世界からの逃走
◇
懺悔をしよう。
私は、嘘をつくことにした。
それも、最も親しい人達に。
最も、大好きな人達に。
許される事は、きっと無いのだろう。もう戻れる事はきっと無いのだろう。
でも、立ち止まるわけにはいかない。
諦めるわけにはいかない。
「贈り物」を捧げよう。
私が送るこの精一杯を、親愛なるあなた達へ。
――そう、私は決めたのだから。
◇
「何……やってんだよ……ココロ……」
かろうじて俺が絞り出せた言葉がそれだった。
ジンの軍勢のど真ん中に居座る、酷く冷たい目を向けているその少女――ココロに対しての。
「……そう。これじゃもう、ばれてしまうね。思った以上に早かったな」
その声もまた、冷たく感情を一切欠いたものだった。
思考が、まとまらない。単純に浮かんできた疑問しか口に出せない。
「ジンの……大軍。なんで……お前がそっちに……?」
「ジン? ああ、この子たちは私の操り人形でしかないの。この世界で、私はこの子たちを自在に操ることが出来る」
しかし、その質問の答えすらも上手く理解出来ない。
何を、言っている? 彼女は。
「まあ、しょうがないね。多少予定を変更してでもこのリスクは排除しなくちゃいけない。コウジ、マイを渡して」
ココロが指差すのは、血まみれになって瀕死の状態に近い少女、マイだった。
「マイ……? お前は、マイをどうするつもりなんだ……?」
きっと、これは何かの間違いだ。ココロは、傷ついたマイを治療してくれるのではないか。
俺は、すがるような思いでそんな事を聞いていた。
だが、返ってきた答えは――現実は、あまりにも残酷なものだった。
「言ったでしょ? リスクを排除するって。……殺すの、マイを」
「……」
言葉すらも出ない。
彼女は一体何を、言っているのだろう?
何を――
「コウジ、その子はもうすぐこの世界に災厄をもたらす存在になる。とてつもない脅威になる。そうなる前に、消し去らないといけないの。だからお願い、殺させて」
ゆっくりと、彼女を見る。
傷だらけで、虚ろな目をして、動けなくなっている彼女を。
昨日は、俺達と「解放」をしてくれた。
楽しそうに笑ってくれていた。
俺達の側にいる事を、選んでくれた。
そんな、この子を――殺す?
「……分から、ねえよッ!!」
遂に俺は叫んだ。
信じられない事実を次々と突き付けられ、もう思考を巡らせる事すらも耐えられないというように。
「マイが災厄!? 脅威!? ふざけるな! こいつは俺たちと同じ、この終わった世界で生き残った少女だろうが!! この子自身がそう言ってたじゃねえか!! 何で……何でお前がジンの元にいる!? 何でこの子をこんな酷い目に遭わせられる!? 分からねえ! 分からねえよ!!」
本当に、訳が分からな過ぎて。
もう何を信じて良いのかも分からなくなって。
俺はただ、がむしゃらに叫ぶ。
「……そう、渡す気はないようだね。仕方ない、じゃあ無理矢理にでも……」
しかしココロは、こちらの叫びなどまるで聞いていないようだった。返されたのは、そんな無慈悲な答え。
大軍が迫る。この腕の中でまだ残ってくれている、その温もりすらも刈り取ってしまおうと。
なんで。なんで!!
その言葉がぐるぐると俺の頭を渦巻く。
四人で遊んだ。俺と、ココロと、五十鈴と、そしてマイと。
大切な時間を過ごした。
マイも、嬉しそうだった。喜んでくれた。
お前だって、楽しそうに笑ってくれていたじゃないか。
誰よりも元気そうに、明るく。
なあ、ココロ。あの時間は、今までの思い出は、全部嘘だったのか?
お前は――
「俺たちを……騙していたのか!!」
「高山君! マイちゃん!!」
その声と共に、ジンの軍勢は動きを止める。
そこには俺達を庇うようにこちらに背を向け、両手を広げながらココロを睨みつける五十鈴が立っていた。彼女も起きて、俺の後を付いてきていたのだろう。
「ここは私が抑える! だからマイちゃんを連れて早く逃げて、高山君!!」
普段のおっとりした性格はからは想像も出来ない程の切羽詰まった声で、彼女は俺にそう言ってくる。
「何を言ってんだ五十鈴、そんな事をしたらお前が……!」
「大丈夫。このジン達の動きを見る限り、きっと私が殺されるような事はないと思う。だから……」
「そんなの……何の根拠も……」
「いいから早く行ってよ!! お願い、一刻も早くマイちゃんを治療してあげてよ……!!」
悲鳴にも近い声で五十鈴は叫ぶ。その言葉を聞いている俺も、きっと酷い顔をしていた事だろう。
それでも、その腕に抱くボロボロのマイを見て俺は頷くしかなかった。
「……ッ! ごめん五十鈴。マイを治療して安全な場所へ逃がせたら、必ずお前も助けに行くから……!」
彼女の思いを受け止め、俺の足はようやく立ち上がる。気持ちを強く持たなければ、足が止まってマイが殺されてしまう。
――マイが災厄だと? 知った事か。
彼女は、俺が守ってみせる!
