表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/61

虚しき終焉

挿絵(By みてみん)


   ◇


 

 そんなもの、突然やってくるのだと分かっていた。 




 最近はすっかりと寒くなっていた。

 雪が降るのはまだもう少し先になるのだろうが、思わず身が縮こまってしまうほどには空気が冷たい。

 そんな曇り空の夕方。猫はまた、今日も彼らが来るのを橋の下で待つ。


 今日は、何をするのだろう。

 今日は、何を持ってきてくれるのだろう。

 今日は、どんな表情を見せてくれるのだろう。


 今日の事を、考えていた。

 未来の事を、考えていた。


 そんな自分を、ふとおかしく思ってしまう。


 ――少し前までは、一歩先の未来すらも見えていなかったくせに。


 そんな自分が歩み始めた明日とは、とある人間達との明日だった。


 人間の悲しみに触れた。

 人間の覚悟に触れた。

 人間の、愛に触れた。

 あれほど忌避していたそんな人間達の感情を、許容した自分がいた。

 受け入れたい。知りたい。その弱さも、醜さも、全て。それが、空虚なこの心を満たしてくれるものなのら。


 ――だからどうか、これからも……。


 こちらへ近づいてくる足音が聞こえてくる。また、あの笑顔がある。

 そう、猫は顔を上げて――


 蹴り上げられた。




「……」


 急な腹への衝撃で、しばらく呼吸も出来なかった猫へ、さらに容赦ない追撃が襲い掛かる。

 蹴られる、殴られる、毛を引っ張られる、罵声を浴びせられる。


 ――痛い、痛い、痛い、苦しい。


 抵抗すらも出来ない中、その顔を見ている事だけは出来た。


 恨み、怒り、妬み。そんな黒い感情がそこには詰め込まれている。


 ――後悔しろ――

 ――ざまあみろ――

 ――これが報いだ――


 ああ、そうだとも。これこそが人間の本性だとも。


 誰もが心に醜さを抱えている。誰もが欲望を持っている。

 それを、誰かにぶつけずにはいられない。

 そうでもしなければ、そんな自分の弱さすらも許せないのだから。

 自身が強いと、優れていると言いたいから誰かを壊す。

 自分が悪いと認めてしまう事だけは出来ないから、自分と違う誰かを悪だと定めて貶める。

 本当に、救われない。

 

 どうしてこうも――生き物とは醜い。




 ボロボロで、身体が動かない。

 横たわる河原の冷たい石に、体温が奪われていく。 

 それはあの日の状況にも似ていた。

 死にゆく自分に、手が差し伸べられたあの日に。


 ああ。それでも、自分を助けてくれたのもまた人間だった。


 猫もまた醜くも誰かを呪い、そして誰かを想うのだ。

 いつの間にか、次の瞬間も彼らと居られる未来ばかりを夢見ていた。

 その終わりは、考えてもいなかった。


 ――そんなもの、突然やってくるのだとわかっていた、はずなのに。


 薄れていく意識の中。猫はそれでも少年と少女の顔を思い浮かべていた。


 


 ――コウジ。


 ――フミカ。

 


   ◇



 生きる事は、素晴らしい事。


 それは、あの子が最期に言っていた言葉だった。

 決して私達とは相容れない存在と知りながら、その運命からは逃れられないと知りながら。

 それでも、あの子の最後の笑顔は満ち足りたものだった。

 この世界に愛を抱き、逝った。


 彼女は、果たしてこの世界で生きてくれたのだろうか?

 こんな色を失った世界しか知らなかった彼女は、幸せだったのだろうか?


