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破滅する世界

 


   ◇



 家を出た俺は、気がつけばいつもの河原にまで歩いていた。


 胸中は不思議と静かなものだった。だが、ただ落ち着いているわけではない。

 憂いて、苦しんで、くたびれて、そしてすっかりと感情が抜け落ちてしまっているのだろう。

 そんな何もない無になってしまった俺は、ただ呆然と河原を見つめる。


 思い出の場所、大切な場所。

 もちろんそこに五十鈴とココロはいない。

 ここももう、終わってしまったのだから。


 どうしてまた、俺はここに戻って来たのか。

 戻れないと分かっているのは、他でもない自分だというのに。


「……五十鈴、ココロ……」


 それでも俺は、やはりここに来ずにはいられなかったのだろう。ここはそれだけ、特別な場所になっていた。


 家族を失い。

 友達を失い。

 全てを失いかけていた俺が、最後にたどり着いていた場所。


「いなくなってしまう前に、俺はお前達に出会えて良かったよ。……本当に、ありがとう」


 俯き、最後の憂いを消すために誰もいない河原に向けて呟いた時だった。


 もう聞こえるはずのない、猫の鳴き声が聞こえてきた。


「……え?」


 顔を上げると、いつの間にか目の前にいた猫が――まだ包帯の残っているココロが、じっとこちらを覗き込んでいる。

 まだ傷は癒えていない。立っている四肢も微かに震えている。

 そんな状態で、彼女はここに来ていた。


「ココロ……? どうしてお前が……。五十鈴はどうしたんだ?」


 当然ココロは何も答えなかったが、ずっと俺の方を見て何かを伝えたそうにしている。

 そうしていたのもつかの間、彼女は振り返ってこちらに尻尾を向けると、ふらふらと歩き始める。付いてきてと言わんばかりに。


「お、おい、待てよココロ……!」


 戸惑いつつも、俺はその後を追う事にした。




 寒さと闇だけが支配していた川沿いの道からはもう離れ、まばらに灯りがある住宅地へと差し掛かっていた。

 ココロはふらふらと歩き続け、そして俺も無言でその後を付いて行く。何度もそのボロボロの身体を抱き上げてあげたくなったが、必死になって俺をどこかへ連れて行こうとしている彼女を止める事は出来なかった。

 だが途中、ココロは立ち止まる。


 前方から、ふらふらとこちらに向かって歩いてきている人影があったから。


 そのひょろひょろとしたシルエットには見覚えがある。次第に顔も見えてきた。


「……金田?」


 面倒くさいクラスメイトで、そして恐らくココロを痛めつけた犯人であろう人物。あの事件があってから数日、学校でこちらを見ては露骨ににやにやしていたので間違いないだろう。

 やり返しはしないと決めていたものの、やはり向こうへ旅立つ前に一発くらい思い切りぶん殴ってやろうとは思っていた。ならば今がその好機か。


 だが、何やら様子がおかしい。

 向こうもこちらに気付くと、目を見開いた。


「た、高山……!」


 いつもは俺に対して憎しみと嘲りを込めた笑みを浮かべる金田だが、しかし今彼は混乱と焦りをこちらに見せている。ふらふらと俺の前までやって来ると、あろう事かその場で膝を付いてしまった。


「おい……何なんだよ金田。というかお前、その怪我……」


 さっきまで暗くて分からなかったものの、近くで見た彼は酷い有様だった。

 腹と背中が制服ごと刃物のような物で裂かれ、そこから血が滲んでいる。

 まるで通り魔にでも襲われたかの様相の彼に対し、俺の声に少し戸惑いと緊張が混じった。

 だがそんな事すらも金田は気にしている様子はない。彼は微かに震え、怯えるような目で虚空を見ながら呟く。


「僕のせいじゃない……僕は何も悪くない……。だって、あそこで振り払わなきゃ、僕だって炎に巻き込まれていた。でで、でも、まさか――頭をぶつけて、殺すつもりなんて……! あ、ああ……っ、あの時もう何が何だか分からなくなって、そのまま置いてきてしまった……ぼ、僕はなんて事を……」

