力を持つ二人
◇
再び公園へ向かって歩いていた。
辺り一面白で埋まった空間。しかし先程とは違う所もある。
ココロとマイの走った跡。雪が蹴散らされて出来た白の上の線が、俺の進むべき方向へと見えなくなるまで真っ直ぐに伸びている。
そして俺の隣では、五十鈴も歩いている。
「今頃どうしてるだろ、ココロちゃん、マイちゃん。もう公園に着いたのかな?」
「着いているだろうな、あの速度なら。どっちが勝って、そして今何をやっているのかは知らんが」
ちらりと五十鈴の方を見た。彼女は寒そうに震えながら、白い息を吐いていた。
「……どうだ? お前から見て、マイは」
「いい子だと思うよ。昨日は私達を助けてくれたんだし、今日だって何だかんだ言いながら一緒に『解放』をしてくれるみたいだし」
「なるほど、確かにそうかもしれない。あの口の悪ささえなければなぁ……」
まあそれに関しては……と、五十鈴も苦笑を漏らす。
「でも、優しい子なんじゃないかな。どこか高山君にも似ている。ぶっきらぼうだけど、ちゃんと気を遣ってこっちも見てくれている所とか」
そう真っ直ぐに言われては、照れてしまう。それを隠すために俺は冗談めかして言う。
「いきなり人に銃口向けてきたり関節キメてきたりするあいつと一緒って。それはむしろ貶されていると受け取って良いのかな?」
「ううん。二人共褒めているよ、もちろん。そうやって照れ隠しする可愛らしい所も、とっても優しい所も」
「……参った。お前には勝てんよ」
両手を上げる。逆効果だった。彼女はこういう事を冗談で言わないところが本当に手強い。そして俺はそう言われてしまうと情けないほど弱い。もう何も返せなくなってしまった。
「でも……何だろう。マイちゃんからは、ココロちゃんにも近い何かを感じるんだ」
彼女の顔が少しだけ曇る。それで、あまりいい意味ではないという事を俺は察した。
「ふむ。なんでそう思うんだ?」
「なんでだろうね。二人の性格はどう見ても正反対のはずなのに。ううん、きっと性格的な意味じゃない……二人とも、その奥で同じ何かを抱えている、そんな風に感じるの」
「……」
五十鈴の言いたい事が、俺には分からなくも無かった。
まず、明らかに二人に共通している部分もある。それは、どちらもこの『世界』の現状を知っていて、どちらもとんでもない力を持っているという事だ。これは、俺と五十鈴にはない。
果たしてこの俺達と彼女達を隔てるものは一体何なのだろう。それが、五十鈴の言う『何か』に関係しているのだろうか?
そして、俺が出会った時から一番分からないのはココロだった。
彼女は普段明るく馬鹿っぽい態度を取っているが、実はその限りではないという事は薄々感じ取っている。特に彼女がこの今の「世界」について語る時、ときどきこっちがぞっとするほど冷静で、聡明な雰囲気を発する事がある。淡々と、無機質にその口を動かすのだ。
それはまるで、別の人格に変わったかのように。
あれは一体――
俺が考え込み始めたせいで会話が途切れてしまって、しばらくしてからの事だった。
「……あ」
不意に、五十鈴が立ち止まった。
「どうした? 五十鈴」
「ここ……」
彼女の視線の先には、雪に埋もれた一軒家があった。
玄関前の庭にはいくつもの鉢植えが置いてある。そこに花はないが。その手前の空間にも雪の中に花壇のようなシルエットが見えた。雪さえ積っていなければ、きっとそこは色とりどりの花に飾られた、綺麗な家になるのだろう。
彼女が言葉を発するより先に、何となくその場所の正体について察した。
「私の家なの、ここ」
「お前の……」
学校からの距離なら、俺の家よりも近い。道のりもそれほど交通量も多いわけではなく、通学には便利そうな場所だ。家自体も立派なものだし、はた目から見れば何不自由のない暮らしを送っていたように思える。
しかし、じっとその家を見つめている彼女の横顔は、少しだけ寂しそうに見えた。
