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約束の旅路

 


   ◇



 心。

 きっとそれは生きていく上でとても重要で、掛け替えの無いもの。


 心は思いを産み、感情を産む。そこから「自分」が産まれる、「相手」が産まれる。

 愛が、産まれる。


 キミは言ったね。

 この世界を、綺麗だって。


 しかし世界は、ただ綺麗な場所であるはずは無い。

 嫌な事もある、苦しい事もある。

 残酷な現実がある。

 だから、世界が綺麗だと言うのは……悲しいくらいに嘘だ。


 でもキミのその言葉は、きっと誰よりも人間らしい言葉なのだろう。

 だってそれは、本当は誰もが言いたい言葉だ。世界で生きる者全てが信じていたい夢だ。

 だからそう言えるキミこそが、きっと誰よりもこの世界を愛する事の出来る存在で。


 ……だからこそ。

 だからこそ、私は。

 キミを、この世界から消さなくちゃいけない。


 だってそれが……私が、この世界を愛しているキミに示せる、精一杯の愛なのだから。



   ◇



 ごんっ!という音が、振動と共に俺の身体に伝わった。


「……」


 冷や汗が流れる。

 車を、また塀にぶつけてしまったのだ。

 ゆっくり走ってボディはもうぼこぼこという様である。今のところエアバックさんにはまだお世話になっていないだけ行幸と言えよう。

 車の初運転。ジンから逃げる為には確かに有効な手段なのだろうが――


(こえぇ……! 運転、こえぇぇぇ……!!)


 ――というのが正直な感想だった。

 車の運転に関しての知識が皆無なまま、ロクな実践もないままにいきなり路上デビューというのはあまりにもきつかった。

 何せ俺が知っている車に乗って気を付ける事と言ったら、「シートベルトをする」くらいのものだったのだから。


 勉強は出来るが、知識もないままにカンで物事を進めるしかないという状況には滅法弱いというのが俺の弱点である。今の世界でネットでググるという事も出来ないし、運転のやり方が書いてある本などどこに置いてあるのかも知らない。実行に移す決心はしたものの、その時になってからどうしようも無くなった自分の浅はかさを呪った。


 まず、エンジンは何とか入れる事が出来た(それっぽい電源ボタンだけ押しても動かず焦った。同時にブレーキペダルを踏む必要があったという事を知るまでの奮闘はちょっと長いので省く)。車がぶぉんぶぉん唸る。

 しかし、すぐにこの後どうすれば良いのか分からなくなった。


「おいい!? エンジン掛かったなら動けってのポンコツがー!!」


 とは、ポンコツである自分の談。

 この状況にまずテンパり、慌てて前のレバーみたいなのやら、運転席の真横にあったレバーやらを引いたりしていたら、何と車が突然勝手に動き始めた。


「……!?」


 びっくり仰天の俺は、その拍子に足元のレバーを踏んでしまった。

 ……加速したから、きっとそれはアクセルペダルだったのだろう。

 というわけでまず出だしから向かいの家に突っ込むハメになった。


 自動車運転の教習所、きっとそこはとても尊い場所であるのだろう。こんな危険な乗り物を、誰でも乗られるようにしてあげる事が出来るのだから。


 せめて父親の運転をもう少し良く見ておくべきだったなと今更ながら後悔した。


 ジンがまたいつ何処から襲って来るかも分からないから、ゆっくり走って慣れる時間があまり無いという事がまた厳しい。

 その後もロクな運転の上達も無いまま今に至る。ハンドル操作が慣れないまま、またぶつけてしまった。もう何度目だろう。すっかりボディはべこべこである。


「はっ……!」


 慌てて俺は振り向く。

 しかし、後部座席に座らせ、シートベルトで固定させたマイは、変わらずすぅすぅと寝息を立てていた。今の衝撃でどうにかなったとかそんな様子は無い。それを見て、再び安堵する。

