだ。
「さて、これは私達の仕事だ……ねっ!」
私は両手に刀を、それぞれ指の間に挟むように四本ずつ生成。すぐさまそれらを投擲する。
飛んでいった刀達は狙い違わず触手達へと突き立った。もちろんこれであの触手は消せないし、刀の方が取り込まれてしまう。
だが、一瞬だけ動きを止める事は出来る。
「助かる! ……というか、日本刀をクナイみたいに投擲するとか滅茶苦茶だな!?」
「だって刀の使い方とか、よく分かんないし! とりあえずもうぶん投げてます!!」
「武士に謝れ!!」
そんなやり取りをしつつコウジはその隙にそれらに向けて発砲。迎撃に成功した。
これでいい。倒す事は出来ないが、私達はこんな風に彼のサポートに徹する事なら出来る。
すると、ついに向こうも本気になったのだろう。膨大な量の触手を全て集め、一斉にこちらへと伸ばしてきた。
先程私もやられそうになった、雪崩にも近い圧倒的な物量での攻撃。いくらなんでもこれは捌ききれない。
「コウジ……!!」
「……ッ!」
機関銃の連射を続け、雪崩の中で何本かの触手は消えていく。すると所々で僅かばかりの隙間が出来た。
「避けるよ! 各自あの中へ入って!!」
その隙間目掛けて移動し、一瞬後には視界全てが黒に埋め尽くされる。私は何とかその中に入りきれていた。
しばらくしてからまた黒い雪崩は引いていく。視界が晴れてから、すぐに辺りを見渡していた。
「……ッ! みんな、無事!? コウジは……え?」
他のジン達の安否確認すらも忘れ、愕然となる。
確かに、巨大ジンは健在していた。
だが、その背に乗せていたはずのコウジの姿が見当たらない。
「そん……な……まさか……。コウジ……コウジいいいいいいいいいいっ!!」
そんな私の叫びに対して触手達は嘲笑うかのように蠢き、再び一斉に私達に襲い掛かってくる。
もう、どうしようもない。コウジと機関銃を失った今、私達にこれ以上の勝機は――
「――おいおい。下がガラ空きだぞ、このタコ野郎!!」
そんな、いなくなったはずの彼の声と共に黒い記憶のカケラの真下から大量の銃弾が放たれた。
「……へ?」
そこに、コウジの姿はあった。
一体のジンに抱え込まれながら、彼は真上に向けて機関銃を乱射しまくっている。
それらが記憶のカケラにまで至る事は無かったものの、ほとんど根本から狙われた触手達はごっそりと数を減らしていく。
残った触手達がようやくコウジの存在に気付きそちらに迫り出した頃を見計らって、彼を抱えたジンは移動し、何食わぬ顔でこちらに戻ってきた。
「な、な、な……」
巨大ジンの所まで戻ってくると、やけに上機嫌そうなコウジとそのジンと巨大ジンが仲良さそうにハイタッチをし合う。
「いえーい大成功! 本当に凄いのな、お前ら。生きた心地がしなかったぜ、はははっ」
「……説明して、コウジ」
「ん、おお無事でよかったココロ。いやな、あの雪崩が到達する直前、巨大ジンに俺をあの範囲外までぶん投げて貰ったんだわ。もう凄い速度、腕とか取れるかと思った。んで、あらかじめその着地点に待機して貰っていたジンにキャッチされた。そのままダッシュして貰って俺を仕留めたと思ったあのお馬鹿のがら空きの懐にまでまんまと忍び込めたと。いやぁ、まさかここまで上手くいくとは……」
「……こんの、お馬鹿-----っ!!」
「ぽぴッッッッッ!!!?」
話に耐えかねた私は、コウジの脳天にチョップをかましていた。ついでに共犯者のジンと巨大ジンにも。
「おまっ……何て事を……頭割れる……馬鹿になる……、今後の戦闘の支障になる……っ」
「そんな事を平然とやってのける人はもうすでにお馬鹿なんですぅ! もう、キミってばどうしてすぐにそういう無茶な作戦を黙って実行しちゃうかなぁ!? 肝が冷えたこっちの身にもなってよね! ジン達もちゃっかり協力してるし! 悪ガキ達の悪だくみかっ!!」
「いやほら言うじゃないか。相手を騙すには、まずは味方からと」
「……ここに、二撃目があります。コウジはどうしますか?」
「すいませんでしたあああああっ! 伝えている暇もありませんでしたああああああっ!!」
そんなお馬鹿コントを繰り広げている間にも、触手達はまた体勢を立て直して私達へ襲い掛かってくる。
「……っ、もう。お小言はこの辺にしておいてあげる。でも、もうこんな事しちゃだめだからね!」
「……まさかココロに怒られようとは。ああ、もうしないよ。あとは正攻法で勝つまでだ!!」
そんなやりとりと共に、私達は再び布陣を整えて突入を開始した。
『申し訳ありませんでした』
跳躍しながら、私の隣までやってきたジンがまた頭に直接響くような声でそう言った。さっきコウジの悪だくみに参加していた、そしてさっきも私と話していたジンでもある。それに対し、私はふれくされたように答えた。
「……いいよ、もう。あの漆黒に痛手を負わせられたのも事実だし。それに、コウジもすっかり調子を取りもどしているようで安心したし。悔しいけれど、キミ達が私を離反して行動したのも嬉しく思っているよ」
『ありがとうございます。それにしても、形勢逆転ですね』
「……ね? 諦めないで良かったでしょ?」
『ええ。このような展開、我々には予測する事が出来ませんでした。最後まで分からないものなのですね、生きているうちは』
「そういう事」