「五十鈴……?」
「……先に進もっか。ココロちゃん達が待っているし」
「いいのか? 中に入らなくて。ひょっとしたらお前の両親が中で生存しているかもしれないぞ」
あくまで淡い好奇心と期待を込めただけのその言葉は、完全に失言だった。
今度こそ、彼女は本当に寂しそうな笑みを俺に向ける。
「ううん。それは無いよ。だって私の両親、とっくの前に死んじゃってるし」
「……!」
言葉を失った。
「……交通事故でね。二人とも助からなかった。幼い私だけが残されたの。とても悲しかった。お父さんもお母さんも優しくて、大好きだったから」
俺の両親との関係は最悪だったから、彼女のショックがどれほどのものだったかは想像が難しい。
しかし、その事の重さは分かる。
彼女は、愛する人達を一瞬で失った。彼女は、一人になった。
まだ幼い少女がその事実を受け止めなければならなかった事を想像すると、こっちまで胸が痛んだ。
「その後家はそのまま放置して、私は叔父さんの所で面倒を見てもらうことになったんだけれど、結局この家が忘れられなくって。高校生になってから一人でここに戻ってきちゃった。だから、今はこの家での一人暮らしだったの」
「……ごめん」
そんな風にしか、返せなかった。
「あなたが謝る事だなんて何一つないよ。……ねえ、高山君」
首を振った後、彼女は俺に質問してくる。
「……今まで私は、どう見えてた?」
「……どういう事だ?」
質問の意味がよく分からず、聞き返してしまった。
すると寂しそうな表情のまま、彼女は再び問う。
「その……そんな事があった私って、今ははた目から見てどんな感じだったのかなって。自分ではよく分からなくて。暗そう……だったかな?」
「……」
思案した後に、答えた。
「暗そうには見えなかった。そんな過去があるとは今日まで知らなかったくらいだ。お前はいつも明るくて、気丈に振る舞っていたよ。ずっと、何も変わってはいないさ」
まだ両親が生きていた頃の幼少期の彼女は知らないから、そこから何が変わったのかまでは分からない。
だが、少なくとも彼女がその寂しさに押しつぶされていた人間には到底見えなかった。
「……そっか」
そう言うと、彼女は俯いてしまった。その表情は良く見えない。
「……五十鈴?」
怪訝そうな声で彼女に呼びかけると、すぐに顔をあげてこちらに微笑みかけた。もう先程の寂しそうな顔は無い。
「ううん、なんでもない。ありがとうね。……行こっか? 高山君」
「……あ、ああ」
今の質問に、どういう意図があったのだろう。気にはなったものの、これから今日の「解放」にも向かわなければならなかったのでそれ以上その場に留まる事は止めておいた。
何より、また彼女の寂しそうな顔を見たくは無かった。
◇
「おりゃああああああっ!!」
「はぁあああああああっ!!」
二人の気迫を込めた叫び声が、静寂なこの公園の辺り一帯に響く。
場所は先程記憶のカケラを見つけた広場。雪はもう降り止んでいた。視界もだいぶ晴れて、記憶のカケラもはっきりと見えるようになっている。
その広がった視界の向こう、記憶のカケラの下で、ココロとマイが凄まじい攻防を繰り広げていた。
マイが素早く屈み、足元の雪をすくった。それを一瞬で固めて丸め、ココロへと投げつける。
至近距離で放たれたとんでもないスピードのそれを、しかしココロは難なくかわす。そしてカウンターでその手に持っていた雪玉を、まだ投げたフォームのままになっているマイへと投げつけた。
これもやはりとんでもなく速い。三日前のあの豪速球を思い出す。
しかし、マイもその崩れた体勢を一瞬で立て直すと、紙一重でそれを避ける。
「へえ……やるね」
「あなたこそ……」
とんでもなくガチな雪合戦が、目の前で行われていた。
「……なに……やってんの……?」
そうとした言えなかった俺の声で、ようやく二人は俺達がもう公園に着いた事に気が付いたらしい。