 やはりこれ、五十鈴とかを車に乗せなくて本当に良かった。マイも今寝てくれている事が本当に助かっている。


「はぁ……。しかし、こんな調子で本当にジン達から逃げ切れるのかよ……」


 バックして(何とか覚え始めていた。ギアを弄れば良いわけだ)、めり込んでしまった塀から抜け出す。

 やっぱり歩いて逃げた方がまだマシなのか? と考えていると――


 ジン達が、周囲の家の屋根を飛び越えてこちらに接近して来た。


「……!!」


 覚悟はしていたものの余りにも突然で思わず、と言った感じで、アクセルをまた強く踏んでいた。

 結果車は物凄く加速しながら前進を始め、今度はちゃんと道路を進む。

 ジンの一体が車を止めようと腕を出してくるが、なんと逆に彼の腕が吹っ飛ばされてしまう。

 しかもそれでもなお車のスピードは、落ちない。

 そして、既に完成しそうになっていたジン達の包囲網をあっという間に突き抜けた。


「お……おお……!!」


 思わず感嘆の声を上げる。

 その時、丁度行く手に一体のジンが立ち塞がってきた。


「え……っ!? ちょ……! それはマズ……!!」


 体を張ってこの車を止めるつもりなのだろう。まずい。

 しかしいきなり目の前に出てこられ、もうブレーキも効かず――


「……っ!!」


 激突。多少の衝撃がこちらにも襲い掛かる。

 ……掛った、ものの、車はそれでも止まる事は無かった。


「……ん?」


 閉じてしまった目を開いてみれば、前方でさっきのジンが宙を舞っていた。どうやら車で吹っ飛ばしてしまったらしい。

 あのジンを、まるで紙くずのように。


「……」


 今度はバックミラーを見る。

 後ろからは、まだ多くのジン達が追いかけてきているのが見える。

 しかし、その姿はだんだんと小さくなっていき、次第に見えなくなってしまった。この車の方がジン達よりも圧倒的に速いという事だ。


(車、つえぇ……!)


 これなら、逃げ切れるかもしれない。

 今走っているのが、住宅地を真っ直ぐに突き抜ける道路。

 そこからさっきいた街の大通りを目指す。

 広い道路なら、安全に速度を出して走れるはずだ。




 何だかんだ言って、運転が出来るようになってきたかもしれない。


 ……嘘だ。というのも、今この世界には誰もいないのだから、当然他の車など走っていない。

 つまり今、広い一本道である街の中央道路を走る俺は車線や信号を完全に無視して走る事が出来る。ただアクセルを踏んで、たまに来る緩やかなカーブを曲がって、という簡単なお仕事である。これなら流石に俺でも出来る。


(しかし無免許運転に、相手は人間どころか生物ですらないがひき逃げに。元の世界なら俺は完全に懲役を免れないわけで……)


 今の世界の現状においてはくだらない事を考えながら車を走らせる。ジンも追って来れないとあって、随分と気持ちにも余裕が出てきた。

 そうして車の運転が可能となった以上、俺も決心がついていた。


 逃げよう。


 この町から逃げて、マイとともにどこか遠くへ行くのだ。ココロが追跡出来ない程の、どこか遠くまで。


(ごめん、五十鈴。どれだけ時間がかかっても、この子を安全な場所まで避難させたら、また必ずここに戻ってくるから)


 この世界が今後どうなっていくのかは知らない。今日は「解放」だって行えていない。

 それでも、世界の命運よりも、俺はマイを守ってあげたいと思った。


 そうして走っているうちに山の中を突っ切るトンネルへと入る。

 もうすぐだ。このトンネルを抜ければこの町ではなくなる。

 ここを抜けて、遠い地でマイと二人きりで、ほとぼりが冷めるまで一緒に過ごして。

 出口の光が見えてきた。向こうがもう次の町だ。

 これで――


 車が、身体が止まった。


「……あ……?」


 ブレーキを踏んだわけでは無い。勝手に止まってしまったのだ。それも全てが。

 声も、まばたきすらもそれは許さない。

 壁だ、壁がある。トンネルの出口に張られたそれが。

 だがそれはただの透明な壁というわけではない。現に、車は衝突でひしゃげていない。

 まるでそれは時空そのものを止めているかのように、俺の全てを阻んだ。

 何とか動いた腕でレバーを動かして少しバック。ようやく身体が通常の動きに戻った。


「なん……だよ……これ……」


 車から出て、途方に暮れた表情で俺はトンネルの出口から見える希望だった風景を眺める。

 山道、街、川。目の前にそれはあるはずなのに。


 それはまるで、出来の良すぎる絵画を眺めているかのような気分だった。


 


