綺麗なもの
「マイー!!」
俺が叫ぶと、マイは雪玉を避けつつ一瞬だけこちらを見て頷いてくれる。事前に話していた「奥の手」の発動だと彼女も理解してくれたのだろう。
それを確認した俺は、ココロの方へ走り始めた。
「うおおおおお!!」
「おっ?」
ココロは、左腕だけをこちらに向けてくる。俺はそこから放たれる雪玉を防ぎながら前進を続ける。
「あらら、来るんだね。……あんまり近づくと、危ないよ?」
「……ッ」
その遠回しな警告に、こちらの気を張りつめさせられる。
今はただの牽制程度の攻撃なのだろうが、雪玉を作ろうとするなり俺が少しでも何かをする素振りを見せれば恐らく容赦はしないのだろう。
投げて来られる量を増やされれば、俺はそれを防ぎきれずまた悶絶アウトしてしまう。正直、もうあれはくらいたくない。
今はただ近づいてくる俺を即行で撃ち落とそうとはせず、ただ警告のみで済ませてくれているあたり彼女の優しさがにじみ出ている。
――だが、甘い。その気遣いも、認識も。
もう、俺は既に「その何かをしようとしている素振り」を見せているというのに。
「うおおおおおおっ……あああああああああっ!!」
俺は盛大に、ずっこけた。
うつ伏せになって雪の上を大いに滑る。
みっともないとかこの際気にせず。
機関銃を横向きに、前に突き出して。
ココロの元へ。
ココロの足元にある雪玉を、悉くすり潰して。
「なっ……! え、大丈夫……?」
予想外の動きでココロが硬直してしまった隙に(というか心配をかけてしまっている隙に)、俺はすぐさま上体を起こし、地面に残っていた雪玉を拾い上げ目の前にいる彼女へ構える。
「おっと変な真似はするなよ。この状況なら、流石に俺が投げる方が早いぜ?」
ココロの顔に、分かりやすく動揺が浮かぶ。
彼女ならこの場から撤退して避けるのは容易い。だが俺がこの玉を投げる前に反撃出来るだけの用意はなく、俺がこうして構えている姿勢自体を崩す事は出来ないので、彼女はこの場に留まろうとするのならばそれをいつでも避けるための警戒態勢を崩せず動けない。
つまり、撤退しか彼女の選択肢はない。
そして、この膠着を続ければ不利になってしまうのは向こうの方だ。
「……くっ、卑怯な。……フミカっ!」
「うう……せっかく作った雪玉……」
「……」
結果ココロ陣営は接近を許してしまった俺から距離を取るため後退。ココロの心配に付け込んだ状況の逆転。地面の雪玉をすり潰した上、雪玉の山まで放棄せざるを得なくなった五十鈴。二人への罪悪感に身を焦がされるような思いをしながら、俺は何とか平静に努める。
迅速かつ賢明な判断だったが、それでもこの一連のハプニングでココロは攻撃を一旦完全に止めてしまった。
それは、マイが雪玉を作ってココロに接近するのには十分過ぎる時間だった。
「……!」
駆ける。雪の上を、颯爽と。
そしてしゃがんでいる俺の少し後ろ辺りまで来ると、羽ばたくように振り上げられた両手から、二つの雪玉をココロへ投げた。
「これは……」
さっきと同じ、カーブを描きながら左右から迫ってくる二つの雪玉。横に逃げることは出来ない攻撃。
ココロはさっき、これを上に避けることでさらに逃げ場を無くしてしまっていた。
しかし彼女は、今度はこれを無理矢理前へ出る事で避ける。
「流石に二度も同じ手には引っ掛からないよ! それに、今キミの足元にも雪玉はないじゃない! これはただキミが隙だらけになるだけで……」
再び供給の始まった雪玉を構えるココロ。しかし――
「いいえ、今回もこれだけじゃ終わりませんよ」
マイは、蹴った。
雪玉をではない。地面の雪を。
結果、雪が盛大に撒き上がる。
「……!?」
かなり強く蹴ったのだろう。それは、俺とココロを含めた辺り一帯の視界を覆う。
「光司」
奪われた視界の中小さく呼ばれた声を頼りにマイの元へ戻った俺は、彼女が組んだ両手の上に乗ると――
空へと、放り上げられた。
(うおおおおおおおおおっ!!)
