生きる理由
◇
絶望的な戦いは続いた。
状況が変わる事はない。ジン達はどんどん触手に消されていき、埋め尽くすほどにいたはずのその数がいつの間にかもう数えるほどになっていた。
そしてあの触手の破壊も、止まる事はない。
街は、景色は、世界は。どんどんあの黒い記憶のカケラによって破壊され、吸収されていった。
戦場になっているここら一帯に至っては特に酷い。建物はほとんど瓦礫と化し、木々もなぎ倒されて、地面にも幾つもの深い谷が出来て、撒き上がった塵でただでさえ灰色である空は更に暗い。
世界は、本当に「滅亡」してしまったかのような様相を見せている。
「……ふぅ」
残った数体のジン達と、幸いまだ残ってくれていた一体の巨大ジンを一旦集め、撤退した先の瓦礫の山の影で私は思わずため息をついていた。
絶望でも、諦めでもない。ただ単に気合を入れ直すためにそれは出たのだろう。
……滅亡なんかしていない。だってまだ私達は生き残っている。まだ終わっていない。
諦めるのは、本当にどうしようもなく負ける間際にすればいい。
絶望するのは……いや、最後までしてなどやるものか。あんなもののために、心まで折れさせてやるつもりはない。
「もう少ししたら、またあれに突入するよ。もうこんな数だし、固まっての一点突破でいこうか」
一緒に隠れているジン達に私はそう告げると、彼らはいつも通り従順に頷き――はしなかった。
ただ微動だにせず、「顔」をじっと下に向けたままだ。
「どうしたの?」
そう聞くと、一番前にいたジンが顔を上げる。
『マスター。あなたは、戦いを放棄はしないのですか?』
テレパシーのように、頭に直接響いてくる声で彼はそう言った。
「……え?」
『状況は最早絶望的です。私達は数をほとんど失い、黒い記憶のカケラは未だ全く動きが衰える様子もない。僭越ながら述べさせていただきますと、ここからどう足掻いても私達の勝利は不可能でしょう。それは、あなた様が一番良く分かっていらっしゃるはず。それなのに、何故このような無謀な戦いを?』
その言葉を聞いて、私は少し呆然としてしまった。
彼の言う事に怒りや絶望を覚えたのではない。ただ純粋に、そう彼が言った事に驚いてしまったのだ。
ジンは私が造った、私の命令に従順に従うだけの存在であった。今までも私の言う事に一切意見などはせず、ただ指示通りに動く人形のようなものだったのだ。
そんな彼らが、今私の行動に疑問を持っている。おかしいと「感じて」いる。
何故?
それを少し考えて、すぐに分かってしまった。
「……ふふっ」
思わず、私は笑みがこぼれてしまう。
『いかがなさいました? マスター。何故、笑うのですか?』
「……いやね。私がこの世界で造った存在って、結局みんなに心が宿るんだなって思ってね」
それが、私の下した結論。彼らには心が宿ったのだ。
『心? 私達に、ですか?』
「そうだよ。だってキミ達は、私に疑問を『感じて』いる。私の心理を『知りたい』と思っている。ねえ、それだって立派な感情じゃない。マイと同じだよ」
彼らも、人に近づいていた。近づこうとしていた。
でも、それほど大きく驚く事も無かった。
マイに心が宿った時点で、彼らもそうなるのではないのかと薄々感じてはいたから。
「あーあ、もしあの記憶のカケラを退けたとしても、今度はキミ達があれに成り代わってしまうのかな? なーんて」
『いいえ。もうそんな事態は起こさせません。なんなら今この場で私達を消し去って下さっても』
淡々とした音声のはずなのに慌てた様子が伝わってきて、私はまた思わず笑ってしまう。感情を手にした彼らに言ってみたくなった、冗談だ。
……そう、それは冗談なのだ。
もう、どの道これ以上そんな事は起こり得ないのだから。
「ねえ。心を手にして、キミ達は自分でどこか変わったと思ったところはある?」
質問に答える代わりに、私は彼らにそう質問を返していた。
『変わったところ、ですか? 申し訳ありません。これは初めての感覚であるため、まだよく分からないです』
「うーん……そうだね、ならもう戦いを放棄して好きにしていいよって私が言ったとしよう。キミ達はどうする?」
彼らは一斉に顔を見合わせた後、また先頭の彼が答えた。
『それでも、私達はあなたに付いて戦うのだと思います』
「へえ、それはどうして? キミ達こそ無理だと分かっていて、どうしてそうしようとするの? 言った通りキミ達には感情が生まれた。それなら、『拒否』という感情だって示せる。それなのに、無謀なこの状況でそれを示さないのは何故? 言っておくけど、私はキミ達に忠誠心なんて植え付けていない。そして意志を持った今、キミ達はもう私に無理矢理動かされているわけではないからね?」
想像通りの答えが返ってきて嬉しくなり、私のいじわるは更に加速してしまった。
彼らだって充分に矛盾してしまっているのだ。心で無理と分かっていながらも彼らだって戦っている。立ち向かっている。
心のある今、それは紛れもない彼ら自身の意志で。
少し考えて、彼は答えた。
『あなた様への敬愛、でしょうか。心を持った私達になら分かる。あなたは慈悲深く、思慮深く、従うに値する主だと。だから疑問を持ちながらも従うのだと思います』
「あはは、ありがとう。こんなにキミ達を失わせてしまって、それはないのだけれどね。そう言ってくれるだけでも嬉しい。……でも、本当にそれだけ? もしもそれ以外の理由でこの戦いに臨もうとしているのなら、それを教えて欲しいな」