「……おい、待て。金田、それは誰の事を言っている? 誰の事だ、答えろ!!」


 まさかという焦燥から、自分でも驚くほどの切羽詰まった声で俺は金田に問い詰めると、彼はためらうように、それでも口をわなわなと動かしながら答えた。


「い、五十鈴さん……」


「……!!」


 その言葉を聞くとほぼ同時、俺の目に住宅地の向こう側で上がっている煙が映る。

 その煙が意味するもの。そして、金田の言葉の意味するもの。


「み、見捨てるつもりなんて……本当に、本当に……」


 彼のために救急車を呼んであげるという頭すらも、俺の中から消えていた。

 うずくまっている彼を、ココロをその場に置き去りにし、俺は無我夢中でその煙の上がる場所目掛けて走っていた。 


「五十鈴!! 五十鈴----!!」




 家が、燃えていた。


 閑静なはずの夜の住宅街。普段なら家々から漏れる灯りと街灯がまばらに辺りを照らしているはずのその場所が、今は炎が煌々と照らしている。

 その家を燃やす炎はもう二階にまで達しており、夜空高くまで煙を上げていた。隣の家にまで燃え移ってしまうのではないかというくらいの勢いだ。


「おい! 消防車はまだなのか!?」

「まだもう少しかかるって……!!」

「こ、ここに一人で住んでいた若い女性は……!?」

「だめ! 火が強すぎて中の状況が分からない!!」


 近隣の住人たちが集まり、その燃え盛る家をただ成す術なく遠くから見ている。


「……」


 俺は、地獄を見ていた。

 甘かった。悲しみに暮れるあまり、俺は逃げるだけでその後の全てを放棄してしまっていた。

 少し考えてみれば、金田が、まだ五十鈴を襲う事なんて充分に考えられた事だったのに。

 まだもう少しだけ、彼女達を守ってあげなければならなかったのに。


「あ、ああ……」


 五十鈴はこの中にいるはずだ。脱出は出来ない状況なのだろう。

 そして、最悪彼女はもう既に……。


「ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああ……っ!!」


 残酷過ぎる現実を前に、俺は慟哭するしかなかった。

 湧き上がる絶望が止まらない。後悔が膨れ上がり、俺を押しつぶそうとしている。

 彼女達にただこれからを幸せに生きて欲しかっただけなのに。そのために終わらせたのに。

 これでは、何の意味も無いではないか。


「違う、違う違う違う……! やめてくれ……こんな、こんな終わり方だけは……俺はぁ……!!」


 痛々しいほど掠れた声を漏らしながら、俺の足は勝手に前へと歩き始めていた。


「お、おい。君……!」


 後ろから誰かが手を掴んでくるが、それすらもふり払い、再びふらふらと歩き始める。進む速度が上がっていく。

 次第に炎が強まり、後ろから多くの切羽詰まった叫び声が聞こえてくるが、それを無視して俺は入っていった。

 その燃え盛る家の中へと。


 ――その、終末へと。



   ◇



「……あ、れ?」


 目を覚ますと、辺り一面が燃えていた。熱いフローリングの床の上に、私はうつ伏せに倒れている。

 どうして、こんな事に?


