忘却の過去
「負けた……。このあたしが……このあたしが……!」
死闘(雪合戦)から数分後。時刻にして十四時頃。
マイは分かりやすく落ち込んでいた。俺達に背を向け、雪の上で体操座りという何ともスタンダードな落ち込みスタイルでぶつぶつとそう呟き続けている。
そんなに悔しかったのだろうか。ココロといい勝負をしただけでも、本当に凄い事だと思うのだが。
とりあえず彼女は放っておいて、俺達は話を進める事にした。
「ううむ……これは、飢えていますな」
ココロは今日の記憶のカケラを見、少しだけ顔をしかめる。
「飢えてる……? どういう事だ?」
「あれに必要なこの世界の情報が、ね。よく見てみてよ。いつもよりあの光の青、若干暗い色に感じない?」
言われた通りにそちらを注視すると確かに、いつもの記憶のカケラの青よりも暗く感じる。どちらかと言うと藍色、に近いのだろうか。
「ああなっていると、普通のものよりも『解放』に必要なこの世界の情報量が多くなっているって事なの。まあつまりいつも以上に『解放』頑張んなくちゃいけないって事だねー」
「あー」
どこか諦めたかのような声が自分から出る。
一昨日は条件付きで、昨日は移動式で。
そしてなるほど、今日の「解放」も一筋縄ではいかないという事か。なんかそんな事だろうとは思った。
「いつもよりもどのくらい『解放』に必要な情報が多いか分かるか?」
「うーん、具体的には分かんないかなー。でも、いつもの二倍くらいは見ておいたほうがいいかもしれないね」
二倍。これが本当なら、昨日の効率の悪かった「解放」ほどではないが、かなり時間がかかる事だろう。
だが、ここでココロは俺に笑みを向ける。
「でもねコウジ。私達にも昨日までとは違う事があるよね?」
「……なるほどな」
そう、昨日まで俺達は俺とココロ、俺と五十鈴の二人で「解放」を行ってきた。
もしもそんな状況であれば「また夜遅くまでコースかよやだぁ」と嘆いていた事だろう。
しかし、今回の「解放」は四人で行える。こちらも昨日までの倍なのだ。
ココロも同じ事を考えていたようで、こう提案してくる。
「二人一組に分かれるというのはどうだろう? それぞれのペアがこの広場内で思い思いの『解放』を行うの。同時に二つの『解放』を進められて、当然あれに与えられる情報量も二倍、これで問題はないはず」
もちろん俺はそれでいいんじゃないかと思った。
本当は四人でそれぞれの「解放」をやるのが一番いいのだろうが、ぼっちでやる「解放」というのは何分やれる事が少ない上に飽きてくる。昨日俺が五十鈴に出会う前に一人でやっていた「解放」を思い出すと、結構無様だったかもしれない。
そんなに急速に終わらせる必要も無いのだし、やはり二人辺りが妥当だろう。これでも今からやれば日没までには終わると思われる。
そうしよう、と言おうとした時だった。
――記憶のカケラが、動いた。
「これは……」
しかし、移動ではない。それは垂直方向への、更なる「浮上」。その輪郭が、ここから見てさっきよりも小さいものとなった。
それに対して、ココロは嬉しそうな顔を見せた。
「うん、これはありがたいね。私達の活動範囲が広がった」
その言葉に、俺は感嘆を漏らす。
「ああ成程、やっぱそう言う事なんだな」
「え、ええっと……どういう事なんだろう?」
だが五十鈴はいまいち分かっていないようで、困惑した様子を見せている。
「あーうん、それはね――」
「記憶のカケラが浮いている高さが上昇した事によって、あれがその『解放』を見られる視野が広がったという事ですよ。あの高さなら広場だけでなく、公園全体を見られていると思われます」
ココロが説明しようとした時に言葉を挟んだのは、マイだった。ようやく立ち直れたらしい。まだひどいしかめっ面をしているが。
三日前、ココロは「記憶のカケラは見ている」と言っていた。あれはどうにも「解放」で提示される情報を、視覚のようなシグナルで受け取っているらしい。
