まわり続ける歪
◇
「お願い、ここから出して……! 私も、高山君の、マイちゃんのところに行かなくちゃ……!」
ジン達によって連行された私は、秘密基地の中で監禁されていた。
監禁、と言っても縛り付けられているわけでは無い。この中で私は自由な行動が許されている。
だが、出口を塞ぐように一体、部屋の中に私を監視するように二体、計三体のジン達が私を外に出さないために立っていた。
時計はもう十五時を指している。外は今どうなっているのだろう。
高山君は、まだ無事に逃げ切れているのだろうか。
マイちゃんは、まだ生きているのだろうか。
それすらも分からずずっとここにいるしか出来ない事が、本当にもどかしい。
喚き続ける私に対して、ようやく少しは観念してくれたのだろう。一体のジンが壁に掛けられているホワイトボードに文字を書く。
――それは出来ません。このような状況だからこそ、あなた様だけでもここから出すわけにはいかないのです。マスターは高山光司様だけでなく、あなた様まで悲しませるような事はなんとしてでも阻止したいのです――
「じゃあ、説明してよ……! どうして、そんな事になっているの!? マイちゃんに、一体何があったっていうの!? あなた達は、ココロちゃんは一体何なの……!?」
どうせ出してくれる気が無いのは分かっている。だが、少しだけでも彼らから情報を引き出したい。それは、混乱しきっている私自身を落ち着かせたいというエゴだった。
私の心も、大分弱り切っている。
その言葉を聞き少しだけ躊躇った様子を見せた彼だったが、こう答えてくれた。
――分かりました。それで、気が済んでくれると言うのなら――
ジンは、全てを教えてくれた。
自分達ジンは、ココロちゃん――マスターによって作られたものだという事。
そして「マイ」という名の存在もまた、ジンであると、作り物であるという事。
しかし今やその「マイ」が心を手に入れ、人間に近づいたが、その自分という「人間」を知りたいが故に、世界を喰らい尽くす怪物になりつつあるという悲しい結末の事。
「そん……な。マイちゃんが……」
あまりにも残酷過ぎる現実に、私は膝から崩れ落ちそうになる。その身体をジンが優しく支えてくれた。
本当に、何とも誰も救われない話だ。
「もう……どうにもならないの……?」
――はい。「マイ」を消し去る以外、もう世界に未来はありません。だから、マスターは一人でその悲しみを、罪を背負おうとしています。ですからどうかお願い致します、五十鈴文歌様。ここはあの方の気持ちを、汲んで頂きたいのです――
「……分からない、分からないよ。あの子の気持ちなんて、何一つ……!」
悲しさと、悔しさからそう吐き捨てる。
――いや、それは少し違った。本当に、私にはココロちゃんの事が分からない。
彼女は、一体何なのだ。
「あなた達を作って、マイちゃんを造って、そしてあなた達を動かして世界の均衡を保って。そんな、今のこの世界でまるで『神様』みたいな力を持っている。でも、その目的が分からない。あんな力を持ちながら、どうして私達を欺いてずっと一緒にいたの?」
彼女は自分を「魔王」だと言った。
どうして彼女はこの世界を滅ぼさなければならなかったのか、それは分からない。
だが少なくとも、今の終わった世界を支配しようとでも考えてる人間のするような事だとは到底思えない。
――マスターは世界救済のために、あなた達に「解放」を手伝って行ってもらいたかったのです――
「嘘。それだったら、脅して無理矢理やらせた方が早い。それなのにあの子は、ジン達と芝居をうってさも自分も私達と同じ世界に振り回されている側の人間だと思い込ませたり、マイちゃんの記憶を操作して私達と仲良くさせるだなんて回りくどい事をしていた。それだけの理由だったら、余りにも非効率だと思わない?」
今度こそジンは何も書かなくなってしまった。そこへすかさず私は言葉を繰り返す。
「ねえ、あの子の目的は何? そうした先に、あの子が望むものは何なの?」
私の問いに、ジンはやがてこう答えた。
――あの方は、「終わり」を望んでいるのです。あなた達の「終わり」を――
「……終わ……り? 私達の……? それって、どういう……?」
余りにも意味が分からず、私はそう聞き返すしかない。しかし、ジンは更にこんな事を言ってくる。
――全ては、あなたの望みです。五十鈴文歌様。あなたの、願った事なのです――
「……ッ!?」
終わり。
それが、あの子の目的。
そして、私の望み?