 ……ああ、そうか。金田君と揉めていた。真っ黒な感情に呑み込まれるまま、彼を殺めようとしていた。でも、そこからはあまり覚えていない。何かの拍子に火が付いて、そんな状況で私は気を失ってしまっていたのだろうか。

 辺りに視界を巡らせても、誰も倒れてはいなかった。金田君だけは、無事に逃げてくれたようだ。


「……ごめん……ね、巻き込ん……じゃったんだよね……」


 テーブル、ソファー、カーテン、そして両親の仏壇。あちこちではもう随分と火が回ってしまっている。奇跡的にまだ私の倒れている周囲の床は燃えていないが、時間の問題だろう。

 私にとって思い出の場所であるこの家が、まさに今私の命を奪おうとしている。


 身体を動かそうとした途端、いきなり今の感覚を思い出したかのようにそのあちこちから悲鳴が上がった。


「……く……ぁ……っ!?」


 熱い、息が苦しい、喉が張り付くように痛い。汗は出過ぎて既にもうあまり出ず、身体が動かない。起き上れない。それと、側頭部が酷く痛い。

 意識が無い間ずっと熱と煙に晒された私の身体は、未だ生きている事が不思議な程の異常を来していた。

 もう、助からない。そう私は理解してしまう。 


「……そっか……私は……もう……」


 なれもしないものに憧れて。

 それでもずっとずっとその理想だけは追い求め続けて。

 やがてはやはりなれないと絶望し、ついに悪にまで身を落とした。

 そんな私の、醜さと苦悩に溢れた人生がここで終わる。


 だがそんな「終わり」の中。


「……高……山……君。ココロ……ちゃん……」


 まだ僅かに出た涙を零して、掠れた声で呼んでいたのは、彼らの名前だった。


「……ごほっ……! ……大好き……だったよ……。本当……に……大切……だったよ……」


 覚醒したばかりだった意識すらも、再び朦朧としてくる。

 それでも、私は譫言のように呟き続けた。


 ――結局は、それが根底の願いだったから。


「もっと……一緒にいた……かった……。そばに……あなた達の……そばに……。でも……もう……会えない……よ。……会い……たいよ……」


 もう無理だと知りながらも、もう願っても意味は無いと分かりながらも。

 それでもその最期に私は虚空へ手を伸ばし、彼らの名を呼び続けていた。 


「……高山……君……ココ……ロ……ちゃ……」


「五十鈴」


 声が聞こえた。

 また、聞きたかった声。

 大好きな、あの人の声。


「……え……?」


 頭だけ振り向くと、そこには高山君が立っていた。

 信じられない。でも、私の目は確かに炎を背にした彼の姿を映し出している。


「やっと……見つけた……」


 そう言って苦しそうにしながらも笑う彼は、だが酷い有様だった。  

 汗をびっしりとかき、服はあちこちが煤けて、腕とか足にはいくつもの火傷が見られる。身体もふらふらと軸がぶれてしまっている。


 ――ああ、もう彼も助からない。そう私は分かってしまった。


 きっと彼はこの炎の中をずっと進み続けていたのだろう。煙だって、いっぱい吸ってしまったのだろう。

 そうなってまで、ここまで来てくれた。


「……たか……や……」

「ああ……俺だよ、五十鈴。お前に……会いに来た……。よかった……まだ、生きてて……」


 彼はしゃがみ込むと、私をゆっくりと抱き起こす。

 幻覚なんかじゃない。確かに腕の感覚が私の背中に伝わってくる。


「うれ……しい……。ねぇ、私。ずっと……待っていたよ……?」

「……ああ」

「ずっと……会いたかった、よ……?」

「……ああ、ごめん。俺も……ずっとお前に、会いたかった……。でも、これからは……もう、離れない。……ずっと、お前のそばにいる……」


 彼は自身の顔を私の顔へと近づけ、互いの唇を優しく重ね合わせた。


 炎の中でのファーストキス。言葉だけなら少しはロマンチックに聞こえる。

 感覚器官がもう駄目になっていたのか、あまり唇の感触が分からなくなっていた事だけが惜しまれた。


「……ありが……とう……」

「……」


 顔を離した高山君に対してそう言うと、彼は最後に微笑んで――


 そのまま、倒れた。