「あっコウジ、フミカ! 遅かったね!」
「遅刻です。ふざけないでください高山光司」
「ああ、悪い。……で、これは?」
「うーんとね、結局かけっこは私が勝ったんだ。でもね、よく見たらマイってば、そのでっかい機関銃を担いだまま走ってたの。そんなの遅くなるに決まってるじゃん」
「……あ、はい」
逆になぜ気が付かなかったのか。
「で、これはいくらなんでも不公平だなーってなったから――」
「こうして、一本勝負の雪合戦で決着を付ける事になったというわけです」
横を見ると、機関銃はベンチに立て掛けてあった。
「もーマイったら、機関銃下ろすのを忘れて走るだなんて、お茶目さんなんだからー」
「……べ、別に。ただ、あなたなんてこんなハンデを抱えていても勝てると思っただけですから。手加減してただけですから」
「あらら、そうなの? じゃあ、今は降ろしているから本気になってくれているんだね……っ!」
「……ッ!」
二人は、再び勝負を再開する。
マイは手に持った雪玉をさらに至近距離でココロにぶつけようとする。もはやそのまま雪玉で殴るんじゃないかというくらいの勢いだ。
しかし、ココロは咄嗟にその振り上げた彼女の腕に手刀を繰り出す。その衝撃で雪玉を手から離してしまう。
それをココロがもう片方の手でキャッチ。そのままマイの顔へと投げ上げる。
マイはバク宙でそれを避けつつ後退。ココロから距離を取った。いやもはや雪合戦じゃないよこれ。
それにしてもココロの動きも凄いが、マイも相当のものだ。機関銃という枷を外したマイの動きはとても身軽で速い。
マイは着地と同時に両手で雪を掴む。それぞれの手で作られた二つの雪玉を、すぐさま同時にココロに向けて投げた。
「おっ?」
スピンをかけられて緩いカーブを描きながら迫る左右の雪玉。横に避けたところでどちらかには当たってしまう。
ココロは、それを上に飛んで難なく避ける。
その瞬間、マイの目が光ったように見えた。
「あたしの勝ちですね。とどめです」
宙に浮いたココロには、今度こそ逃げ場は無かった。だが、ココロが着地するまでに雪玉を作って彼女に投げている時間もない。
しかし、マイの足元には雪玉が一つ置いてあった。事前に作って置いておいたのだろう。
それを、蹴る。ココロに向けて。
二つの雪玉から僅かしか時間を置かずに放たれた第三の雪玉が、ココロに迫る。もちろん宙にいる彼女にそれを避ける術も無く――
しかし、その雪玉がココロにぶつかる直前。
「……え?」
ぽすっ、と、マイの頭の上に雪玉が落ちた。
「あたっ」
ココロは雪玉を喰らって、そのまま雪の上に落ちて尻もちをつく。しかし、その顔は嬉しそうだった。
「えへ、ぎりぎり私の勝ちだねー」
「え……な……これは、一体……」
戸惑いを隠せない様子のマイ。そんな彼女に、不敵な笑みを浮かべてココロが答えた。
「いやぁ、考えたね。事前に雪玉を作って置いておくことで、作成時間をカットしてすぐに打ち込んでくるなんてさ。流石にちょっと焦ったかも。……でもね、雪玉を置いておけば、それは相手にも『そこに行きます』って知らせるようなものなんだよ?」
「……ッ! まさか、さっき投げ上げた雪玉……!」
それはさっきマイがバク宙で避けた雪玉。その時は避けられたものの、それはまだ生きていた。
しばらく空中を登った後、自然落下で「そのポイント」へと落ちて行って――
「その通り。タイミングといい位置といい、我ながら完璧だったよ。今回は私の方が上手だったね、マイ」
「くッ……!!」
悔しそうに、その場に崩れ落ちるマイ。
戦いが、終わったらしい。
「ふふっ。二人とも、楽しそう」
「え? ああ、うん……そうだな」
そういう反応を示せる五十鈴も流石のものである。
しかし記憶のカケラの下でやっている事であり、これも一応「解放」にはなっているのだから良しとする事にした。