「……嘘だ」
頭を抑え、私はうずくまってしまう。
「どうして……? どうしてあの子が、そんな事を? ねえ、あの子は……一体……」
ジンは、答えようとした。
――あの方は、あなた様の――
だが彼が、そこまで書いた時だった。
突然、彼を含むこの場にいたジン達が一瞬で消えた。
「え……?」
呆然としていたのもつかの間、何故か私の足は操られるかのように勝手に動いていた。
秘密基地の外へ出、グラウンドの空を見上げる。
そこには、正八面体の浮遊物体。記憶のカケラがあった。
でも、様子が明らかにおかしい。
なぜなら、普段青い綺麗な光を放っていたはずのその物体は、今は黒く不気味に濁った色をしていたから。
そこから、まるでヘドロのような「漆黒」を下へと垂らし続けていたから。
ジン達の影とは比べ物にならない程密度の高い黒。見ているだけで鳥肌が立って来るほどにそれはおぞましい物質だった。同じ黒でありながら、明らかにジンと同質のものだとは思えない。
「なに……これ……?」
つい先程、ジン達を一瞬で消し去ったのもこれなのだろうか。
怖い。記憶のカケラに対してそう感じるのは初めてだった。
その記憶のカケラが歪な速度で回り、ゆっくりと移動を開始した。まるで、付いて来いとでも言わんばかりに。
「……」
また私は、まるで見えない力に操られるかのようにその後を追ってしまった。
着いた場所は、とある一軒家の前――昨日も、高山君と通った場所。
「……ッ!?」
それは、私の家だった。
ここに戻って暮らし始めてからは、一日たりとも手入れを怠らなかった玄関を飾る花壇の草花。それらが、今も綺麗に残っている。
お母さんとお父さんとの、思い出の場所。大切な場所。
記憶のカケラは、どうしてここに?
その時、浮いていた記憶のカケラが、不気味に「漆黒」を蠢かせる。
何をしようとしているのか、分かってしまった。
「そん……な! やめ……やめて……ッ!!」
次の瞬間、私の家はあふれ出る「漆黒」に呑まれ跡形も無く消え去った。
「……ッ!!」
声も出ない。
たった今、この記憶のカケラに私の家が食べられてしまった。
思い出を、記憶を。こんな一瞬に。
「なんで、そんな……。記憶のカケラは……あの子の意図は、そんなもののはずじゃ……」
しかしその時、記憶のカケラに異変が見られた。
ぶるぶるとまるで苦しそうに振動すると、すぐにその動きを完全に止めてしまう。
そして、溶けるように消え始める。ぼたぼたと「漆黒」を流しながら。
「解放」された? 違う、これは決してそんな消え方ではない。
唐突に、頭に記憶が雪崩れ込んで来た。
――これは、私の家の中?
でも、燃えている。視界全てが。
動けない、苦しい。
熱い、痛い。
だた、泣くしか無かった。
「終わり」を、待っているしか無かった。
最後まで呼んでいたのは、彼の名前と、そして――
「……!!」
記憶の映像が、終わった。
もうあの不気味な記憶のカケラは消えている。私の家も、もちろん。
「そん、な……」
でも、もうそんな事も頭から離れていた。
ただ、今見たものがあまりにも衝撃的で、残酷過ぎて。
その場で、私は膝を付いてしまった。
「これが……世界の終わり?」
また、守れなかった。また、何も出来なかった。
また、救えなかった。
全部全部、私が弱いばかりに。
まわる。
記憶がまわる。
「そうか、文歌はそんな風に――」
お父さんが、笑っていた。
「あらあら、きっと文歌なら――」
お母さんが、笑っていた。
「じゃあ、約束! 私は――」
私が、笑っていた。
言葉がまわる。
光景がまわる。
まわる。まわるまわるまわる。
「えへへ、ずっと一緒にいてね」まわるまわる頭に焼き付いたそれが「文歌。父さんも母さんも、お前が大好きだぞ」まわるただひたすらに何度も何度も「私も、二人が大好き!」まわってまわって引きずりまわして「お父さん、もっと高い高いして!」まわしてまわしてまわしてまわして「お母さん、もっとご本を読んで!」容赦なくまわり狂ってまわり狂って「文歌は、本当に甘えん坊だなぁ」「文歌は、とてもいい子だわ」それは捻じれて拗れてそれでもまわってかき乱して「お父さんとお母さん、これから出かけてくるから。文歌はいい子で留守番しているのよ」まわってまわってまわして狂って引きちぎれそうなほどにまわってまわるまわるまわるまわるまわるまわるまわるまわるまわるまわるまわるまわるまわるまわ
――死体が二つ、笑っていた。
目玉の無い黒い空洞の目で私を見て。
口元を不気味に釣り上げて。
私を、嗤っていた。
「「ねぇ、どうして救ってくれなかったの?」」
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
――ああ、そうでした。
私はもう、とっくに壊れていました。
◇
もう何も考える事すら出来ず、俺は夢中で逃げていた。マイを、機関銃を背負って、必死に走り続ける。
息もだいぶ上がっている。体力も限界に近い。
でも、ココロ達が追ってくる事はなかった。
夕日も沈み、辺りはもうすっかりと暗くなっている。
周りからは風の音すらも良く聞こえなかった。視界も、良く見えない。ただ、目の前になぜかはっきりと見える一本道を、俺はただ真っ直ぐに走る。
その時間が、俺にはまるで永遠のようにも感じられた。
もう、ここで時間は途切れたのではないのかと。ここが、「最後」だったのではないのかと。
でも、いつの間にかその時間も終わっていた。
俺達は、たどり着いていた。
音が、視界が、戻ってくる。
穏やかな風が、火照った身体を冷ましていく。
足が、砂に埋もれる。
その時、背負っていたマイがゆっくりと目を覚ました。
「……光司……」
「マイ……」
「……ここ、は……」
彼女の視界に飛び込んできたものに対して、俺はこう答えた。
「海だ」