まるでサーカスだ。しかしピエロでも何でもない俺は、その恐怖に心の中で絶叫する。だが、声には絶対に出さない。
俺が空に舞った頃には、雪の煙幕は半分くらいは晴れていた。ここからココロの位置は分かる。しかし、まだ彼女達の足元は見えない状態だ。
ココロはまだ、俺が地上から消えたことに気が付いてはいない。
(これで……決める……!!)
上空から。
俺は、ココロに目掛けて雪玉をぶん投げる。
これで……!!
「ココロちゃん、上!!」
雪の煙幕で覆いきれなかった五十鈴の、叫び声が聞こえてきた。
「なっ……!」
「……っ!?」
この奇襲は、失敗した。
その声に反応して上を向いたココロは、空を飛んでいる俺を見て驚いたような顔になる。
「え、何やってんのコウジ!? 着地間際になったら拾ってあげるから、ちょっと待っててね! ありがとう、フミカ!! 助かったよっ!!」
上を見て叫びながら、ココロは前進して俺の雪球を避けてしまった。
「……ふふっ。どうやら、またそちらの詰めが甘かったみたいだね。凄い作戦だったみたいだけれど、結局勝負は振り出しに……」
「……ココロ」
俺はそれに対して悔しそうな顔をしながら。
――悔しそうな顔を、わざと作りながら。
「歩くときは、ちゃんと周りをよく見て歩けよな」
そう、言ってやった。
「へ……うわっきゃっ!?」
俺の言葉の意味を理解する暇も無く。
今度は、ココロが盛大にすっ転んだ。
「な……な……っ」
雪の煙幕が完全に晴れる。
ココロの足は、雪の上に横たわる機関銃に引っかかっていた。
「……ッ!?」
ココロが、大いに動揺しているのは空にいるこちらにも伝わってくる。
それもそうだろう。
マイが雪を撒き上げたのも。
俺が空に打ち上がってココロの注意を上に向けたのも。
全てはこの機関銃の存在に気が付かせないためだったのだから。
さっき機関銃を前に出して滑り込んだのは、ココロの足元の雪玉をすり潰すためというのもあったが、本命はあそこに機関銃を設置するためだったのだ。
白い布に巻き付いていたため、より雪にカモフラージュしていたのも助かった。
後はその後ろでマイが分かりやすく無防備を晒して、ココロをそこまでおびき寄せるというだけの簡単なお仕事。
――あのココロを盛大に転ばせてやろう作戦、大成功だった。
というわけで、勝負の決着はついた。
マイは、持っていた雪玉すらも手放してしまい、完全無防備になってしまったココロへ。
「えいやっ」
「ひゃうんっ」
拾い上げた、持ち主を離れた雪玉を放って返してあげる。その頭へ、だが。
「うぎゃああああぁぁ死ぬううううぅぅ!!」
そして、まるでギャグのように空中を絶叫しながら落下している俺を。
「よいしょっと」
「おふっ……!」
その下まで駆け寄って、お姫様だっこで受け止めてくれた。
「あいたた……すまんマイ、助かった。しかし、我ながらなんて作戦を考えたし。自分の頭がそのまんまの意味で恐ろしいぜ。これじゃ幾つ命があっても足りな……いててててっ!?」
すると突然、マイは抱えたままの俺にそのまま抱き付いてきた。
「やった!! やりました、やりましたよ光司!! あたし達、勝ったんです!! あなたのおかげです、ありがとうございます光司!!」
年相応に甲高い声を上げ、マイは物凄く興奮している。ココロへのリベンジが果たせた事が、よほど嬉しかったのだろう。
ここまで夢中になって喜んでくれるとは。危険な目に遭ってみた甲斐はあったというものだ。
「わ、分かった、分かったからマイ!! 力強い……! 結構痛いって!!」
しかしこのハグはちょっと止めて欲しい。その身体の感触も感じられないくらい強い力で締め付けられているのだから。これずっとやられてたら背骨折れる。
「え……。……ッ!?」
ここでマイはようやく冷静になり、今自分がしている事を理解出来たのだろう。
その顔を急激に赤くすると、突き放すくらいの勢いで俺を解放し、雪の上に落とす。俺はその衝撃で喉の奥から空気の塊のようなものが漏れた。今日何回雪に身体を埋もれさせられたのだろう。
そしてマイは物凄い速さで俺の数メートル後ろまで後退すると、両腕で自分の肩を抱くようにして縮こまった。
「……けだもの」
「流石に理不尽過ぎじゃないかなー!?」
そして、ちょっと向こうでも騒いでいる方がもう一人。