 炎に囲まれて、二人は向かい合うように倒れている。

 暑いとか、苦しいとか、そんな感覚すらもだんだんと薄れてきた。


「……」


 意識を失ってしまった彼へ、倒れてしまった拍子に僅かに出来てしまった距離を埋めようと、私は懸命に床を這い始める。


「これ、で……私達は、永遠に……一緒……。……なんて、ね……」


 最後に彼が会いに来てくれた。それはそれで嬉しい終わり方だが、決してハッピーエンドとは言えない。


 ずっと悲しい終わりを見続けてきた高山君。

 終わる事を、ずっと嘆き続けていた高山君。


 でもね、高山君。終わりって、必ずしも悲しい事ばかりでもないんだよ。


 私が見ていたアニメね、最後にヒーローは黒幕と相打ちで死んでしまうの。

 ヒロインの少女は勿論その事を悲しむんだけれど、彼女はその後幸せに生きていくの。どうしてか分かる?

 それはヒーローが、今までずっとヒロインを慰め続けてきたからだよ。


「君は大丈夫。君は強くなれる。君はこれから前を向いていける」って、ずっとそう彼女に語り掛けていた。

 人間不信だったヒロインは、それで少しずつ明るくなって、人を信じられるようになってくるの。

 最後のシーンでは、彼女はたくさんの仲間に囲まれながらヒーローの最期を看取る。彼に向けて、いっぱいお礼を言う。

「ありがとう、あなたのおかげで私は救われました。あなたのおかげで、私はこれからも生きていけます」って。


 それはやっぱりとても悲しい終わりだったけれど、素敵な終わり方だとも私は思ってしまったの。

 だってヒーローは生涯を賭して、一人の少女の生涯を救ってみせたんだよ。

 もしもそんな風に誰かのために生きられたのなら、誰かの希望になれたのなら、どれだけ綺麗な人生なんだろうと私は憧れてしまった。


 ――ねぇ。私は、そういう人になりたかった。


 高山君の目の前まで来られた私は、最後の力を振り絞って彼の手を取る。


 結局、私はそうはなれなかった。

 救われたかったのは、傲慢にも私の方だった。

 私はヒーローでもなんでもない、誰も救えない。


 でももし叶うのなら。今まで何一つ思い通りにはならなかった私の望みを、ただ一つだけでもいいから誰か代わりに聞き届けてくれるというのなら。

 どうか、高山君だけは救ってあげて欲しい。

 私はどうなっても構わない。どうせ救われない、ヒーローになり損ねた悪だ。このまま焼き殺されるのがお似合いだ。

 でも、この人は何も悪くない。こんなにも真っ直ぐで優しい人が、ずっと悲しみに囚われて救われないだなんて、そんなの間違っている。

 だから神様でもヒーローでも、誰でもいい。お願いだから――


「どう、か……この人の、ずっと続いてきた悲し過ぎる現実を――終わらせて……あげてよ……!!」


 ぼやけてきている、燃える視界。

 ゆらゆらと揺れ続ける陽炎。


 言葉も虚しく、その最後はもうすぐそこまで迫ってきていた。


 視界の端――頭上で何かが動く。そちらを見ると、燃えている小さなタンスがこちらに向けてゆっくりと崩れ落ちて来ている。抗いようもない死が迫る。


 それをぼんやりと見たまま、それでも彼の手だけはしっかりと握る。

 その一瞬後には、二人の頭が押し潰されて――




 全てが、終わった。



   ◇



「な……! なんだ、ここは……っ!?」


「あ、目が覚めた?」


「……ッ!?」


「突然ですが、この世界は滅んでしまいました。人類は私達以外、助からなかったの。だからね――」




「――私と一緒に、失ったものを取り戻しにいこう?」



 

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「終末へのココロギフト」を読んでいただきありがとうございます!よろしければこちらより、現在連載中のファンタジー 「そして勇者は、引き金を引く〜引きこもり少年と怪物少女の、異世界反逆譚〜」 も読んでいただけるととても嬉しいです!よろしくお願いします…!
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