最高の解放
「策」を五十鈴とジン達に伝えるなり、俺達は飛んでいった記憶のカケラをそっちのけですぐにその準備に取り掛かった。
心当たりはあったため、その場所に行ったら案の定「それ」はたくさんあった。
それをジン達に渡す。その使い方も大体俺が知る限り伝えて。俺自体も良く知らないからかなりおおざっぱな説明になってしまったが、彼らならきっとうまいことやってくれるだろう。
そんな「準備」をしているうちに、日はもう完全に落ちていた。
今日太陽がこの地上に与えていった熱は相当なものだった。太陽が隠れてなお、その熱は中々冷めることはない。今もまだ、気温は高い。
しかし、それでもやはり昼よりも涼しく快適だった。聞こえてくる鈴虫の鳴き声も、気分的に幾分か涼しくしてくれる。時折近づいてくる蚊さえいなければ何も言うことはない。
まさに、夏の夜といった風情。
夏自体はあんまり好きではない。昼はとても暑くなるし、何かと騒々しい事も多いし。でも、そんな日中が過ぎた後の、この独特の風情と不思議な安らぎ感を与えてくれるこの時間帯は結構好きだった。
「……ふう……」
「お疲れ様、高山君。流石に疲れたね……」
さっきまでジン達の「運搬作業」を手伝っていた俺達だったが、「後は我々でやります」と気を利かせてくれた彼らの言葉に甘え、今は校舎の屋上に出ていた。フェンスの前に二つ並んだベンチの内、一つにはココロを寝かせ、もう一つには俺と五十鈴が並んで座っている。
それにしても、疲れた。今日一日動きっぱなしだったため、ベンチの背にどっかりともたれかかった身体はもうしばらく動きそうもない。
「五十鈴もお疲れ様。正直、お前がここまで頑張ってくれるとは思わなかった」
「……私も、もう限界なんだけどね……」
半分魂が抜けてそうな生気の無い顔でそう五十鈴は呟く。
「明日は、もっと大変になるかもな」
「うぇぇ……」
目下に映る、闇の中で白く煌めく街。滅んでなお、確かに動き続けている世界。それを眺め、少しだけ沈黙が続く。
だがやがて、俺は五十鈴にこんなことを尋ねていた。
「……なあ、どうだった? 五十鈴。『今日』という日は」
世界が滅んでから、彼女にとって目覚めて初めての日。そして、世界の救済を始めた日。それは彼女にとってどう映ったのだろう。ふと、そんな事が気になったのだ。
彼女は答える。
「うん……とにかく驚いた。いろんな事を知って。あと、とっても疲れた。たくさんの事をして。一日でこんなに疲れることは中々ないと思う」
それに関しては、苦笑で返すしかない。五十鈴には今日随分無理をさせた。申し訳ないとは思っている。
でも、と五十鈴は微笑み、続ける。
「とても楽しい一日だったよ。色んな所を歩いて、二人で色んなことをして。そして何より……あなたにまた出会えた。あなたとまた話せた。それが、何よりも嬉しかったな」
「五十鈴……」
返す言葉に詰まっていた俺だが、やがてこう言っていた。
「俺も……嬉しかった。お前と、やっとこうして話せて、一緒にいる事が出来て。お前を突き放す必要もなく、共にいる事も許される……永遠に来る事は無いと思っていた、『今日』という日を過ごせて」
きっと、元の世界ならこんな日は訪れなかったかもしれない。俺は頑なに心を閉ざし、彼女に振り向け事は無かったのかもしれない。
こんな世界だからこそ、俺達は分かり合えた。
「……よわむしだね。あなたも――私も。私は、あなたのそういうところに……」
暗くてよく見えない表情で俯き、彼女は小さく何かを呟いた。それを聞き取る事は叶わなかった。
聞き返そうとした俺へ唐突に、五十鈴はその頭を肩に預けてくる。
「お、おい……なんだよ、いきなり」
「何となく、かな。うーんそれじゃあ、これは今日高山君のお手伝いをした報酬、という事で」
目を閉じたまま、五十鈴はさっきの微笑みとは違う、ちょっとイタズラっぽい笑みを浮かべている。
「驚いた。まさかお前がこんな事をしてくるなんて」
「もちろん、高山君にだからこそ出来る事だし……あと今も結構恥ずかしい……」
「恥ずかしいのかよ……」
