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全ては白へ



   ◇



 ――人間。

 それは、平気で自分達に地獄を見せる残虐な生き物だ。

 

 住処を、次の瞬間には焼け野原に変える。

 彼らが捨てたはずのものを漁れば、すぐに暴力を振るわれる。

 ただ歩いているだけなのに、彼らの都合で痛い網で捕獲される。

 捕まった者は、また彼らの都合でいとも簡単にその命を奪われる。


 愛をくれる者もいる。だが、結局は同じ事だ。

 信じていても、一緒にいても、いつかは裏切られるのだから。


 その猫もまた、人の作った地獄の上を歩き続けた。

 ――嫌いだ。

 その地獄は、平気で苦悩も苦痛も、全てを猫に与えていった。

 ――人なんて、大嫌いだ。


 どうして? 

 どうして、孤独を強いるの?

 どうして誰も、この命の寂しさを見つけてはくれないの?


 


「あら……?」


 いつもの少年の声とは違う、鈴を転がしたような声に釣られて、橋の下でじっとしていた猫は顔を上げた。

 少女だ。一人の少女が、不思議そうな顔でこちらを覗き込んでいる。


「こんにちは、可愛らしい猫ちゃん。珍しいね、こんな所に猫だなんて」


 手を近づけ、こちらの頭を撫でてきた。

 嫌悪は不思議と無かった。細く白い手が、優しく猫の毛をなぞる。


「大丈夫、襲ったりなんかしないよ。よしよし、寂しかったね、心細かったね」


 ゆっくりと動く手の感触が気持ちいい。微かに伝わってくる体温が心地よい。素直にその言葉に従うままに、ゆっくりと猫は目を閉じてしまう。

 少年のおかげなのだろうか? 自分は人が怖くなくなったのだろうか?

 いや、きっとそうではない。この少女を、猫は警戒しようとは思わなかった。


 黒く長い髪、華奢な身体。こちらを覗き込む、藍みを帯びた黒い瞳。

 綺麗だ、と感じた自身に驚く。

 初めての事だ、人間を綺麗だと思ったのは。

 華麗とは決して違う。

 それは、儚さを帯びた綺麗。


「あなたは、のら猫なのかな? ……それとも、捨て猫? ……毛並みがとてもいいから、きっと後者なんだろうね……可哀想に」


 ――それは間違いないのだが、今は少しだけ違う。

 そんな意地にも近い不満を露わそうとして、ウーといううめき声をあげた。

 そんな猫の心情が伝わったのか、少女は少しだけ驚いたように目を丸くした後に、また穏やかに笑う。


「そっか。だからあなたは、ここから離れるわけにはいかないんだね。……素敵」


 今度は両腕を伸ばし、そっと猫を持ち上げると、少女はその胸に優しく抱きしめた。

 頭に感じられていた体温に、今は身体全体が包まれている。

 温かくて、柔らかくて、いい匂いがして――

 人間など爪でがりがりに引っ掻いてしまうところを、こうも大人しくされるがままになっているとは。猫は自身に不甲斐なさを感じ、また不満そうに唸る。

 それに対し、少女はおかしそうに少しだけ笑った。


「ふふっ、ごめんね。私、結構あなたみたいな子の扱いが分かっちゃうのかも。見つかってしまったのが運の尽きだったね。しばらく大人しくやられてなさい、なんて」


 不満を表したものの、やめて欲しいとは思わなかった。むしろ、もう少しこの温かさを感じていたい。

 そうしてしばらく無言で抱きしめられていた時、いつしか少女の腕が微かに震えている事に猫は気付く。


「……猫はきまぐれ、だなんてよく聞くけれど、それはちょっと違うんじゃないかと思う。あなた達はただ感じた通りに生きているだけだよね。きまぐれなのは、むしろ人間の方。私達はいつも誰かに振り回されながら、誰かを振り回しながら生きている」


 猫に言っているのか、それとも自身に言っているのか。その声も先程までとは違う、少し寂し気なものだった。


「あなたにね、とてもよく似た人がいるの。その人も、沢山の人に捨てられて、裏切られて、酷く心が冷めてしまっている。もう何も信じたくはないって、捨て猫のような目をしている。そのくせ、とても寂しそうなの。だから、私は放ってなんておけない」


 猫は、ようやくその少女が抱いている感情に気付く。


 ――彼女もまた、寂しいのだろうか。


「でもね、その人は優しすぎる。優しすぎるから、私なんかの身も案じて、私も拒もうとする。でもまた声をかけると、迷惑そうにしながらも……どこか嬉しそうなの。卑怯だよ、あんなの」


