一途な愛
◇
高山君と二人、焚き火を囲んで朝食を取っている間、私達は一言も発さなかった。
食べた後も、食器を持ち上げたまま置くのすら忘れて私はしばらく考え込む。
結局その後、黙ってしまった私はまんまとココロちゃんを行かせてしまった。
マスターともなれば、私の過去を覗く事すら造作もないのだろうか。あんな言葉を選んでまで、私を遠ざけたかったのだろうか。
知ったらキミは立ち止まってしまう、ココロちゃんはそう言っていた。
……でも、やっぱり知りたい。彼女が隠しているもの、抱えているもの。
だってその言葉から、彼女が抱えているものの重さが垣間見えてしまったから。
握っていた拳からは、尋常じゃない覚悟がにじみ出ていたから。
だから尚更、そんなものをあの子一人に抱えさせたまま見ているだけだなんて出来ない。
私は、考えた末に立ち上がっていた。
「ごめんね、高山君はちょっとここで待ってて欲しいの」
「……」
しかしそう言うと、彼も立ち上がる。
「高山君……?」
「ココロのところに行くんだろ? だったら、俺も行く」
「で、でも……」
「……あいつに直接、問いただしたい。本当に殺したのかと」
拳を握り、彼は唸るように言う。
「……笑ってくれてもいい。俺はまだ、マイがひょっとしたらまだ生きているのかもしれないって願望が捨てられない。だから俺も、ココロに会って真実を聞きたいんだ……!」
「……」
僅かな希望が、今彼を奮い立たせている。だがそんな希望もないと分かってしまった時、彼はどうなってしまうのだろう。それが怖かった。
しかしそう縋る彼の気持ちも、私には痛いほど伝わってきてしまった。
「……ううん、分かった。でも、本当に無理はしないでね?」
「……ああ」
「解放」を目的としないで外に出る一日は、これが初めてだった。
私達は、街に出ていた。
ココロちゃんがどこに行ったのかは分からない。だが、何となくこの近くのどこかにいるような気がした。
私の隣で、高山君が歩く。相変わらず何も言葉を発さず、俯いたまま。
「……そういえば、三日前もこんな風に街とか、あと他の場所も歩き回ったね。今探しているのは記憶のカケラじゃなくって、ココロちゃんだけれど」
「……」
巨大ジン騒動のあの日。なぜか真夏の日差しが降り注いでいたあの日。
移動する記憶のカケラを追うため、色んな場所を歩き回った。
街、河原、山。
とても暑くて、汗も止まらなくて、二人でくたくたになりながら歩き回ったけれど——久しぶりに、私は「本当」の高山君と話す事が出来た。一緒にいる事が出来た。
学校で、辛そうな顔で私を拒絶していた高山君。
私まで巻き込みたくない、そんな理由で。
もう、高山君は戻ってきてはくれないのだと思っていた。彼の優しさが、彼を終わらせてしまったのだと思っていた。
でもあの日に、滅んだ世界で私はまた高山君に出会えた。
この世界に本当に私達以外誰もいなくて、だから誰も私達が関わる事を邪魔する事もなくて。
そうして、私達は世界が滅んだからこそようやく分かり合えた。話す事が出来るようになった。
高山君だけじゃない、ココロちゃんや、マイちゃんとだって楽しい時間を過ごす事が出来た。
それが、それだけが、私には本当に嬉しくて。
それ以上、もう望むものは無くて。
――キミは本当に、弱いね――
何となく、ココロちゃんが私に厳しい態度を取って拒む理由、分かっていた。
彼女が責めていたのはきっと、敵になる覚悟すら無い私の心の弱さだった。
ひょっとしたら、本当に彼女は悪い事をしようとしているのかもしれない。仮に「高山君の為の目的」だとしても、それは阻止するべき事なのかもしれない。
それが結果として、ココロちゃんを救える事なのかもしれない。
