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絶望からの機転



   ◇



「はぁ……」

「ふぅ……」


 俺と五十鈴は、二人して溜息をついた。

 俺達が今いるのはいつものグラウンド。今の溜息は、丁度今までこの上空にあって、そしてまたどこかへ飛んで行った記憶のカケラに対するものだった。

 灰色の空を見上げる。その灰色だが、だいぶ黒が濃くなってきている。気温もずっと汗が止まらないほど暑かったが、今では少しだけ涼しくなってきているような気がする。

 これは、もうすぐ日が暮れるという事なのだろう。空の灰色がほぼ黒に近づく時、それが今の世界での夜の始まりだ。「夏」という事は、日が暮れ始める時間的に今は午後7時くらいなのだろうか。


 そして俺達の「解放」は、まだ終わっていない。


 山での一件の後も、俺達は飛び回る記憶のカケラを追って「解放」を続けた。それこそ、もうどれだけ歩き回ったかを忘れるくらい。

 しかし、それは一向に「解放」される気配はない。無常にもただ飛び去っていくばかりだ。俺達はまたそれを追って歩くしかない。

 そんなことを繰り返しているうちに、もうこんな時間になってしまった。


「まずいな」

「それって……」


 この言葉だけで、五十鈴も理解したようだった。彼女なりにも今日の「解放」の在り方に焦りを覚えていたのだろう。


「ああ。これは一番最初から危惧していた事だが――圧倒的に『解放』を行えたトータルの時間が少ない」


 それは当然の事だった。今日はずっと「解放」という行為を行えていたわけではない。記憶のカケラの移動に合わせ、それを追いかけることにもだいぶ時間を使ってしまっていた。

 というわけで、俺達は今日「解放」を頑張ったつもりで全然頑張れていないのだ。


「あと、私達はどれくらい『解放』をしなくちゃいけないんだろう?」

「大体、今日の『解放』に使った時間を1とすると……移動に使った時間は3にもなると思う。つまり、俺達の今日の『解放』は普段の四倍も効率が悪いという事になる。そうすると、おとといのキャッチボールに使った『解放』の時間を基準に考えるとして、その四倍。その時間から今日俺達がした移動を含む『解放』の時間を差し引いて、残り時間は……」


 そこまで言って、少しだけ立ち眩みを覚えてしまった。


「……これ、日を跨ぐかもしれんぞ……」

「ええっ!?」


 これは相当まずいかもしれない。今日すべき「解放」が、今日中には終わらないかもしれないという事だ。

 ココロが言っていた事を思い出す。


 ――この世界の救済、それは記憶のカケラの『解放』を行う事。あれは一日に一つ、この高校を含めこの地域周辺のどこかに現れる。私たちは一日一個、あれを『解放』しなくちゃいけないんだ。そして一週間後――世界が本当に滅ぶ直前になってしまうけれど、その日に最後のあれを『解放』した時、世界は完全に記憶を取り戻し、元の世界に戻す事が出来るの――


 今日「解放」出来なかった記憶のカケラがどうなるのかは分からない。しかし「一日一個」というからには、やはり今日中にあの記憶のカケラを「解放」しなければ、取り返しのつかない事になるという気がしてならなかった。

 だから、何としてでも今日中に済ませたい。しかし、五十鈴も俺ももうだいぶ疲れている。これ以上ペースを上げていくどころか落としていかないとやっていけそうもない。こっちは今のところ完全に手詰まりという状態だ。


 更に、その背に担いでいる動けないココロを見て、もう一つの案件についても考える。

 ココロが目を覚まさないという事は、巨大ジンはまだ倒れていない。あのマイを、ここまで手こずらせている相手。

 ここからじゃ山の状況はよく分からない。今彼らはどうしているのだろう。マイは、まだ奴と戦っているのだろうか。それとも、彼女は既に……。

 首を振り、嫌な考えを振り払う。ダメだ、やはり今は「解放」の事だけを考えよう。


「とにかく、今まで通りやっていっても確実に間に合わない。どうした……ものか……」


 また考え込んでいたその時だった。隣で、急に五十鈴が短い悲鳴を上げる。


「どうした? 五十鈴」

「た……高山君。あれ……」


 恐る恐るといった様子で彼女の指差す先。グラウンド端にある林の闇を見て、俺の顔も引きつる。

 そこから、無数の影が這い出てくる。今更それが何だとは思わない。それは、大量のジン達だ。


「嘘……だろ!? このタイミングで……!?」


 何だかんだ今日の「解放」中にはほとんど遭遇しなかったから、油断していた。しかし、まさか今になってこんな数に遭遇する事になろうとは。

 勿論拳銃一本で戦うつもりなど毛頭ない。勝てるはずもないし、何よりそんな事している時間も全くない。

 しかし今からジン達から逃げ回らなくてはいけないとすると、ますます「解放」を行える時間が無くなってしまう。

 これは、いよいよ本当にまずい状況だった。


「五十鈴!」

「うん……!」


 だがとにかく、今は奴らから逃げる以外にはない。奴らに向けて拳銃を威嚇射撃し、その隙に逃げる事にする。


(巨大ジンではないんだし、多少は怯んでくれると嬉しいが……)


 そういう淡い期待を抱きながら、奴らに拳銃を向けると――


 全員が一斉に両手を上げた。いわゆる「降参」ポーズだ。


「ふぁっっ!?」

「……ふぁ?」


 五十鈴は隣でジン達の思わぬ行動よりも、俺の思わず裏返った声に驚いている様子だった。だが今そんな事はどうでもいい。

 ジン達の奇行はそれだけには留まらなかった。すぐに正座して挙げた両手を地面に付け、上体を倒し頭を地面につける――「土下座」を行う。全員がタイミングを揃えて綺麗に頭を下げ、なんとも見栄えが良い。