俺はマイと機関銃を担ぎ上げ、ココロへ背を向けてその場からの逃亡を開始した。
◇
「私が抑える、か。……その割には、随分と足が震えてしまっているみたいだけど、フミカ?」
「……あ」
ココロちゃんにはもうばれてしまっている事が分かり、私は動揺する。
「慣れない事をするからだよ。そうやって震えている事が、実にキミらしい」
今までの無邪気そうな雰囲気だった彼女とはまるで違う。嘲笑うかのような冷たい笑みを浮かべ、言葉には鋭い棘を仕込んでいる。
怖い、そんな彼女が酷く怖い。それに、この影の軍勢も怖い。今にもこの場でへたり込んでしまいそうだ。
それでも、何とか形だけはまだ崩れ落ちずにいた。
「そこを、どいてくれないかな」
「どかない! どくわけ……ないじゃん……っ!」
冷たい声だった。それに対し、私は叫び返した。
「なんでマイちゃんを殺そうとするの!? なんでこんな酷い事をするの!?」
「キミも聞いていたでしょ? 言った通りだよ。もう一度言うのはちょっと面倒だね」
不自然な程に落ち着いている彼女に対し、私の中の怒りと疑念が膨らんでいく。
「あなたは何なの!? 一体何が目的なの!?」
「それはちょっと答えられないかな。まだ知られるわけにはいかないの」
「じゃあ――」
こちらの質問を適当にかわされてるように思い、更に苛立ちを募らせた私は、自分でも聞きたくなかった疑念を口にする。
「――今までの出来事は、全部あなたが裏で糸を引いていたの!? そうやって、影でジン達を操って!!」
「そうだよ」
認めたくは無かった真実に対し、彼女は弁明もなくあっさりと告げる。
「迫真の演技だったでしょう、私? キミ達への振る舞いとか、あとジン達との戦闘だって、我ながらうまく自演出来たんだ。おかげでキミはもちろん、あのコウジだってすっかりと信頼させられちゃった。すごいでしょ?」
「……」
無言のまま、私は首を振る。
どうして、そうも悪びれる事なく語れるのか。
どうして、昨日までの自身をそう簡単に否定出来るのか。
そう述べた彼女に対し、私の中の嫌な思考はどんどん膨らんでいく。
「……全部、私達はあなたの手のひらの上だった……? 一体、どこから? ……まさか、最初から――」
それは本当に嫌な感情だった。
怒りとも、恐怖ともとれるそれが、胸の中でじわじわと広がっていく。
最悪の仮定が、私の中で生まれてしまった。
それまで私は、口にしてしまった。
「――世界を滅ぼしたのは、あなたなの? ココロちゃん。あなたが、世界から色を奪い、人を奪ったの?」
「……そうだと言ったら、キミはどうするの?」
そこで初めて、彼女に別の感情が混じった。
その微笑みに、今度こそ悲しみが混じったのだ。
「……ココロ、ちゃん……?」
「そう。私は、世界を滅ぼした魔王なんだ。今はこのジン達を操り、この世界を思うがままにしようとしている。怖いね、許せないね。なんて自分勝手なんだろう。……ねえ、キミはどうする? そんな絶対の『悪』を前に、キミはどうするの、フミカ?」
本当なのか。本当に、彼女は――
「黒幕」が、悲しそうに笑う。
深い絶望が、後悔が私を苛む。
「……話を、聞く……」
だがしばらくの間を空け、私はそう絞り出した。するとココロちゃんの眉が、微かに動いたのが分かった。
「そうしたのには、何か理由があるはずなんだから。あなたは答えないというけれど、それでもしつこく聞き続ける。私が納得できるまで、あなたを敵だなんて認めてあげないんだから……!」
嫌な自分を抑え、何とか希望を見出す。
彼女を悪者だなんて思いたくはないから。
昨日まであんなに楽しそうに笑っていた彼女を、その姿全てが嘘だなどと認めたくは無いから。
だから、まだ敵としてではない。
ココロちゃんの味方として、今の彼女を否定してやる。
だがその答えを聞き、彼女は――
「……そっか、うん。やっぱり、キミは実にキミらしい。キミは――ずっとそうやって弱いままだ」
――彼女は失望し、哀れむように嘆息してそう言った。
「……ッ!?」
その言葉に、私の身体は強張ってしまった。だがそうしていたもの一瞬。
すぐに数体のジンがこちらに迫ると、身体を抑えつけられて身動きが取れなくなってしまった。
「な……この……っ。離して……!」
もう感情を消し、無表情でココロちゃんは告げる。
「キミの推測は正しいよ。私はキミやコウジを傷付けるつもりは一切ない。でもこうして見られて、邪魔してくる以上キミを秘密基地に拘束させてもらう。……しっかり見張っているんだよ、ジン」
ジン達に連行され、ココロちゃんの姿も、声も遠ざかっていく。
「……騙していた、か。そんな事、最初から自覚していたはずなのにね」