だが理屈を並びたてながら、「あなたの力になりたい」などと言いながら、卑しくも私は「嫌われたくない」だけなのだ。
そんな私の内心を、彼女は見抜いていたのかもしれない。
……無理だ、敵になんてなれない。
誰かの為に、その誰かに嫌われるだなんて事、私には出来ない。
だとしたら――
(……やっぱり、あなたはすごいね。ココロちゃん。私じゃ、確かにあなたには追いつけないよ……)
「魔王」だと言った、その悲しそうな顔を見た。
一緒にいて本当に嬉しそうだった私達と、敵対する道を選ぶ覚悟があった。一人で戦い続ける勇気を垣間見た。
そしてそれはきっと、私達の為に。
ああそうだ。彼女はきっと、私がいつか見ていた孤独なヒーローの姿だった。
でも、と私は拳を握る。
それでも、私だってココロちゃんの後を付いて行きたい。
それが、高山君のためになると言うのなら。
私はヒーローじゃない。誰かを救うなんて、そんな事はきっと出来ない。
でも、それでも、誰かのために何か出来る事をやりたい。
少しでも、誰かの助けになりたい。
だって、もう「何も出来なかった」と後悔はしたくないから。
もう、泣きたくなんてないから。
だから、顔を上げる。再び、ココロちゃんを探す決心を――
もう全部壊れていた。
「……あ……」
立ち止まり、その表情が凍りつく。
少し向こう。ビルの上に見える、浮かんでいる「それ」。
視界に飛び込んで来たもの、それは真っ黒な記憶のカケラだった。
取り憑かれたような狂気を発する、影よりも尚どす黒い闇。
周りでおぞましく蠢く、漆黒。
まるで、この世界そのものを破いて真っ黒な穴を空けているかのような。
「う、そ……。何で……どうして……? どうしてまた、あれがここに……?」
早くあれから逃げなくてはいけない、そう頭の中で警鐘が鳴る。
だが絶望のあまり、しばらくは何も出来ずただそれを見つめる事しか出来なかった。
「……マイ?」
その時、高山君がふらふらとその方向へ歩き始めた。
「……ッ!? 高山君!?」
彼の名前を呼ぶも、聞こえていないようだった。
そんな彼の背中に私は必死に縋る。
「駄目! 行かないで、高山君! あれに近づいちゃ駄目……!」
「……でも、マイが……マイが……!」
「お願い、気付いて……! あれは違う、あれは……マイちゃんじゃない……ッ!」
闇は、世界を喰らい始めた。
突如、周囲から凄い勢いで何本もの漆黒の触手が伸びる。そしてそれが触れる先、それらが一瞬で、次々と「消失」していく。
ビルが、道路が、木々が——
「……!!」
根元を失ったビルが一つ、私達の立っている近くに倒れてくる。
「きゃあああああっ!!」
倒壊に巻き込まれる事は無かった。しかしそこから発生した風圧で、私達は吹き飛ばされて、そのまま道路の上を転がる。
「う……。……っ!? 高山君は……!?」
身体を打った痛みを堪えながら顔を上げる。すると彼は私よりも少し離れた所に倒れ、またふらふらと立ち上がるのが見えた。怪我はないように見える。
だが安堵しかけた私は――また一瞬で心が急激に冷えるような感覚に襲われた。
彼に目掛けて、一本の漆黒の触手が迫って来ていたから。
「……あ」
そこに待つのは、消失だった。
彼の、死だった。
怖かった。目の前の現実が私を打ちのめした。
その一瞬、どうしようもなく足が動かなくなっていた。
(嘘……お願い。動いて……動いてよ……!! 大切な人なんだよ? 救わなきゃならないんだよ? なのに、何で……?)
無理だ、怖い。私は堪らなく臆病だ。
私は、こんなにも無力だ。
助けたいのに、助けたいのに、助けたいのに。
また、救えないの?
また、繰り返すの?
何も変わっていない。何も出来ずに両親を見送ったあの時と。
どうして私は、こんなにも弱いの?