 ――そうだね。生きたんだ、あの子は。


 人ならざるものでありながら、誰よりも人であろうとした。

 作り物の身体でありながら、その内に本物の心を宿し、たくさんの感情を抱いた。

 誰よりも強く、苛烈に、その生を望んだ。願った。そして生き抜いた。

 あの子は、最後まで人だった。


 ……私だって。

 そう、私だって。いつしか彼女を作り物とは見られなくなっていた。

 話すうち、一緒にいるうち、私が彼女に抱いていたこの親愛は、とても強いものになっていて。

 もっと彼女が生きていれば、私達の関係も変わっていたのかもしれない。

「作り物」と「マスター」という主従の関係ではない――やがては「友達」に、なれていたのかもしれない。

 一緒にいて、言い合って、笑い合って。


 ――だったら、きっと凄く嬉しかった。


 でも、彼女はもういない。

 話す事も、動く事も無い。

 心も、もう抱けない。世界を見る事も出来ない。

 あの子は――「マイ」は、この世界から消えた。


 私が、その手で殺したのだから。



   ◇



 マイとの死闘から一夜明けた今日の朝。

 昨日とは一転、空は曇っていて灰色の世界は一段と澱んでいた。


 私は一人、被害の確認のために街を歩く。

 街の中自体に目立った損傷があるわけではない。だが、歩いているうちに突如目の前でビル群が不自然に途切れた。

 そこは昨日、「漆黒」による破壊暴食が行われた場所。河川に掛かる橋が「あった」場所を中心に、建物や道路が綺麗に無くなっている。

 これが、たったの一分足らずで引き起こされた事なのだと――


「……」


 だが、そんな思考すらも横に置いてしまっている自分がいた。詳細な被害を把握して、早くジン達に直してもらわなくてはならないのに。


 眠れてはいない。昨日の事が頭から離れなくて。

 この胸の痛みは、そう簡単に和らいでくれそうもなくて。




 あの後、「マイだったもの」は影となり霧散していった。

 ゆっくりと、この世界で造られたものが、その一部へと戻っていくかのように。


 ――輪廻、なんて言葉を私は思い出していた。


 生命が死ぬと、その命は転生し、また新たな生命に生まれ変わるのだとか。

 生命は、何度でも転生を繰り返してここにいるのだという話だ。

 だが私は、その話をあまり信じる事は出来ない。だって生命が死ねば、その肉体は土へ還るだけなのだから。

 しかし、その土からまた新たな生命が生まれてくると考えるのならば、それはある意味転生したとでも呼べるのかもしれない。

 ならばその生命に宿っていた命は――心はどうなる?

 仮に「転生」があったとして、その生命に元の心があるとでも言うのか?

 前世の記憶なるものがあるとでも?

 いつか生まれ変わった彼女は、私達を思い出せるとでも?


 そんなの、なんとも都合の良すぎるおとぎ話だ。


 私達は所詮、「今」しかこの心を保つ事は出来ない。

 失った命は、思いは、もう二度と戻りはしない。

 マイが宿した心も、もう世界のどこにもありはしない。


 ずっとずっと、途方もない感情が私を苛んでいる。悲しみ、罪悪感――後悔。


 ――嫌……だよ……! まだ、生きていたいよ……! 死にたく、ないよ……っ!!――


「……っ!」

 気持ちの抑えが利かず、思わず横にあったビルの壁を殴っていた。

 私は、一体何をしているのだろう。

 なんでこんな思いをしなくてはならないのだろう。


「……後悔はないって、言ってあげられたのにね。裏切らないでよ、私……」


 壁を殴った、包帯に巻かれた左腕がとても痛い。昨日彼女から受けた傷が疼く。

 本当はこのまま、泣き崩れてしまいたかった。ごめんなさいと、その言葉をこの灰色の空の下で叫んでしまいたかった。


 だが、私はそれを寸前で堪える。

 足は微かに震えてしまっているが、まだ立っていた。

 言葉は、歯を食いしばって必死にその内にとどめていた。

 まだ、終わりじゃない。まだ、コウジとフミカがいる。この世界も。

 マイを殺してまで守った世界で、私は目的を果たさなくてはならない。

 でなければ、命を奪ったあの子に顔向けが出来ない。


(だから……私は……!!)


 感情に押しつぶされそうになりながらも、それでも私は再び歩き始める。再び前を向く。


「私は、自分に負けない……! 例え自分の思いを犠牲にしてでも、私は……!」


 ――それが、それだけが、今の私の存在理由だった。




 分かっている。この「終わり」は、もうどうしようもなく悲劇でしかないという事くらい。

 もう、間に合わないという事くらい。


 でも、それでも。

 私は、祈るしかないのだ。


 この旅路の果ては、陽だまりのように温かく明るいものであって欲しいと。


 どうかこの「終わり」は、尊いものであって欲しい、と。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「終末へのココロギフト」を読んでいただきありがとうございます!よろしければこちらより、現在連載中のファンタジー 「そして勇者は、引き金を引く〜引きこもり少年と怪物少女の、異世界反逆譚〜」 も読んでいただけるととても嬉しいです!よろしくお願いします…!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