「…………」

「ふぁ、ふぁー……?」


 今度は、叫ぶ事すら忘れた。




 しばらく土下座の体勢を崩さなかった(こっちも動くに動けず、お互い硬直状態だった)ジン達だが、やがて一斉に上体を起こすと、一番先頭にいたジンが丁度足元に落ちていた木の枝を拾う。そして、それで地面にせっせと文字を書き始めた。小学生か、お前は。

 とにかく、俺達に伝えたいことがあるらしい。


「ええっと……?」


 空はだいぶ暗くなってきたが、その文字くらいはかろうじて読めた。


 ――まずは言わせて下さい。ごめんなさい、と――


 まあ、それは態度だけでも十分すぎるほどに伝わった。伝わり過ぎた。

 俺達が文字を読んだ事を、そのジンは律儀にチラッと上を見て確認すると、再び下を向いてせっせと次の文字を書く。ちょっと可愛いなおい。


 ――私達の名はジン。この「終わった世界」に遣わされた、言わば世界の「守護者」、「精霊」。私達の使命はただ一つ。それは今のこの世界の均衡を保――


「おい、そこらへんは分かっているんだよ。変な前置きは要らん。端的に要件だけ話せ」

「……高山君。彼、頑張って書いてるんだよ? 最後まで見てあげても……」


 別にそうしてやってもいいのが、とにかく今は時間が無い。

 ジンは再びその核で俺をじっと見た後(何故か悲しそうに見えた)、また文字を書き始める。


 ――私達は今まで巨大ジンに操られていました。しかしようやくさっき、ここにいる一部の者達がその呪縛から解き放たれる事が出来たのです――


 なるほど、想像はついたがやはりそういう事なのか。今のこいつらに危険性はないと。

 背負っているココロがまだ眠ったままなので巨大ジンはまだ倒されていない。しかしこうして巨大ジンの呪縛から逃れられたジンがいるという事は、その力は少しずつ弱まってきているのだろうか。

 信じよう。マイは、今もまだ奴と頑張って戦ってくれていると。

 文字は続いた。


 ――ですが、未だ彼に操られている者もおります。今もなお、彼の意のままに暴れ回されている事でしょう。仲間も早く元に戻ってほしい。そして、操られていたとはいえあなた達に危害を加えてしまった事への償いもしたい。というわけで、私達にも今日のあなた達のお手伝いをさせていただきたいのです――


「……!」


 俺と五十鈴は思わず顔を見合わせる。

 助力、これは願ってもみなかった話だ。この緊迫した状況で、それがどれほどありがたいことか。しかも……。


 このグラウンドに集結しているジン達を再び見渡す。その数は、四十ほどにもなる。

 こいつら一体一体の腕が立つのは、俺が身を以て知っている。それを、これほどもの数が力を貸してくれるというのだ。

 これは、本当に頼もしい限りだ。


「素直に感謝する、ありがとう。どんな事でもいいのか?」


 ――もちろん、私達に出来るのならどんな事でも。今日限りはあなた達の意のままに動いてみせます――


「高山君、これなら……!」

「ああ、いける」


 これなら、全てが上手くいくかもしれない。

 胸に大きな希望がこみ上げてくると同時、では彼らに何をさせようかと考え始める。


 まず真っ先に浮かんだ考えは、先にこいつら全員にマイの手助けをさせるという事だった。マイとジン達が力を合わせ、巨大ジンを一気に討伐するというのはどうだろう。「解放」は遅れる事になるが、これならマイのこれ以上の負担を減らせ、さらにココロも目を覚ます。あわよくば彼女達にも「解放」を手伝って貰い、こちらも一気に終わらせる、と。良い考えだと思った。


 しかし、すぐに想像する。マイが必死に戦闘を繰り広げている中、操りが解けているいるなどとは知らないジン達が紛れ込んできたらどうなるか、と。

 今朝、大量のジン達がマイの機関銃で一気に薙ぎ払われていた光景を思い出した。


(ああ……やっぱりだめだこれ。間違いなくマイに敵と認識されて、こいつらが全滅する)


 それに、こいつらは元々巨大ジンに操られていたのだった。彼らを再びその奴と戦わせて、また操られてしまうという可能性も十分にあり得る。

 ではやはり、こいつらにはまず俺達の「解放」を手伝って貰おう。マイの手助けはその後俺達で行けばいい。


 さて、何をして貰おうか?

 とにかく、それならばこの「解放」をとっとと終わらせてしまいたい。しかし、その対象はあちこちを飛び回る記憶のカケラ。この数の助力を得られたと言えども、今からすぐにあれを「解放」に導くなど不可能のように思える。


 課題はやはり、こちらの「移動時間」。それさえクリア出来れば。一番いいのは、記憶のカケラが移動しようが、こちらがそれを追う移動時間を使わずに「解放」という行動が続行出来るという事だ。それだけで随分時間は縮まる。もしも、そんな事が可能だとすれば――


「……あ」


 そして俺の頭に。


 一つの、最高の打開策が浮かんだ。



 

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「終末へのココロギフト」を読んでいただきありがとうございます!よろしければこちらより、現在連載中のファンタジー 「そして勇者は、引き金を引く〜引きこもり少年と怪物少女の、異世界反逆譚〜」 も読んでいただけるととても嬉しいです!よろしくお願いします…!
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