思いがけない合流
どこまでも続く白を、ただひたすらに歩く。
人も車も通らない雪は綺麗に、均等に積もっている。不自然な跡もついていないそれは、本当に完全なる白。道路を、建物を、全てをそれで埋め尽くしている。
今もなお降り続ける雪で視界すらも白く染まり、遠くがほとんどよく見えない。しばしば視界の端でうっすらと見える木や電柱、建物の影は繰り返し同じものを見せられているように思え、目は途中からそれらへの一々の認識を放棄し始めていた。
それはまるで、世界の最果てでも歩いているかのような気分だった。
永遠に続いているのではないかとすら思えてしまう白。
後ろを見ても、自分の今歩いてきた足跡だけが遠くぼんやりと続いているように見えるだけ。それは、俺が今本当に前を進んでいるのかすら分からなくさせる。
ここが全ての終り、最後の瞬間で、もうこれ以上先は無い。もう俺はどこへも行けず、ただここを彷徨い続けるしかない。
そんな、永遠にして刹那の場所。
「……あほらし」
そう呟く。そうでもしないと、寂しさとはまた違うが少し似ているようにも思える、そんなよく分からない感情の中に沈んでしまいそうで。
――もちろんそんなことはない。俺はちゃんと今、この世界の道路を歩いているし、そこを進み続けている。この白にもいつか終わりは来る。
確かに、「今のここ」にいる。
太陽の位置もよく分からない薄暗い世界で、唯一時間を認識出来る手元の腕時計を確認すると、時刻はもう十二時過ぎを指していた。
「流石に、一昨日とか昨日のようにはいかないよな」
思わずため息が漏れる。
作戦通りに二時間置きに記憶のカケラ捜索から秘密基地へ戻り、「無かった」と三人で報告してからまた既定のエリアへ捜索に出かけて。
それを現在二回行ったものの、記憶のカケラはまだ見つかっていない。
三回目の捜索に出るため二人とグラウンドで別れたのは二十分程前の事だった。現在、俺は次の目的地を目指して歩いている。
「解放」に要する時間も必要となる。叶うのならば今捜索で見つけたい。
やはり作戦は立てておいて正解だった。現在、この地域の半分以上は網羅出来ている。もしも闇雲に探していたのなら、もっと時間がかかっていた事だろう。これは明日以降も活用できそうだった。
「……しかしそもそも、なぜこの地域にだけ?」
思考がまた入れ替わる。
住所で言う町に当たる区分。初日に「解放」の説明をココロから受けた折に、彼女が口にしたのは俺や五十鈴の住んでいたこの町の名前である。
そこでのみ、記憶のカケラは現れるのだと。
今まであまり深くは考えてはいない疑問だったが、心の隅ではずっと引っ掛かっていた。
世界が滅んだというのに、何故ここだけが「世界救済」という舞台に選ばれた?
ここさえ直せば、世界全てが元通りになるという事なのだろうか。
それはつまり、ここが世界滅亡の原因となった――
毎日恒例、「世界滅亡の考察(進捗はほぼない、疑問だけが増えるばかりである)」に頭がシフトする。こうしているだけで退屈はしない。
そうして歩いているうちに幻想の終わりは訪れ、白い視界の中から突如その目的地の入り口が見えてきた。
そこは山のふもとに位置する、この地域で一番大きな公園だった。花壇、噴水、池、芝生の広場、そして数多くの遊具などを有し、いつもは中々多くの人で賑わっている。
とはいえ今はその全てが雪に埋れてしまい、だだっ広いだけのとても寂しい場所に成り果てていた。
しかし、この公園の敷地は山の中にまで続いている。実は昨日訪れたバーベキュー施設もここの公園の一部だった。
そして、山の敷地内では雪が積もれば多少だがスキーが出来、ちゃんとその設備も整っている。公園という施設だけではあまり人が来なくなってしまう冬のシーズンも抜かりは無いというわけだ。
どのみち、現在人はいないのだが。
入り口をくぐり中に入ったものの、視界が悪いのでここからだと公園内の上空に記憶のカケラがあるかどうかよく分からない。
公園自体かなり広いから、今から少しまたこの中を歩かなくてはならないので大変である。後で山の中まで見に行かなくてはならないからめんどくさい。
まずは遊具の立ち並ぶエリアへ。
その遊具たちもまあ見事に雪で埋もれている。しかしその形は保っており、それが何の遊具かは分かった。
滑り台、ブランコ、ジャングルジム、シーソー等々。遠目から見れば、それはまるで雪だけで出来たオブジェだ。まっさらで平坦な白い大地の背景に、一層それらは良く映えている。
遊べはしないが、これはこれで芸術的な価値があるもののように思える。こうやって見ているだけで満足出来た。