もう……嫌だ。
じわりと毒が回るように、心が黒く染まっていく。
希望など無いと打ちのめしてきたモノクロの刹那が、赤く染まっていく。
そうだ。終わる事が、怖かったんじゃない。
私が自分の弱さを自覚し、また絶望する事が怖かったんだと。そう私は気付いてしまう。
そんな事、これからだって繰り返す。生きている限り、ずっとずっと。
ああそうか。だったらもう、いっそ――
「わああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
自身の発した絶叫で、この期に及んで私の足はようやく駆け出してくれた。
彼の元へ。大切な、その人の元へ。その喉を――悲しみと絶望で震わせながら。
だがもう闇の触手は彼の直前まで迫っていた。彼の手を引いて、二人であれを避けるような時間はもう無かった。
だから――
……ごめんなさい、高山君。
きっと、これが私の結末です。
逃れられないその「終わり」を前に、私は彼を突き飛ばして――
◇
いつからだっただろうか。
彼が見せるちょっとした仕草で、私はどきっとしてしまうようになっていたのは。
彼の笑顔に、心を奪われるようになってしまっていたのは。
彼に、ときめいてしまうようになってしまったのは。
彼は私を避けるようになった。冷たい言葉を浴びせるようになった。
でも私にはそれが、私を庇うためにやってくれているという事にすぐ気が付いてしまった。
私のために。私が、周りから疎まれないようにと――自分だけを犠牲にして。
ずっと、高山君は変わらなかった。彼は、優しい彼のままだった。
ねえ、高山君。
あなたこそが、私のヒーローだったんだよ。
それが分かった時、私はようやく自分のこの気持ちと向き合う事が出来て。
だからこそ、私は高山君から離れる事なんて出来なかった。
……本当は、とっくに気が付いていた。
私では、ヒーローにはなれないという事くらい。
彼を救いたい。その気持ちが、いつしか正義感とは全く違うものから来ていたという事くらい。
だってもし本当に彼を救おうと思うのならば、あの時私も彼から距離を置いて、彼の見えない所でひっそりと彼の手助けをしていけば良かった。彼の知らない所で、彼の幸せを願えば良かった。
彼は、私と共にいても決して救われる事なんて無かったのだから。
私の思いを、彼が知る事はない。でも、彼は幸せになれる。
これこそ、まさに私の追い求めていた孤独なヒーローの姿。私の理想。
……でも、私にはそんな事が出来なかった。
だって私は、彼といたいという気持ちを抑える事が出来ない。
私がいても、彼を傷付けてしまうだけだと知りながら。私がいない事が、一番良いのだと知りながら。
それでも私は傲慢にも、彼といる事を望んでしまった。
私は、ヒーローのようにはなれない。誰かを救う事だなんて出来ない。
私には、この自分の気持ちを押し殺してまで誰かのために何かを果たすなんて事が出来ない。
この心は、あまりにも臆病なのだから。
私は、あまりにも弱過ぎるのだから。
ねえ。やっぱり、私は私のままでは駄目ですか?
私は、私で無くなるしかあなたを助ける事は出来ませんか?
でも、それでも。
彼のために何かをしてあげたいと。彼を助けたいと。
私は、そう願わずにはいられない。
だってこの正義感は嘘でも、その気持ちだけは偽りでは無いのだから。
だって私は、こんなにもあなたを――
◇
「……いす……ず……?」
俺は、自分が見ているその光景に、ただ呆然とするしか無かった。
俺の目の前には、五十鈴の姿が映っている。
漆黒に呑まれゆく、五十鈴の姿が。
「よ……かった……。高山君が……無事で……」
五十鈴は俺を見て、安堵したような笑みを見せている。
ゆっくりと、彼女は漆黒に蝕まれている右手を伸ばしてくる。
俺もつられる様に、彼女の手を握った。
「……」
「……高山君」
彼女は笑ったまま、涙を零して――
「愛してる、よ……」
手が離れる。
その泣き顔すらも黒で塗りつぶされていく。
——彼女は、呑み込まれた。
事を終えた漆黒が、俺から離れていく。まるで嘲笑うかのように。
握るものを失った腕が、道路に落ちる。
「……うそだ」
言葉はそう零していた。
でも見てしまった、知ってしまった。
彼女はたった今、俺の目の前で漆黒に食べられた。
彼女はたった今——この世界から消えた。
「嘘だああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」