 信じようとするから、関わろうとするからだ。だからそんな思いを抱く。

 最初から、何も知らずにいればいいのに。


「どうすれば、いいんだろうね。何が、あの人のためになるんだろうね」


 猫を通して、少女はこの場にはいない誰かに思いをはせる。目を閉じているその顔は悲し気で、儚げで、それでも凛とした強さを感じる。

 彼女は、きっとこれからもその誰かに思いを伝え続けるのだろう。決してあきらめる事はないのだろう。あまりにも愚かだ。


 でも、きっとそれが綺麗なのだろう。美しいのだろう。

 だからこそ猫はあの時も、そしてまた、それに縋ろうとしている。


 猫は、少女の頬を舐めた。

 自分と同じく、愚か者であろうする少女を励ますために。


「うん。思いがけず、嬉しいものを貰っちゃった。そうだね……やっぱり、誰かと一緒じゃないと寂しいもの。一人は、辛いもの。……ありがとう。頑張るね、私」


 橋の下で、少女と猫が寄り添う。

 影になっていたそこに日が差し込み、彼女の横顔に滲む勇気も、覚悟も、全てを照らす。


 ――その少女が、ここで少年との出会いを果たすのはそれから少し経ってからの事だった。


 


   ◇



「へくしッッッ!!」


 自分のくしゃみで目が覚めた。


 間抜けだとは思う。だが仕方がないのだ。

 寒いのだから。

 思わず薄い布団を手繰り寄せてくるまる。だがそれでも寒い。もうそこから出るのすらも億劫なほど寒かったが、しばらくしてからなんとか起き上り、秘密基地の中央にあった焚火に火を付けた。

 少しは温かくなった気がするがそれでも寒い。とにかく寒い。


「ううぅ……なんだこりゃ」


 昨日は暑かったから薄着で寝たのに。この温度差は身体に悪すぎる。

 一応片隅に置いておいた毛布を取り出し、それにくるまる。あと、まだ寝ている五十鈴のベットにもかけてやる。ココロにもと思ったが、そのベットはもぬけの殻だった。

 そう言えば、昨日「もう寝れない、無理遊ぶ」とか言っていた気が。外に出ているのだろうか。彼女も薄着だったが大丈夫なのだろうか。


「しかしまあ、なんでこんな寒いんだ……?」


 毛布ダルマになりながら身を震わせて階段を上がり、天井に取り付けられたいつもより何故かやけに重い出口の扉を開けて――俺は絶句した。


 そこに広がっていたのは、一面の雪景色。


 グラウンドから校舎、街並み、向こうに見える山まで、全てが真っ白に染められている。

 出口扉に積っていた雪が少し頭に落ちてくる。冷たい。


 勘弁してくれ、と思った。

 昨日は夏だったが、今度は冬になったらしい。もう意味が分からない。

 ガタリ、と下の方で物音がしたので振り返る。


「高山……君……」


 そこには五十鈴が立っていた。毛布にくるまってはいるが、彼女も夏用の薄着のパジャマのままだったはず。その身体を縮こまらせ、ガクガクと震えている。


「あ、ああ。五十鈴、おは……」

「おやすみ……」

「……」


 重症なのは分かった。


「わ、私……寒いのだけはダメなんだ……。で、でも昨日も暑いのでのぼせていたし。だから今日こそ頑張らなくちゃ……でも、ああでもさむ……」

「分かった。お前が頑張ってくれてるのは良く分かっているから。とりあえず今はベット戻ってもっとたくさんの布団と毛布にくるまって芋虫にでもなっとけ。死ぬなよおい」

「うぅ……ごめんなさい……」


 五十鈴はコクリと頷くと、涙目でフラフラと幽鬼のような足取りでベッドの方へ向かっていった。

 その時、今度はおーいと出口の向こう側から声が聞こえてくる。

 そちらの方を見ると、グラウンドの端の方で、やはり昨日の体操服のままの格好で嬉しそうな笑顔をこちらに手を振っているココロと――その背丈の四倍はあるかと思われる巨大な雪だるまが並んで立っていた。


「見てー! コウジー! 頑張って作ったんだよー! 凄いでしょー? あははははー」

「……」


 ベッドの方でガタガタと震えている五十鈴に視界を戻す。


「とりあえず、待ってろよ五十鈴。今校舎の方へもっと毛布とか上着とか取ってきてやるからな」

「はうぅ……お願いします」


 本当に寒いのは苦手なようで、いつもなら「私も着いて行く」と言いそうな彼女が素直に頷いた。


「ねえ!! コウジ! 見てる!? 凄いでしょ!? 力作なんだよこれ! ねえー!!」



 

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「終末へのココロギフト」を読んでいただきありがとうございます!よろしければこちらより、現在連載中のファンタジー 「そして勇者は、引き金を引く〜引きこもり少年と怪物少女の、異世界反逆譚〜」 も読んでいただけるととても嬉しいです!よろしくお願いします…!
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