「ふにゃぁぁぁあ負けたあぁぁぁぁ!! ふにゃぁぁぁあ!!」
まるで駄々っ子のように、雪の上に倒れたままじたばたと暴れている。
「うう……ごめんね、ココロちゃん。ココロちゃんはよく頑張っていたよ? 私が至らないばっかりに……」
そのココロへ、五十鈴が近づいて慰めていた。
「違うよ、フミカは本当に良くやってくれたよ。でも、私も頑張ったよ。ただ、コウジの考える作戦が意味わかんなかったんだよ……! うう……コウジの、頭良いけどバカ……いけず……!」
「……」
罵倒も、今日は何回浴びたのだろう。何も悪い事はしていないはずなのに。
その時、キイインと言う、耳鳴りに似た奇妙な音が俺達の上で響いた。
「これは……」
聞き覚えのある音。
上を見れば、記憶のカケラがその回転を速めてこちらへ降りて来ている。
そして、雪の中へと沈んでいった。
四日目の「解放」が、終わったのだった。
「これからも、俺達と『解放』をしてくれないだろうか?」
断られる事も覚悟して聞いた俺に、しかしマイは少しだけ笑って答える。
「……言ったでしょう? 今後もこき使ってやるって。あなたにはまだまだ文句が言い足りないので、もう少しここにいてやろうかと思います」
相変わらずの物言いだったが、そこまで言うと急に恥ずかしそうに目を逸らした。
「だからその……嫌でなければこれからもよろしくお願いします……」
その言葉に、ココロも、五十鈴も、そして俺も、嬉しそうな顔を彼女に向けたのだった。
そこからの時間が過ぎるのはあっという間だった。
秘密基地に戻る頃には日も暮れていて、四人で夕飯の支度をする。
「今日はシチューでも作ろう」とにこやかに提案した五十鈴に対し、「シチューとは」とマイが即座に聞き返す。
「うーん、白くて温かい……まあ、食べてみれば分かるよ。大丈夫、おいしい事だけは保証するから」
「何しているんですか光司食糧調達行きますよ急いで大至急はよう」
「待つんだお前、目の前にずらりと並ぶ食材が見えんのか。もっとか、もっと食いたいというのか」
「はっはー! ココロ大将軍様のお腹を、この程度の量で満たせると思うなかれー!!」
秘密基地内で謎の、だが明るい会話が響く。
ココロやマイが変な事を言い出し、俺がそれに突っ込み、五十鈴は可笑しそうに笑って。
そうしているうちに夜も更けていった。
「……ん?」
目を覚ます。どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
時計を見ると、まだギリギリ次の日にはなっていない。
見渡すと、焚き火を囲んでココロと五十鈴も気持ちよさそうに眠っている。
俺はまずココロを起こさないようにそっと持ち上げると、それぞれのベッドへ連れて行って布団を掛けてやった。明日もまた頑張って貰わなくては。
そして五十鈴も持ち上げようと近づいたが、彼女は起きた。
「ん……。ごめん、寝てたね」
「こっちこそ悪い、起こしてしまった。……ん? マイは?」
この場に、彼女だけはいない。外にいるのだろうか。
「ちょっと出てくる。五十鈴はもうベッドに戻ってろ」
「ううん。ちょっと目が覚めちゃったし、私も出るよ」
俺と五十鈴は上着を羽織り、グラウンドに出た。
外は雪も降っていなければ、風も吹いていなかった。しかし、空には薄っすらと雲が掛かっている。
懐中電灯を掲げると、白いグラウンドが照らし出された。
そしてそのグラウンドの中央辺りに、マイはいた。
その大きな黒いコートに包まり、雪の上に座り込んでいる。その背には機関銃も担いでいる。
俺と五十鈴は顔を見合わせると、彼女の元へと近づいていった。
「どうしたんだ、マイ? こんな寒い所で」
「こんばんは、マイちゃん」
「光司。文歌嬢」
懐中電灯の光を切ると、俺達は彼女を挟むようにして隣に座り込む。
「……ちょっと、今日の事を色々と頭の中で整理していたんです」
そう、彼女は答えた。
「初めてだったもので。今日みたいなその――誰かと一緒にいるという日が」
「……どうだった?」
そう俺が聞くと、少しだけ戸惑っているような顔をしてから、しばらく時間を置いて答えた。
「……よく、分かりません。でも、嫌ではないんだと……むしろ、もっとこうしていたいと、そう思ってしまっているんです……」
「……」
