主の覚悟
俺とマイは、ココロと巨大ジンの手によって捕らえられた。マイの機関銃も取り上げられる。
ジン達が河原に集ってくる。
そして、再び気を失って動かないマイに近寄ろうとしたが——ココロがそれを制止した。
「ダメだよ。マイは今、自己防衛機能も暴走している。キミ達が迂闊に近づけば、逆にやられちゃう。コウジにも危害が及ぶかもしれない。……この場所を知らせてくれてありがとう。ご苦労だったね、キミ達はもう『世界維持』の方に戻ってくれていいよ」
ココロの言葉にジン達は頷くと、そのまま一斉に地面に吸い込まれるように消えていった。
再び河原には俺とマイと、ココロと巨大ジンだけが残る。
俺を掴んだままだった巨大ジンは、俺をココロの目の前に降ろした。
その動きは繊細かつ丁寧で、そして彼女に従順な事が伝わってくる。一昨日暴走するように動いていたそれとはまるで別のものだった。
「……ココロ……」
「……」
ココロは、倒れているマイを見つめたまま何も言わない。
今朝のそれが俺の幻覚だっただなんて事はない。
ココロは、ジン達を操る事が出来ている。
それはつまり、今までジンが絡んできた出来事は、全て彼女が裏で糸を引いていたという事になる。
コンビニで俺が襲われたのも、雨の日の体育館のバスケも、巨大ジンとジン達の暴走も、全て。
ジンを、巨大ジンを、そしてマイを、彼女は操った。マイに至っては、「巨大ジンの暴走」「自身の記憶喪失」という偽の情報までその内に仕込んで
そうやって彼女は、今までの「解放」の綿密なシナリオを作り上げてきた。俺達は、まんまと彼女の手のひらの上で踊らされてきたという事だ。
だがここまで分かっても、なお理解は出来ない。
真実を知った今、聞かねばならない。
そうまでしてココロが成し遂げたい事は何なのか。目的は、望みは何なのか。
そして――この「世界の終わり」とは、一体何なのか。
でも、そんな事よりも先に聞かずにはいられない事があった。
どうしても知っておかなければならない事があった。
「頼む、教えてくれココロ。マイに――お前が望んで造ったはずのこの『存在』に、一体何があったって言うんだ……?」
さっきマイが見せた「漆黒」、そして「消失」。これら全てが彼女自身に原因があるのなら、きっとそれがココロが彼女を消し去ろうとしている理由なのだろう。
「笑っていたのに、全てを愛おしそうに見つめていたのに。どうしてマイは……こんな風に、あの子自身も大切に思っているはずのこの世界を、壊さなくちゃいけなくなったんだ……!」
「……」
黙ったままだったココロは、しかししばらくしてから静かにこう告げた。
「コウジ。マイはね、『人間』になろうとしているの」
◇
人に近い存在が欲しいと、私は思った。
この「旅」を、もう少し面白くしたいと。
こんな世界だ、流石に三人だけというのも寂しすぎる。
偽りの人間でもいい。そうすれば、もっと賑やかになる。
コウジやフミカも、話し相手が増えてもっと楽しんでくれる。
何より私も、「新しい仲間」というものに憧れた。期待に胸を膨らませた。
だから私は彼女――マイを造った。
この子は今まで作ってきたジン達とは決して違う。人の姿をしているし、話す事だって出来る。
しかし所詮は作り物。この子には、人と言うにはたった一つだけ欠落しているものがあった。
それが、心。
この子が「楽しい」と、「嬉しい」と感じてくれる事は、きっと無いと思っていた。
――……? あたし、動ける……? しゃべられる……?――
そうだよ、マイ。キミはなんでも出来る。キミは生きるんだよ。
作り物でもいい、心が無くてもいい。私達と、色んなものを一緒に見て欲しい、触れて欲しい。
この世界で、共に生きてほしい。
マイは無事動き、世界へと歩き始めた。
こんな色の無い世界だけれど、それでも今キミはここで生きている。かけがえのない一日一日を、ここで過ごしていく。
そしてコウジ達にも出会えた。コウジもあの子と仲良くしてくれた。フミカだって、とても優しくしてくれた。