 トンネルを引き返し、俺はまた街の大通りへと戻って来ていた。

 逃げられる事も想定済みで、ココロは策を講じていたのか。

 いや、まだだ。これでこの町から抜け出せないと決まったわけでは無い。

 どこかにあるはずだ。ここからの抜け道が、きっとどこかに。


「うぅ……ん……」


 その時、後部座席の方で呻き声が聞こえた。どうやらマイが起きたようだ。

 内心の動揺を努めて抑え、俺は彼女に話しかける。


「おはよう、マイ。と言っても、もう昼過ぎなんだけどな」

「……光司。ここは……? というか、これは一体……どういう状況なんですか? 外の景色が、どんどん流れていって……?」

「車だよ。凄いスピードで動ける鉄の箱……かな、ざっくり言うと。それに今、俺達が乗って移動しているんだ」

「移動……そうか。あたし達、ジンから逃げて……」


 そう言うと、バックミラーに映るマイの顔が、少しだけ暗くなってしまった。


「ごめんなさい、光司。巻き込んでしまって。辛い思いを、させてしまって。あたしの、せいで……」

「……」


 そんな事を、考えないで欲しい。

 彼女には、少しだけでいいからそんな現実を忘れていて欲しい。

 ただ、笑っていて欲しい。

 そんな気持ちから、俺はこんな事を言っていた。


「違うぞマイ。ジン達からはもう逃げ切れた。今俺達はな――旅に出ているんだよ。この世界を見る、そんな旅だ」


「……え?」


 驚くマイに、俺は振り返って笑みを見せてやった。


「言っただろ? お前には、この世界でまだまだ見せてやりたいものがあるって。それを今から、お前に見せてやるよ。付いてきて、くれるよな?」

「……旅……」


 しばらく驚いていた様子だったマイだが、やがて彼女は嬉しそうに笑ってくれた。


「……はい、お願いします。あたしを連れて行って下さい、光司。どこまでも」


 それは、昨日彼女が星空の下で俺に見せてくれた笑顔と同じだった。

 可愛らしくて、綺麗で。でも、どこか儚げで、寂しそうで。

 だからこそ、俺もこう返す。


「ああ、もちろんだ。俺がお前を、どこまでも連れて行ってやる」


 彼女が今あるしがらみ全てを忘れ、ずっと笑顔でいてくれるような、そんな場所まで。

 マイが、幸せになれるところまで。


 躍起になって出口を探すのはひとまず後だ。まずはこの町をマイに案内してあげよう。

 そうしているうちに、きっと逃げ道だって見つかるはずだ。


 しかしその直後、マイは俺の前を指さしてきた。


「光司、前見た方がいいです」

「へ……うおっ!?」


 前を見れば、車が危うく少し高くなっている歩道に乗り上げそうになっていた。慌ててハンドルを切る。俺とマイが車内で傾く。


「この様子で旅……ですか。その前に死なないですかね、あたし達?」


 マイが呆れたような目を俺に向けてきた。


「ち……違うし! ちょっと油断しただけだし! もう大丈夫だからな! ……多分」

「多分て」

「ぐっ……やめろ! 煽ってくんな! 運転に集中出来なくなるだろ!!」

「関係ないと思いますけどね」

「取り敢えず死ぬと思ったら俺だけでも車から抜け出すからな」

「安心してください、あたしが死ぬと思ったらこの機関銃であなたも道連れにしますから」

「……それはまた……洒落にならんご冗談で……」


 言い合いながらも、俺もマイも笑って。

 そんな風に、俺達は「旅」を始める。




「んっ……ごほん。とりあえずだなマイ」


 自然に言うつもりだったが、咳払いが出てかしこまった風に言い出してしまう。


「お前も起きてくれた事だし、まずはジンが周囲にいない事を確認してから服屋に寄ろう」

「それは、なぜでしょう?」


 不思議そうに聞いてくるマイに対し、少しだけ言葉を詰まらせながら俺は答えた。


「いやその……なんだ。お前がジン達の攻撃を受けて、着ているその服にもダメージが見られてだな……」

「へ……。……ッ!?」


 マイは視線を下に向け、ボロボロになって所々自分の肌も見えてしまっている自分の黒いコートを見ると、急に顔を赤くして隠すように両腕で身体を抱く。そして、バックミラー越しに鋭い目つきでこちらを睨むのだった。


「……見ました?」

「いや、見てないぞー! お前の貧相な身体なんか俺は見てないからなー!?」


 マイは機関銃の銃口を俺に向ける。この車は彼女によってジャックされてしまったのである。


「お願いします、大至急。あと、これ以上こちらを見ない事。いいですね?」

「はっはい! 善処いたします!」


 そうしてしばらく車を走らせて、街の中にある服屋の前にひっそりと停めた。


「入口で待ってて下さい。店の中までは絶対に入ってこないで下さいね」

「いや別に試着室はあるんだから店の中くらいまでは」

「絶対に入ってこないで下さいね」

「……はい」


 そこまで念を押されては仕方があるまい。

 しかし、待った時間は数分程だった。女の子の服選びがこんな短時間でいいのかと思うほどあっという間にマイは店から出てきてしまう。


「……!」


 だが、出てきた姿に息を呑む事になる。


 純白の生地に細い朱の線があしらわれたブラウス。その上に羽織る黒いジャケット。

 スカーフ状の灰色の腰巻の下には、紺色のプリーツスカート。

 靴は黒茶色のブーツという組み合わせだ。

 派手過ぎず、地味過ぎず、そして今までのクールな雰囲気すらも損なわない絶妙な色合いだった。

 そして髪型まで変わっている。肩口をくすぐる程度の髪の一部を、左側頭部へと細く一房まとめてある。さらにその頭の上には、黒いリボンで縁取りされた白いベレー帽まで被っていた。

 そんな私服姿のマイはいつもより可愛らしく、かつ少し大人っぽく見えて。


「……その、どう……でしょうか?」

「……いや、無茶苦茶可愛い」


 まさに大変身とも言える彼女の変化に呆気に取られて、思わずありのままの感想を言ってしまう。俺が思わず口を押さえるのと、彼女が赤面するのはほぼ同時だった。

 マイは恥ずかしそうに下を向くと、「ばか……」と小さく漏らしていた。



 

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「終末へのココロギフト」を読んでいただきありがとうございます!よろしければこちらより、現在連載中のファンタジー 「そして勇者は、引き金を引く〜引きこもり少年と怪物少女の、異世界反逆譚〜」 も読んでいただけるととても嬉しいです!よろしくお願いします…!
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