どうやら記憶のカケラが欲している「解放」の情報とは、なにもその真下で行われる事だけではなく、それが見られている範囲ならばどこでもいいようだ。――その仕組みを利用したのが昨日の「花火」というわけである。
「そっかなるほど。じゃあ、今のあれは私達にとってはいい事なんだね。――ありがとね、マイちゃん」
「……」
五十鈴は説明してくれたマイに対してにこやかにお礼を言うものの、彼女はぷいっと顔をそらす。
相変わらず素直じゃない。マイに対してそう思いながら、俺は彼女達に言った。
「見ての通り『解放』範囲は広がったわけだが、とりあえずさっきココロが言った『二人一組』という方法で行くか?」
「むしろ活動範囲が広がった分、私はこの方法はさらに有効になったと思うよー」
「私も賛成かな。四人でわいわい協力して一つの「解放」するのも楽しそうだけれど、やっぱり『解放』の効率を優先しなくちゃね」
ココロと五十鈴が頷く。
「……別に、いいんじゃないでしょうか」
マイがボソッと呟く。
決まりだ。後は、どういうペアで行くかだが――
「ええっと、お前ら誰と行きたい? 俺は誰でもいい」
「私も誰でもいいよー」
「私も、かな」
まあ、そうなるだろうとは思った。ココロに振り回されながらなんやかんや楽しく「解放」するのでも、五十鈴と共にまったり「解放」するのでも、俺はどちらでも良い。
あとはマイだ。こいつも、誰でもいいとか言い出すのだろう(ひょっとしたら誰とも嫌とかぬかすかもしれんが)。そうなったらグッパとかで決めるしかない。
しかし、マイはなんと俺を指さしてきた。
「この人と行きます」
ココロと五十鈴は驚いていた。そのあまりにも意外過ぎる選択に。
「マ、マイ……!」
俺も驚くと同時、感慨深くもなった。
(マイ。俺の事を酷く言いながらも、何だかんだで俺の事を慕ってくれ……)
「『解放』をしてる時に足を引っ張られた場合、彼なら一番見捨てやすいので。あとパシりやすそうです」
「……」
どうせそんな事だろうとは思っていた。畜生め。
まあ誰でもいいと言ったのは俺なのだから、こちらに拒否権はない。彼女の事ももっとよく知りたいので、特に拒否する理由もないし。
「じゃあ、必然的に私とフミカのペア、そしてコウジとマイのペアという事になるね。お互い、頑張ろう」
ココロは苦笑しながら話を進め、五十鈴の手を掴んだ。
「行こうフミカ。さあ、女子二人で一緒に楽しい『解放』にするのであるー! またねーコウジ、マイ!」
「わー。お、お手柔らかにねーココロちゃん……。あ、また後でね高山くん、マイちゃん! 二人も頑張ってね!」
五十鈴がスキップするココロに引っ張られる形で、二人は行ってしまった。
後は俺とマイがその場に残される。
「……」
「……さて、あたし達も行きますよ高山光司」
「……そういえば、何でお前って俺をフルネームで呼ぶわけ?」
「おや、お気に召さなかったでしょうか?」
「そりゃそうだろ。そう言われてもあまり気分が良いものでは無いと思うが。てか、お前も呼び辛いだろうに」
「では、やはり変態と呼んだ方がよろしいですか?」
「却下だ」
「ふむ、ダメでしたか。……では、『お兄ちゃん』などはいかがでしょう?」
「……」
「お兄ちゃん、一緒に『解放』しよ(棒読み)」
「……」
「……何故、黙っているのですか?」
「……かなり……いや少しだけ、良いなと……思ってしまいました……」
「……」
「……」
「……さて、行きますよドヘンタイ野郎」
「……はい」
俺達も、歩き始めた。
というわけで始まった俺とマイによる「解放」。
俺達は、山の斜面を登っていた。雪道を登るというのもまた大変なものである。
隣を歩くマイは、少しだけしかめっ面をする。
「……あまり、いい気分でもありませんね」
山を登る事が、ではないだろう。そんなもの彼女には何の苦にもならない。