話しながらも、行動は怠らない。
コウジが打ち漏らした触手を、ジン達が移動して攪乱し、私が刀で動きを止めていく。そこへコウジの弾が命中していく。
だが、どうしても撃ち落としきれなかった触手が私目掛けて迫ってきた。
「……!? しまっ……」
だがその直後、私は何かに強く突き飛ばされた。
「な……!?」
さっきまで私の隣で話していたそのジンが、私と位置を入れ替えるように押し出したのだ。
『――最後が分からないというのなら。私達の手で変える事が出来るのならば。私の最後を、あなた達に託します』
「……キミ……」
『後は、頼みましたよ。我らが親愛なるマスター』
その声を最後に、彼は触手に呑み込まれる。私を庇って。
直後に、こちらに向けて飛んできた弾に打たれて触手は沈んだ。
「……もう、カッコつけちゃって。今まで消えていった、他のジン達に恨まれちゃうぞ……?」
らしくもなく寂しそうにそう呟いてしまった後、私はすぐに気を引き締めて前を向く。
無駄になどしない。今散った者、今まで散った者、そしてこれから散る者全てを。
弾幕を潜り抜けて迫る触手を刀で刺し、時にはジン達自らが誘導し、更には突っ込んでその存在を消す。
いつの間にか私の周りからジン達はいなくなっていた。皆、勇敢に戦って逝ったのだ。
でも触手の数は殆ど減り、私達はもう間近にまで黒い記憶のカケラへ接近出来ていた。
触手達も最後の攻撃、といわんばかりにまた残った全ての触手をこちらへと向けてくる。
それらを弾幕で制し、潜り抜けてきた触手も刀を突き立て、しかしそれすらも掻い潜って迫る触手達が多数。
その時、コウジの乗っていた巨大ジンが形を変える。
その膨大な影があっという間にコウジを包んだかと思うと、まるで爆弾のようにそこを中心に一気に破裂し、迫っていた触手達に影の衝撃波が直撃。巨大ジンの身体を張った渾身の一撃に、それらは全てが一瞬動きを止めてしまう。
そして爆弾の中から出てきたコウジがすかさずそれらを打ち抜く。
これで、全ての触手が消えた。
空中に浮くコウジの目下には、むき出しの黒い記憶のカケラ。
「いっけええええええええ!! コウジいいいいいいいッ!!」
彼に向け、私は声を張り上げた。
◇
巨大ジンすらもいなくなり、俺は落ちているはずなのに浮いているように感じた。
それほど、時間の流れを遅く感じているのだろうか?
黒い記憶のカケラを見つめ、機関銃を向ける。
これで、終わる。
――間一髪、でしたか――
出会った頃の事を、思い出していた。
――もっと、綺麗なものを見せて欲しいです――
打ち解ける事が出来た頃の事を、思い出していた。
――あたしは本当に、幸せでした――
別れを、思い出していた。
やはり今でも分からない。何で終わらなくてはいけないのかなんて。
何であんなに楽しかった時間に終焉があるのかだなんて。
でも、下を向いてはいられない。
嘆いているだけでは何も変わらない。
終わる事は止められないのだから、永遠なんて存在しないのだから。
強く、なれるだろうか。
これからも進めるだろうか。
……いいや、進まなければならない。前を向かなければならない。
そう、あの子と約束してみせたのだから。
「やっと、俺はお前に言えるんだな」
引き金に指を掛ける。未来へ続く、その引き金を。
過去との決別のためのその一押しを。
「さようなら、マイ」
『はい』
そんな声が、聞こえたような気がした。
◇
ヒビ割れた記憶のカケラが、瓦礫の山の上に横たわった。
元々は灯っていたはずの青い光も消え、灰色となっているがもう漆黒は一切感じる事は出来なかった。
これはもう、「解放」ではないのだろうが。
黒い記憶のカケラを撃った直後、ココロは落ちる俺を受け止めて着地してくれた。嬉しそうな、でもどこか悲しそうな、そんな複雑な表情で。多分、俺もそれに近い表情をしていたのだと思う。
「五十鈴……! どこにいる、五十鈴……ッ!!」
漆黒に呑み込まれてしまったはずの五十鈴を探そうと辺りを見渡し始めた俺を、だがココロは制する。
「残念だけれど、もうフミカは『ここ』にはいないよ。彼女の身体を構成していた『情報』は触手に分解されてしまったから。あの子は、一足先にもう『向こう』で待っている。……そしてキミも、ね」
「一体、何を……『ここ』? 『向こう』?」
今までもよく耳にする度に釈然としない気分になっていた、『情報』という言葉。
そして更に出てきたよく意味の分からない彼女の言葉に疑問符を浮かべると同時に、さっき見ていた『記憶』を思い出す。
五十鈴の家が燃えていた。
俺は彼女の元まで行き、そこで倒れてしまった。
そして二人共死を迎えようとしていた。
あの記憶が実際に起こった事であるのならば、今のこの『俺』は? そして『ここ』は?
「……俺達は、一体……?」
その質問に答える代わりに、彼女は辺りを見渡していた。
もうすっかり原型を留めてはいない、街だった瓦礫の山々。
なぎ倒された木々。
大きく亀裂の入った大地。
ぼろぼろになってしまった世界。
「……これはどの道、修復も相当骨が折れちゃうよね。この二日間全然『情報』供給も出来なかったし」
そう呟いた後に彼女は再びこちらに振り返り、微笑みかけた。
「うん。明日、この世界を出ようか。コウジ」