(……っと。遊具じゃなくて……)
一瞬だけ忘れていた本来の仕事を思い出し、その上空へ目を凝らす。
見え辛いが、それらしい青い光は見当たらない。一応確認のため、忍びない気持ちになりながらその芸術的な光景へ足跡を付け始めたが、内部に入っても結局記憶のカケラは見つけられなかった。
ここには無いようだった。やはりそう簡単に見つかるものではない。というかやっぱりこの公園には無いだろうか。
そう落胆しながらも、次は広場エリアの方へ行く。
ここは特に何もない、芝生に覆われている場所だった。
普段であればお弁当を広げるも良し、ボールを使った遊戯等も伸び伸びと出来そうな場所だ。
もちろん、今ここはただ雪に覆われた広い場所でしかない。上にこんもりと雪がのった「ほのぼの広場」という看板が無ければ、雪に埋もれたグラウンドとかと見分けが付かない。ほのぼのというよりは殺風景広場だった
「ここにも無かったら……次は山の方に行くか」
そんな独り言を漏らしながら、とりあえずその上空に目を凝らしてみる。
しかし果たして、なんと青い光がぼんやりと見えた。
「……!!」
その近くまで寄って見てみる。
青い正八面体。間違いない、記憶のカケラだ。
「よっしゃー!」
一人ガッツポーズ。無人の、雪に埋もれた公園で男が一人はしゃぐ。
四時間以上にも渡る捜索に終止符が打たれた。今日の「解放」の第一段階、これで完遂である。
あとは秘密基地に戻り、五十鈴とココロの二人を連れてまたここに来なければ。遅めの昼飯を食べてからの「解放」となるだろう。
そのまま戻ろう――と思ったが、この雪道の中そこそこの時間歩いて少し疲れた。
今から戻ったとしても約束の時間までまだまだある。少しだけここら辺で休憩を取る事にした。
辺りを見回してみて、丁度広場を挟んだ向こう側に屋根付きのベンチのようなものが見えた。その隣に自販機も見える(財布はちゃんと昨日自宅から取ってきたから買えるはずだ)。
しばらくはそこで座っている事にし、ベンチに近づいていった所で――
「……なんだあれ?」
首を傾げる。というのも、その座ろうと思っていたベンチの上に既に何かが乗っているのだ。
白い、大きく細長い何か。雪、ではない。それは――布?
目の前まで来る。それは、ベンチに横たわる白い布で包まれた結構大きい何かだ。
何なのだろう、物凄く気になる。
しかし、この布を迂闊にはがして良いのだろうか? めくったら、中から得体の知れない何かが出てきたり、最悪爆発もあり得るかもしれない。
固唾を呑む。恐怖よりも好奇心の方が勝ってしまい、その中身を確かめる事にした。
恐る恐る、その布に触れた瞬間――
バッと、布は瞬時にめくれ、その中から何かが凄まじい速度で飛び出す。
「うわあああああっ!?」
思わず叫び声をあげ、のけ反ったのも一瞬。それは瞬時に俺の背後に回り、両腕を掴まれ、背中に組まされてその関節をキメられた。
「いたたたたたたたたた!!」
俺はそのまま雪の上へうつ伏せに倒される。その上にそれは乗り、俺は完全に身動きが取れなくなった。
(な、何が……?)
辛うじて動いた首を必死に後ろに向け――俺は目を丸くした。
肩口をくすぐる程度でストレートに降ろされた赤髪。勝気そうなツリ目。身体をすっぽりと覆う黒いコート。
姿を見たのは、丸一日ぶりだ。
「マイ!?」
俺の腕の関節をキメているその少女――マイは、しかしどこか上の空になっていた。
愕然とした様子で、わなわなと震えながら呟く。
「……うそ……このあたしが、触れられるまで気配に気が付かないなんて……」
ばっ、と彼女は近くに立つ時計台を見る。時刻は十二時半。流石にこれを朝と言うには厳しすぎるかもしれない。
「……ッ!? 熟……睡……?」
「マ、マイ……」
その時、ようやくマイは顔が赤くなり始めた俺に気が付いてくれたらしい。
「あ」
手を離し、俺の上から降りる。どさっと、俺の両腕は雪に埋もれた。
「て、てめぇ……何しやがる……」
うつ伏せで身体の半分を埋めた状態のまま恨めしそうに唸るが、マイは特に悪びれた様子もなかった。
「反射条件的な正当防衛です。いつ何に襲われるか分かりませんからね。常に警戒は怠りません」
「こんな時間までぐっすり寝ていたのに?」
「は?」
彼女は素早くベンチに残っていた白い布に手を伸ばし、中からその禍々しい機関銃(これも一日ぶりのご対面だ)を取り出すと、一瞬でその銃口を俺の顔面に向けた。
「いえっ嘘ですごめんなさい。もう凄い警戒心。そんな一瞬で臨戦態勢になられたらもう誰も襲撃できないよね。返り討ちは逃れられないよ、うん」