無言のまま、俺は雪の上に仰向けに転がった。
「何をしているのですか?」
「いや。雲、そろそろ晴れそうだなと思って」
「あ、なるほどね」
その言葉で五十鈴も分かったかのようにクスッと笑い、俺と同じように寝転がって空を見上げる。
「……はい?」
しかしマイは怪訝そうな顔を俺や五十鈴に向けていた。
「もう少しで、空でいいものが見られるんだよ」
「また、あの光の大輪が広がるのですか?」
「花火の事か。何だよ、あれ気に入ってくれたのか?」
「べ、別にそう言うわけではありませんが」
「いいから、お前も転がってみろって。昨日の花火ほど派手なものではないけれどな」
「おねーちゃんと一緒に寝転がろう? ……なんちゃって」
「……お前も中々言うな、五十鈴」
「……はぁ……」
そんなやり取りの後、しぶしぶと言った感じで、機関銃を横に置いてマイも寝転がる。
丁度その時、雲が晴れ出した。
「……!!」
その夜空一面に映っていたのは、無数の星々。
一つ一つが小さく、それでいて煌めいて、この暗い空を光で埋める。
シリウス、プロキオン、ベテルギウス、リゲル、アルデバラン、ボルックス、カベラ——
冬は空気が澄んでいる上、明るい星が多いから特に星空が綺麗に見えるらしい。
冬の大三角やオリオン座とかは一目で分かってしまうほどだ。
五十鈴も、そしてマイも、その冬の空が織り成す光の奇跡を前に言葉を失っていた。
「どうだ、マイ?」
「……綺麗……」
そう、彼女は呟く。
「星が、集まって、煌めいて。世界を、織り成して……」
マイは星を見上げながら、笑っていた。
「知らない事が、忘れている事があたしにはまだたくさんある。でも本当に、この世界は……あたしにたくさんの綺麗なものを見せてくれますね」
可愛らしい笑顔。それでいて、どこか儚げな。
「光景だけじゃない。ここで得る事が出来た記憶も、思い出も、どれもあたしにとっては綺麗過ぎます」
そしてその目から、一筋の涙が頬を伝っていた。
「……マイ」
「ごめんなさい。どうして、こんな……」
誤魔化すように涙を拭おうとする彼女を、五十鈴は寝転がりながらそっと抱きしめていた。
「……いいんだよ。綺麗なものに対して流してしまう涙だってあるの。マイちゃんはこれからも、そういうものをいっぱい見ていく。ううん、私達が見せてあげる。もっと、あなたにこの世界の宝石箱を見て欲しい」
「……文歌嬢」
「文歌、でいいよ」
そう笑いかける五十鈴に対し、マイもまた笑う。
「分かりました。……文歌」
それはいつもの険しさが全くない、年相応のあどけない笑顔で――
記憶の無い少女。
世界を知らない少女。
ならば、俺達がこの子に世界を教えてあげたい。
忘れてしまったその思いを、取り戻してあげたい。
これからも、ずっと。
「……」
俺も、また彼女の頭をそっと撫でていた。
「……ああ、そうか。あたしは、これも知らなかったんですね」
満天の夜空の下。冷たくも心地よい風を微かに受けながら、彼女は感慨深そうに呟く。
「人の温もりは、こんなにも温かいなんて」
「光司、文歌」
しばらく無言で夜空を眺めていたマイは、俺達の名を呼んだ。
「今日はありがとうございました。これからももっともっと、あたしに綺麗なものを見せて欲しいです。色々な事を教えて欲しいです。楽しみにしています、本当に」
「任せておけ。リクエストだって受け付けてるよ」
「もちろんだよ。料理だってもっといっぱい勉強しようね」
そんな会話をしているうちに、また眠気が襲ってくる。
「……ふぁ……」
欠伸が漏れる。見れば、五十鈴もまた眠そうな顔になっていた。
「お二人共、そろそろお休みになってはどうでしょうか? 明日も早いのでしょう?」
「そうさせて貰おうかね。マイはどうするんだ?」
「あたしは……もう少しだけここに居させて貰います。もうしばらくしてから、あたしもそっちに戻りますから」
「そうか。じゃあ俺達は先に戻っているよ」
「ごめんね、マイちゃん。流石にもう眠いかも……」
俺達は立ち上がり、そして最後に彼女に言った。
「お休み、マイ。また明日な」
「おやすみなさい、マイちゃん」
それに彼女は、どこか儚げな笑顔で答えた。
「ええ。……お休みなさい。光司、文歌」
その後、秘密基地のベッドに戻った俺達の意識は、マイが戻って来る事を確認する前に闇へと落ちていった。