全てが、上手くいくと思った。
でも、気が付いてしまった。
世界に触れるうち。コウジ達と話しているうち。
マイには、いつの間にか心が宿っていたという事に。
――……悲しい、嬉しい。気持ち……心? あたし……あたしは……――
失敗したんじゃない、完璧過ぎたんだ。彼女は人という存在にあまりにも近すぎた。
私達とあの子を隔てていた壁など、本当は殆ど無かったんだ。
そして心を知ったマイは、本当の人間へとその存在を「昇格」しようとした。
きっとそれは、本当はとても喜ぶべき事だったのだろう。
……でもね、ダメなんだ。それでもやっぱり、この子は人ではいられない。
この子が人であろうとするには、必要になるはずの「過去」が欠落し過ぎている。当然だろう、そんなもの、この子には最初からどこにもないのだから。それを埋めるための記憶が——「情報」が、圧倒的に足りない。
だからこの子は人間になろうとして、この世界の情報を「食べる」事を始めてしまった。
この世界の情報。それは、今のこの世界そのものだとでも言っていい。それを奪うという事は、世界を壊していくという事。
周りにあった記憶、思い出。情報の足りないこの子。それはもう自然現象のように、この子はそれを吸い込み始めてしまった。
でもそれはあの子の記憶じゃない、情報じゃない。だってこの世界には、あの子の生きた過去などないのだから。あの子にまつわる記憶なんて何一つないのだから。
それを取り入れても、あの子は自身の存在を証明出来ない。
その情報をいくら食べても、人にはなれない。
――……あたしは……あたしは、一体……?――
でも、それを繰り返さずにはいられない。
彼女は、人間になる事を願ってしまったのだから。
そうして今、人間になりたかったはずのこの子は。世界を愛したかったはずのこの子は。
――世界を喰らい続けるしかない、化け物に変わろうとしている。
◇
ココロの話が終わった。
それは、一人の少女の裏側の思い。願い。
そして――あまりにも、誰も救われない話。
「……なんだよ。なんなんだよ……それ……!!」
その話は、俺には半分以上はよく分からなかった。今の世界における「情報」とは、「記憶」とは、一体どれほどの重みがあるのか。それはまだ彼女の口から語られてはいない。
だが、これだけは分かる。
それは、二人の少女の願いを踏みにじった話である、という事を。
ココロも、マイも。
それはただ、一途な願いから来たもののはずだったのに。
誰も、悪くは無いのに。
「……理不尽、過ぎるだろうが……ッ!」
それが、あまりにも虚しくて、悲しくて。
分かっていた。ココロが、マイを殺すだなんて事を望んでやるような奴じゃないって事くらい。そうせざる負えない理由があったという事くらい。
裏があるのは、俺達には秘密にしている陰謀があるのは分かった。
だがそれでもココロは、明るくて――そして、本当にとても人思いな少女なのも確かだったのだから。
きっと彼女だって、マイの事を俺達か、それ以上に大切に思っている。産みの親同然でもあるのだから、それは当然だ。
だからこそ、悔しかった。
ココロに、こんな事をさせるしか無かったこの現実が、結末が、あまりにも許せなくて。
――それでも、彼女は言うのだろう。
「……ごめんね、コウジ」
ココロは、ようやく俺に振り返った。
「……ッ!」
彼女は、微笑んでいて。
でも、とても悲しそうな顔をしていて。
「キミには、辛い思いをさせちゃったね。悲しい思いを、させちゃったね。私、酷い事をしちゃった……」
――そんな事を、言ってしまうのだろう。
「……なんで」
堪らず、俺は言い返してしまった。
「なんで、お前がそんな事を言うんだよ!! どうせ一番辛いのは、傷付いているのは、お前なんだろうが……!!」
彼女が一番この事の顛末を間近で見てきたはずだ。
一番思う所があるのは、彼女のはずなのだ。
それなのにどうしてココロは、こんな何もかもを背負おうとする事が出来る?
全ての感情を、押し殺そうとする事が出来る?