『それ以外。ならば――』
そこから先程以上に間が空いた後、彼はまたこう答えていた。
『――どうやら残りたいと、思ってしまっているのでしょうか。例え消滅からは逃れられないと知りながら、それでも私達はそれを素直に受け入れる事が出来ないようなのです。おかしな事だと知りながらも、出来るだけ長くここに留まっていたいのだと、そう考えているようなのです』
「……そう、それでいいんだよ。きっとそれが答えなんだ」
その答えに、私は満足気な笑みを浮かべた。
「諦めたくはないんだ、目を逸らしたくはないんだよ。私達は。無理だと、不可能だと分かっていながらも、心はどうしようもなくそれを望むんだ」
それは「生きて」いく上で、そうなってしまうものなのかもしれない。
生まれて、感情を持って。たくさんのものに触れて。
そうしているうちに、私達は足掻く事を、頑張る事を知る。
世界は理不尽にあふれている事を知ってしまう。あっという間に過ぎていく生で、どうしようもない終わりばかりが待ち受けているのだと知ってしまう。
だからこそ、それでも最後まで目を逸らしていたくはないのだと願う。
ただ悲しむだけではいたくないのだと。絶望し、その場で立ち止まってしまいたくはないのだと。
だって私達は、愚かにも次なんてものに希望を抱いているのだから。
意味のない生なのだと知りながらも、それでも心は諦めきれずに願いなんてものを持ち続けている。
行先を見失ってしまった旅人のように、明日の命も分からない兵士のように、それでも光の見える果てを探す。次にまた、眩く照る朝日を見る事を夢見る。
そんな、今日という尊い終わりを――そこから続く明日という未来を目指す。
それは実はどこにも無いのかもしれない。いや、きっと無い事の方が多い。絶望しか無くて、悲しむ未来しかないのかもしれない。
それでも、私達はどうしようもなくそれを追い求めるのだ。
僅かな可能性でもいい、今度こそ理想の未来に立つ自分に出会いたい、大切な誰かの希望になりたい。そんな未来を望んで、私達は進み続ける。長い旅の果てを目指し続ける。
そんな逡巡と葛藤に塗れた行先こそを、「これが自分の選ぶべき、進むべき道」なのだといつか誇りに思いたいから。
それを――生きているという事だと信じていたいから。
だから――
「――私は戦う、最後まで。足掻いてみせる、希望を抱いてみせる。いつか彼女の願った終末、私の望んだ結末。ただ、それだけを夢見ているから。これが――私の選んだ道だから……!!」
『マスター』
そう言ったジンは、またしばらく無言だった。
考えているのだろう。迷っているのだろう。その芽生えた心で。
それでいい。それが私には嬉しい。
ただ命令を果たすためだけに存在させたはずだった彼らが、初めて自らの意志で決断をしようとしているのだから。
そしてその無言の先、やがて彼はこう言った。
『――ならば、私達も共に戦わせて下さい。私達も、最後までここで生きさせて下さい。この命を、誰かの為に、明日の為に。これが、今ここで生きている私達の望みです』
その場にいたジン達全員が私に向けて跪く。それはまるで、覚悟を決めた戦士達のように。
「……キミ達……」
そう言い切ってみせた彼らに対し、私も返す。
これは「命令」などではない。
――共に生きる、戦友達への最初で最後のお願いだった。
「ありがとう。……力を、貸してくれる?」
『はい』
全員で物陰から出ると同時、一斉に黒い記憶のカケラへと向かって走る。
あれもこちらに気付いたようだった。触手を何本もすごい速度でこちらへと伸ばしてくる。
「行くよ!! 走って!!」
負けない。立ち止まらない。
私達は、ただ希望を目指して進み――
目の前まで迫っていた触手達が、連続的な銃声と共に千切れるように消し飛んだ。
「……え?」
横の、銃声のした方を見る。
瓦礫の山の上に立つその人物を。
「――分かんねえよ。どうして終わらなくちゃいけないのかなんて」
その人は、大きな機関銃を抱えていた。嘗て、あの子が持っていた相棒を。
「認めたくなんかねえよ。大切な人達と別れていかないと、俺達は生きてはいけないだなんて」
悔しそうに、悲しそうに彼は俯く。でも、次の瞬間に彼は顔をあげていた。
「でも、希望はあるって知ったから。意味はあるって分かったから。あの子と、俺はそれを見つける事が出来たから。――だから、せめて足掻いてやる」
その顔には、もうさっきまで見せていた辛さも、迷いも無かった。
それは決意。嘆くだけであった自分の弱さを断ち切り、前へ進もうとする意思。
その人は――コウジは、明日を見つめる覚悟を決めていた。
「見つけてやるよ、尊い未来を。何度終わろうとも、打ちのめされようとも、その度に俺はまた自分の、誰かの幸せを探し求める。理由なんて全部この心の内にあるんだ。それが、俺が過去から託されてきたものなんだから……!」
「……コウジ」
その言葉を聞いて、私は自然と笑みが零れてしまった。
(そっか。キミも、そう思えるようになってくれたんだね。キミも、生きる事と戦ってくれるんだね)
彼も、「終わり」を望んでくれた。
終わる事にただ震え続けていた彼の姿は、もうそこには無かった。
(色々あった。キミを悲しませてしまった。……それでも、私はキミを「ここ」に連れて来て良かったんだ)
これでもう、何も心配はいらない。
――ねえフミカ。キミの信じた人は、きっとキミを助け出しにいくよ。