抵抗しながらも、私はその顔が印象に残った。
その場に残り、淡々と呟いているはずの彼女は――今度は、すごく苛立っているように思えた。
「さあ残りのジン達、コウジ達を追って。マイを確実に仕留めて。でもコウジには絶対に攻撃しないでね。少しでも傷つけてたら……お前達だって消してやるから」
誰が望んだのだろう。誰が悪いのだろう。
そんな何もかもがよく分からない、長い逃走と抵抗の一日が始まる。
◇
日が、昇る。この世界に唯一ある二つの色の一つ、白がまた戻ってくる。
淡い光を受けて煌めく道路、ビル。
それらが光を受ける事により長い影を作る、残された黒。
昇り始めた朝日に照らされた街並みというのは、色が分からなくともどこか神秘的ですらあった
それに視界が広がるのは純粋にありがたい。今俺がいる、街の中央を通る広い国道も良く見渡せる。
しかし、今俺はその景色に見とれている暇も無ければ、あと俺達の周りには未だ黒の割合の方が多くなっていると思う。
今、マイを背に負ぶさって逃げる俺の後ろから、何体もの黒いジンが迫ってきているのだから。
ココロと巨大ジンの姿は見えない。先程その足元にいた、ジン軍団が追いかけてきているのだろう。
狙いは、マイを殺す事。無機質な殺意が背後から伝わってくる。
マイは今、俺の背中で目を閉じて動かない。気を失っているようだった。
「くそ……何で……こんな……!」
やり場の無い怒りが蘇り、歯を食いしばる。
ココロ達にやられたマイは意識不明の重体。
五十鈴は俺達を逃がし、その安否も分からない。
そんな状況の中で、俺はただこうして逃げ続けるしかない。
「……くっ」
追ってきているジンの内、前の方にいた数体が、またマイに触れそうになる。
彼らは元々足が速い上、こちらもマイを背負って走っているため、速度が出せない。追い付かれるのも必然だ。こんなもの鬼ごっこにすらなっていない。
でも、どうやら奴らにも制約が掛けられている。
「こっちだ、化け物共!!」
一体の拳がマイを殴り飛ばす寸前、俺は彼女と位置を入れ替えるように身体ごと振り返り、それと向かい合う。
瞬間、俺の身体を砕くには十分な威力と速度を持っていたその拳は、俺の目の前で止まった。
五十鈴の推察通り。彼らは、俺を傷付けるつもりは無いらしい。実際にまだ俺は無傷だ。きっと五十鈴も、ただ放置されたか捕まったかのどちらなのだろう。そう考えるだけでも多少は気持ちが軽くなる。
生かして貰っているという感じでそれ程良い気分でも無いが、これは存分に利用させて貰う。
「……!」
俺の目の前で硬直するように一瞬止まってしまったジン達に対して。俺は持っていた拳銃を向け、次々とそれら頭目掛けて発砲をした。
すっかりマイに返すのを忘れていた拳銃。しかし今は持っていて良かったと思える。
ジン達にはこの前の花火も手伝って貰ったし、少しは申し訳ない気持ちにもなるが、追ってくる以上倒させて貰う。
放った銃弾は、三体の核には命中して倒す事が出来た。しかし、残った数体は微妙に核を外し、影の身体に風穴を開けられたダメージでその場に崩れ落ちるという結果にしかならなかった。しばらくすれば復帰出来る程度の損傷なのだろう。
しかし、これでいい。道にジン達が倒れてしまう事により、一瞬だけ後から続いて来たジン達の進行の妨げをする事が出来るのだから。
この隙に、また逃げさせてもらう。
まだ街の中に潜って身を潜める事は考えない。数は向こうが圧倒的に上なのだから、もしどこか建物の中なり隠れ場所が分かってしまえば、逃げ道を全て封鎖されてしまってそれで終わりとなる。
ならば寧ろわざと奴らの前に出て、逃げながらもその数を少しずつ減らしていく方が効果的だ。隠れるのはその後でいい。
「よし、この調子なら……!」
思ったより絶望的な逃亡でも無い。
俺を盾にして、マイを守りきって。
そしてこのまま――
(この、まま……?)
一瞬思考が止まってしまった。
このまま、俺はどうすると言うのだろう?
マイと一緒に、ジンから、ココロから逃げて。五十鈴を見捨てて。
そして、その先には?
そんな考えに逸れてしまった時だった。
俺が先程まで抱いていた微かな希望は、すぐに絶望に変わる事となった。
突如、逃げる俺達の周りを囲むように発生した、その膨大な量の黒い霧を見て。
「……え?」
霧――否。それは、影。昇り始めた朝日すらも引きずり込んでしまうのではないかとすら錯覚する、圧倒的な黒。
その影の中から立ち上がる、無数のジン達。一瞬にして完全に囲まれてしまった俺達。
――そして、どうしようもなく分かってしまう。理解してしまう。
今、俺達が逃げようとしているのは。敵に回しているのは。
この世界、そのものなのだと言う事に。