いつもそうだ。人の気持ちを包み込もうとするくせに。知らないうちに心を癒してくれるくせに。
それなのに、自分の事は何も見せようとしない。何も他人に気負わせないようにしない。いつも空回りとすら思える明るさを俺達に見せてきた。
そんなの、卑怯だ。本当に……ずるい。
ココロはその言葉に少しだけ驚いたような顔になったが、すぐにまた悲しい笑みを見せる。
「……あは。やっぱり、コウジは優しいね。何も変わらない、出会った頃から、ずっと。キミの優しさに、私は救われた。私はこんなにも――あなたが、大好きなんだ」
「なに……を……?」
また彼女の言葉がよく分からなくて、そう聞き返すしかなかった俺。しかし、それには何も答えてくれなかった。
ココロはもう、動かないマイに視線を戻していた。
「コウジ。私は、マイを殺さなくちゃいけないの。どれほどの罪にまみれようが、心を潰そうが。全ては、世界を守るために。……キミを、フミカを、守るために……!!」
「……ッ!!」
どうして彼女がこんなにも俺や五十鈴に肩入れしてくれているのかは分からない。
だが、どうやらそれが理由でこの破滅寸前の世界を守ろうとしている。
だから本当に、やるのだろう。ココロは。
例えそれがどんなに嫌でも、辛くても。
きっと彼女は躊躇する事なくマイの破壊、それを実行する。
それが、ココロという少女だ。世界を掌握してしまった少女の選択だ。
なぜならこれが、世界が彼女に命じた事でもあるのだから。そして、俺達という存在が彼女にどうしようもなくそう命じている事だから。
何か、何か他の手はないのか? マイも、ココロも、五十鈴も、皆が無事にいられるような方法が。
――ほら、頭は良いのだろう? 今までもその発想で潜り抜けてきたじゃないか?
遠い所に逃げる事すら出来ない。ココロは、俺達を閉じ込めてしまった。
――そんな簡単に諦めてしまってもいいのか? 考えろよ、時間が無いんだぞ。
そもそも、逃げた所でマイが世界を喰らう事は変わらない。何の解決にもならない。
だったら、マイに人間になろうとする事をやめさせるか?
「お前如きが俺達人間と並び立とうなんておこがましい。心など不要だ。さっさとジンに戻ってしまえよ、この化物」
そう、彼女に言い放ってやるか?
そうやって――彼女の心も、笑顔も、全てを壊してやるか?
「……ッ!」
無理だ、無理だ、無理だ。
そんなの、彼女を殺す事とどう違うというのだ。
希望など無い事が分かってしまった。結局は、無駄な足掻きなのだと理解してしまった。
――ああよく分かったな、その通りだ。そもそも本当は最初から予想は出来ていただろう? こうなる運命だったのだと。
嘲笑う自分に対し、もう頭を抱え、項垂れてしまうしかない。何も言えない。
……ごめん、マイ。もう何も、何も浮かばないんだ。これが限界だ。
君を殺す以外、俺達に未来はない。
ココロが、右手の中で影のようなものを収縮させて何かを造った。
夕日に煌めく銀の刃。鋭く、真っ直ぐに伸びる切っ先。
それは博物館などでも見た事がある、見事な一本の刀だった。その先を、マイの心臓に向ける。
ああ、殺すのだろう。そんな、今にも泣きそうな顔で。
どうして、こんな結末なのだろう?
やっと心を知られたマイは、どうしようもなく今すぐこの世界から消えなくてはいけない。
ココロは、誰よりも重い罪と悲しみを背負わなくてはいけない。
そして俺はまた、大事なものを失わなくてはいけない。
また繰り返すのか?
また俺は、諦めるのか?
――嫌だ。そんなの、絶対に嫌だ。
足が、勝手に動いていた。
ココロが手を下す直前だったマイの上へ、俺は庇うように覆いかぶさる。
「……コウジ……」
「俺は……俺は……ッ!」
上手く言葉すらも紡げなかった。
彼女が本当の悪者であればどれだけ良かっただろう。
そうすればこうやって敵対する事に、何も心が痛む事はなかったのに。
「……ッ! ま、って……!!」
そのままマイを背負い、ココロの制止も振り切ってふらふらになりながらまた逃げ始める。
きっと、今は思いつけないだけで何かまだ救いの道があるはずだ。それまでの時間を稼がなければ。
そう言い訳する俺の頭は、最早何も考えられていない事には気付いていない。
ココロ達はすぐに追ってくるような様子は無かった。
振り返りはしなかった。
だって今彼女がどんな顔をしているかなんて明白で。そんな顔を、俺はもう見たくなくて。
分かっている。この「終わり」は、もうどうしようもなく避けられないものだという事くらい。
もう、戻れないという事くらい。
でも、それでも。
俺は、願うしかないのだ。
いつまでも皆が笑顔のままで、終わりなんて来ないで欲しいと。
どうかこの「終わり」は、永遠のものであって欲しい、と。