情けなくも、こちらも一瞬で身体を雪から離して両腕を上げた。止めておこう、彼女をからかうのは。こっちの命がいくつあっても足りない気がする。
……それに彼女は、こんなに疲れるまで昨日は頑張ってくれたのだ。それを責めたくはない。
「チッ……!」
マイは舌打ちしながら機関銃を下ろす。そして空を見上げ、更にしかめっ面になった。
彼女が見ているのは、記憶のカケラだ。
「くそ。こんな、目の前にありながら……!」
「あれ? マイも今日は、記憶のカケラの『解放』をやるのか?」
そう言うと、彼女は半眼でこちらを睨んだ。
「……当然でしょう? あたしも世界滅亡を回避出来た人間なんですから。昨日はあなた達に任せましたが、こっちがあたしの本来の仕事です」
なるほどそれなら話は早いと思い、俺は提案を持ち出す。
「じゃあ、一緒に『解放』をやろう。今からここにココロと五十鈴も連れてくるから」
そう言うと、マイは露骨に嫌そうな顔になった。
「……嫌か?」
「嫌です。なんであたしがあなたやあなたのお仲間に気を使いながら『解放』をしなくてはいけないのですか。先にこの場所にいたのはあたしです。だから今日はあたし一人でやりますから」
ふいっと顔を逸らす。本当に嫌ならしい。
「だが、一人よりも四人の方が『解放』の効率は遥かにいいぞ? これなら俺達でも普通に出来る事だから、お前の足手まといなんかには全然ならないだろうし」
「……う」
言葉に詰まるマイ。確かに私情を挟まなければ断る理由はないと彼女も思ったのだろう。
だが、マイはまたそっぽを向き直した。
「あなた達が役に立つとか立たないとかじゃない。こんなの、あたし一人で充分だと言っているんです。効率など気にするまでもない。あたしが、あなた達の助けが必要だとでも」
彼女は結構頑固だった。このままでは平行線だろう。
少しだけ考えて、思いつく。
「じゃあ、こうしよう。俺達はお前と協力したいわけじゃない。ただ、お前にお礼がしたいという事で」
「お礼?」
変な再会となってしまったのでちょっとこじれてしまったが、ようやく言えるタイミングが出来た。
俺は、マイに深々と頭を下げる。
「昨日は本当にありがとう。巨大ジンを倒してくれて、ココロを助けてくれて。それだけじゃない。昨日俺が巨大ジンにやられそうになった所まで助けてもらった。あんたは命の恩人でもある。感謝してもしきれない」
「……!」
彼女は何も言わず、ちょっと驚いたような表情で硬直していた。
昨日から言いたかったお礼をようやく言えて、胸の重みが取れる。これで本心は伝えられた。
――そしてここからが、少し強引な交渉である。
「もちろんこんな言うだけじゃあまりにも足りなさすぎるし、俺の気も済まない。だから今日は協力とかじゃなくて、だだ勝手にお礼としてお前の『解放』を手伝わせてほしい。要するに、ただ俺達のわがままだ。勝手にお礼される側のお前は何も気遣わなくていいし、何も気負わなくていい。偉そうにしててもいいぞ。これならどうだ?」
「べ、別にあたしはそんなものを求めてはいな――」
「……それに、ココロも五十鈴もすごくあんたに会いたがっていた。あの二人もお前にお礼を言いたがっていたんだ。なあ、頼むマイ。ここはどうか、彼女達にも会ってはくれないだろうか……?」
今度は感謝だけではなく懇願の気持ちを込め、再びマイに深々と頭を下げる。
実際マイは、それだけの事をしてくれた。それが義務だとも、強制だとも言うつもりはない。
ただ、彼女がそれを受け取らないのはあまりにも勿体ない事だと俺は思う。
また、マイは暫く何も言わなかった。
だが、やがて俺からばつが悪そうに目を逸らすと、小さく何かを呟く。
「……お礼? それならあたしだって、あなた達の打ち上げてくれたあの光が無かったら……」
「え、何だって?」
よく聞き取れない。彼女の声を聞こうと近づけた俺の顔面へ――
「うるさいッ!! このドヘンタイッッ!!」
マイの、渾身の右ストレートが飛んできた!!
「うぉぉおおおおっとぉおおおおおぉっ!!?」
ギリギリ、それを避ける。その拍子にバランスを崩して再び頭から雪の中へ突っ込んだ。
「チッ……なんで避けるんですか。ムカつくあなたの顔面に一発ぶち込みたかったのに……!」
「避けるわ!! いきなり何すんだよ!! ……というか、なんで変態呼ばわり!?」
「黙りなさい! 人が寝ているところに舌舐めずりしながら近づいてくるような輩を変態と呼んで何が悪いのですか!! 変態、この大変態ッ!!」
「……」
ひどい濡れ衣だ、と思った。