「そういえば、昨日この山で巨大ジンと戦ってくれてたんだよな」
「ええ……」
苦々しい顔のままそう彼女は答える。
確かに、昨日長い時間戦場にしていた場所に再び訪れるというのも中々気が引けるのもしれない。しかも、その場所で「解放」のために遊ばなくてはならないのだという。
「嫌だったら場所変えるか?」
「いいですよ、別に。ここまで来ておいてまた別の所に行く方が嫌です」
「解放」なんてさっさと終わらせてしまいましょう、と言ってマイは少しだけ歩みを早め、俺の前を歩き始める。
俺達が今いるのは、公園の中にあるスキー場だった。
とは言っても、ここは本格的なスキーを楽しむ場所ではない。山を切り開いて作られたものだが、この山自体そんなに高さは無いし、斜面もそれほど急ではない。敷地も大きいとは言えない。だからリフトも無ければゴンドラも無く、俺達はこうやって歩いてその上を目指している。
ここはどちらかと言うと子供や親子連れが仲良く滑るような場所となっている。そのために公園内に作られたのだ。
そしてそういう層がターゲットだからこそ、スキーやスノーボードだけでなく、ソリでも何の気兼ねもなく普通に滑る事が出来る。
「……で、なぜ俺達はよりにもよってこれで滑る事になったのかな?」
俺は自分の腕に抱えているその二人乗り用のソリ――山のふもとのレンタルショップから拝借してきたもの――を呆れた目で見ながらそう言った。
「それを見て、操作が一番簡単、かつ安全と判断したからです。スキーとかスノボなるものは滑るために若干の技術が必要なのでしょう? 『解放』を効率よくするにあたって、そういうちょっとした手間から省いていくべきです」
マイは至って真面目な顔で答える。
「……まあ、スキーとかスノボ実は俺もあんまり自身は無いからいいんだけどな」
しかし何も、二人で同じソリを使って滑らなくとも。
それにしても、どうにも彼女はスキーとスノボを知らないらしい。雪の降らない暖かい所ででも育ったのだろうか。
そこで俺は、気になっていた事をマイに尋ねた。
「そういえばマイ」
「何でしょう?」
「お前は、この世界が滅ぶ以前は何をしていたんだ?」
なぜこの世界が滅んだか分かるか? とはもう聞かない。俺、ココロ、五十鈴とみんなそれを忘れてしまっているのだから。この世界の生存者は皆等しく世界が滅んだ原因を忘却してしまっている。
それよりも今は、彼女の過去が気になる。
その高い身体能力と、今も背に担いでいる扱いに長けた機関銃を使って、かつて彼女は何をしていたのだろうか。
「……」
しかしマイは、黙ったまま俯いてしまった。
「マイ?」
「……覚えて、ないんです」
「……え?」
躊躇った後に出た彼女の言葉に対して、俺はそんな風にしか返せなかった。
「何も、思い出せない。気がついたら世界が滅んでいた。それだけは不思議と分かったのに、それ以前の記憶が何一つなかった」
俯いたまま自身の手のひらを見つめる、その表情は良く見えない。
「その他に、その時あたしの頭の中にあった事と言えば、日常生活に支障が出ない程度の知識と、言葉と、ある程度のこの世界についての現状と、そしてこの機関銃の扱いくらいのものでした。……どうして、そんな事だけが頭に残っていたのかすらも分からない。どうしてか、それ以外の何も思い出せない」
そして彼女の声は、少しだけ震えていた。
記憶を失っている。
それはどれほど不安で、怖いものなのだろう。俺は世界が滅ぶ前後の記憶を失っているだけでもかなり不安だった。なら、それ以前の記憶すらない彼女は。
自分が、どのように生きてきたかすら覚えていないこの少女は――
「今のあたしには、何もありません。でもこうしてこの世界を彷徨っているのは、失った記憶を取り戻したいと、そう思っているからなのかもしれませんね……」
「……」
そんな事を言う彼女の後ろ姿は、何だか本当に酷く空虚なもののように思えてしまった。




