救済と解放
白黒の世界を、俺とココロの二人が歩いていく。
この世界は終わったとココロが言っていたが、どうやら時間という概念までは止まっていないらしい。実際、今は緩やかな風が吹いており、目の前にある街路樹の灰色の枝を揺らしている。気温も春並みにあるようだ。
「植物とか、あと虫は普通に存在してるんだな。人類以外の生命はいるのか。色は無くなっているが……」
「そりゃ、植物もいなくなっちゃったら世界の全ては砂漠になっちゃってるよー」
……考えてみれば、時間がなくてはそもそもこの世界の滅ぶ一週間というタイムリミットも存在し得ない事になる。
俺の前をどこか楽しそうに歩くココロを見る。
「付いてきて」。そう言われ、俺は今歩かされている。
この世界を救う、その術をこの子は知っているようだ。
果たして、この子は何者なのだろうか? 俺は、本当にこの子を信用するべきなのだろうか?
そう警戒はするが、今俺がこの状況で何をするべきなのかが全く分からない。だから、今はココロに付いて行くしかないのだろう。
「ん、付いたよーコウジ」
そう言ってココロが立ち止まった所は、とても見覚えのある場所だった。
無駄に大きな校門、無機質に並ぶコンクリートの校舎。
間違いない。白黒にはなっているが、ここは俺の通っている高校だ。
ココロは何のお構いもなしに無人の校門をくぐると、そのままグラウンドの方へ向かった。
「なんだ……あれ……」
そこで、俺はもう何度目かわからない衝撃に見舞われることとなる。
空は澱んだ曇り空のようになっており、その下に広がるのはだだっ広い灰色の大地。そこに幾つも奔る、元の世界よりもやけに無機質に見える白い白線。
ここも大体はさっきまで歩いていた風景と同じ有様だった。
たった一つを除いては。
グラウンドの丁度中心辺り。その中空に、奇妙な物体が浮かんでいた。
それは正八面体の構造をとっており、絶えずクルクルと駒のように回転している。そしてその透明な外殻の中に、ガラスの破片のようなものが入っているのが見える。
どう考えても元の世界にあったものではない。
だが何よりも驚いたのは、その透明な正八面体が青い光を放っていた事だ。あれだけは、俺達のように色を持っている。
「記憶のカケラ」
こちらに背を向けながら、ココロがそう言った。
……彼女が言った、でいいのだろうか? 一瞬戸惑った。何故ならその声音は、先程までの彼女の明るい雰囲気は一切欠いた、とても無機質なもののように聞こえたから。
「言うなれば、この世界の記憶が詰まった結晶。世界が滅亡する際に、最後に残したもの」
戸惑っている間にも、言葉は続く。声はココロのものだから、やはり彼女が発しているものなのだろう。
「この世界の救済、それはあれが持っている記憶の『解放』を行う事。あれは一日に一つ、この高校を含めこの地域周辺のどこかに現れる。私たちは一日一個、あれを『解放』しなくちゃいけないんだ。そして一週間後――世界が本当に滅ぶ直前になってしまうけれど、その日に最後のあれを『解放』した時、世界は完全に記憶を取り戻し、元の世界に戻す事が出来るの」
一気に説明されてしまった。例えで言ってみると……。
「この世界を大きなデータとして、つまりあれは元の世界の記憶と言う、そのデータのバックアップの一部のようなものなのか。何らかの原因でデータが消失した今の世界に、その『記憶のカケラ』が持つデータを順にこの世界へ『解放』という――言わばダウンロードをさせる。その全てのバックアップデータのダウンロードが終われば、この世界は正常に戻す事が出来る、と」
「うむ、理解が早いようでよろしい。どうやらキミは頭が回るようですな」
ここでだけ少し明るさを取り戻し、何故か偉そうにそう答えるココロ。
「で、その『解放』とやらは一体どうすればいいんだ? あの外殻を破壊すればいいのか?」
彼女は首を横に振った。
「あれを無理やり壊そうとしちゃだめ。今のこの世界での破壊とは、すなわち消失しか意味しないからね」
ココロはそう少し意味の分からない前置きをして、「解放」についての説明を始める。
「あれが殻に閉じこもって未だ世界の『復元』を行えないのはね、あれに詰まっている記憶そのものが少な過ぎるからなんだよ」
「それは……あの記憶のカケラとやらが、世界全ての情報をバックアップ仕切れなかったという事なのか?」
「そういう事になるんだろうね。君の例えに乗らせてもらうのなら、どうにもあれらは世界のデータのコピーが上手くいかなかったみたい。という訳であれは今のところ記憶を『解放』させることは出来ない、させた所で意味がない、と。――だから、今あれはこの世界を『見て』いる。かつての世界の在り様を、世界がどんな風だったのかを。足りない記憶を補うために」
「いや、でもそれだと……」
俺がそう戸惑うように言いかけると、ココロは予想通りの反応だったのか満足そうに笑って言葉を続けた。
「そう。今のここは元の世界とはかけ離れた『滅んでしまった世界』。当然、そんな白黒の世界を見ているだけでは得られる『情報』は皆無。無いものから『情報』は得られようもないね」
そこまで言うと、ココロは俺を指さしてきた。
「そこで元の世界を知る私達の出番というわけ。私達の仕事は、あれの下の元、元の世界で行われていた事の『再現』。実際に嘗て行われていた事を、私達が実際に行う事で『情報』を提供するの。そうすればあれは『情報』を疑似的に得る事が出来、あれの記憶は完成して『解放』が可能となる、と。これが『解放』の一連の流れだね」
「……なるほど」
分かったような、分からないような。どれもにわかには信じがたい話ばかりだから、完全に理解しろと言うほうが難しい。
……だがとりあえず、何となく嫌な予感がしてきた。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、ココロは勿体ぶるように「解放」の説明の締めくくりに入る。
「で、ここからが今日の本題。今日の私達が世界を救うためにする事とは、あの記憶のカケラを『解放』させる事なのです。あの記憶のカケラは今、このグラウンドを見ています。つまりあれには、グラウンドの嘗ての風景の『情報』が必要です。『解放』するには、私達がその『情報』を提供しなければなりません。……さて、もう今日私達が何をすべきか、分かったよね?」
「……」
その嫌な予感は確信へと変わり、冷や汗が俺の頬を伝う。
そんな俺の様子を肯定と受け取ったのか、にっこりとココロは笑みを浮かべた。
「――さあ。遊ぼう、コウジ!!」
こうして『ココロと行く世界救済の旅・記念すべき第一日目:グラウンドをひたすら這いずり回る』……が、始まった。