そう呆れたように言ってから、俺は自然と笑みが漏れ、その頭をそっと撫でた。ん……と、五十鈴は吐息を漏らし、気持ちよさそうに少し身じろぎもした。
「本当に、よく頑張ってくれた。今日はありがとうな、五十鈴」
「……うん」
しばらくして、屋上入口の扉が開いた。
そこから出てきたのは一体のジン。どうやら、律儀に報告に来てくれたらしい。
「もう、準備は整ったのか?」
びしっと、敬礼のポーズを取る。流石、仕事が速い。
「ありがとう。じゃあ、すぐに取り掛かってくれ」
彼がまた屋上から出て行ったのを見届けてから、俺はまた夜の街を見渡す。
今もまだどこかを彷徨っている記憶のカケラ。ようやく、それとの決着をつける事が出来る。
「さあ、あの記憶のカケラに――この世界に捧げよう。これが俺達に出来る、最高の『解放』だ」
◇
「はあ……はあ……!!」
今日はもうどのくらい走ったのだろう。ずっとあたしは走りっぱなしだ。
辺りはすっかりと暗くなってしまった。山の中だとその闇は更に深く、足元も良く見えない。懐中電灯もどこかに落としてしまった。
しかし、そんな暗闇でも見通せるらしい巨大ジンは、容赦なくあたしを追いかけてくる。
また数発、弾を撃つ。その弾も今までと何の例外もなく、彼の腕に防がれた。
こちらを追ってくる速度自体は、遭遇した頃よりも落ちている。彼も弱ってきてはいるのだろうが、まだ肝心の核を防衛する事をやめる様子はない。
そしてこちらの体力は、だいぶ限界に近付いていた。この様子だと、先に力尽きるのは間違いなくあたしの方になる。
「く……」
一瞬視界がぶれたが、何とか踏みとどまった。
(まだだ。策は、まだある……!)
その時、巨大ジンが先程蛍光塗料で目印を付けておいた大きな木の横まで来た。
「……ッ!!」
これが最後になる「誘導」。
持っていたスイッチを押す。すると、その木に仕掛けておいたプラスチック爆弾が起動。爆発と共に、その木がへし折れる。
木が、巨大ジンにのしかかった。しかし彼は左腕一本の怪力でそれを支え、押しつぶす事までは出来ていない。すぐに抜けだされるだろう。
だが、これで充分。これでもう、今は先程のように跳んで逃げるという真似は出来まい。
あたしは機関銃を構え直すと、彼の方へ走りながらその連射を開始した。
「あああああああッ!!」
最早策と言えるかも怪しい、渾身の特攻。
当然その連射も彼の空いていた右腕に防がれているが、ただ闇雲に撃っているわけではない。彼のその腕に、全て同じ角度で打ち込まれるように調節している。
結果、彼の腕が少しずつ上がってくる。彼は今右腕しかそれに回せないので防御にも限界がある。それにやはり、その力自体も多少は衰えてくれているらしい。
そして、腕の下から核が見えてくる。あれさえ撃ち抜けば、全てが終わる。
(これで……!!)
しかしその直後、連射が止まった。
「え……」
すぐに悟る。弾切れ、だと。
(そん、な……こんな、ところで……)
とうとう、天にも見放されたのか。
連射が止まると、巨木を退けた巨大ジンはすぐさまこちらへ腕を振り上げてくる。特攻を仕掛けていたあたしに、それを防ぐ術など無かった。
彼の拳をモロに喰らい、地面に叩きつけられる。
「あ……ぐッ……!」
全身を大きな衝撃が襲い、しばらく仰向けに倒れた身体が動かなくなる。機関銃も手放してしまい、あたしから数メートル先に転がっていた。
そして目の前には、腕を再び振り上げている巨大ジンがいる。
――ここまで、だった。
(あたし、もう終わりなのかな……ここで)
ゆっくりと、目を閉じる。
こうなる運命だったのだろうか。これが、戦い続けた先の結末なのだろうか。
あたしは、ここでこの終わりを受け入れなくてはならないのだろうか。
ならば――
――嫌だ――
それは、あたしの奥底から聞こえてきた声だった。
震わせている、揺さぶっている、このあたしを。
なんだ、これは。何が、叫んでいる? あたしの、何が……。
――あたしは、まだ……!――
その時、彼方からドンッという音が響いた。
「……え?」
銃声? いや違う、これは……。
再び、その目を開ける。
その視界に映っていたのは、暗い空を覆うまばゆく光る大輪の花だった。