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少年の空虚

挿絵(By みてみん)


   ◇



 いつも通りの朝だった。

 機械的に朝を告げる目覚ましを黙らせた俺は――高山光司(たかやまこうじ)は目を覚ます。


「……」


 鳥のさえずる音が聞こえてくる。カーテンを開けると、日光が急に網膜へ入り思わず顔をしかめた。部屋の中も明るくなる。

 ――青いカーテン。黄緑色のベッド。茶色の学習机。白い本棚。


 時刻は七時。両親はもう起きている。朝食も出来ているのだろう。

 階段を下りてリビングの扉を開くと、案の定テーブルにはすでに母と父がいた。


「……おはよう、父さん、母さん」


 ……なんと冷たい声だろう。こんなに冷め切った「おはよう」があるだろうか。毎朝自分で思う


「……おはよう、光司」

「……」


 母は気まずそうに、父は無言で読んでいた新聞をずらしてこちらを睨みつけるように見た後、再び新聞で顔を隠した。

 いつもの、光景だった。


 誰も何も話そうとしない気まずい沈黙の中朝食を取る。味は、どうにもあまり分からない。

 やがてその沈黙を破ったのは、父だった。


「光司。夏期講習で受けた試験の結果はもう返ってきているのだろう? 見せなさい」


 機嫌が悪そうとも思える低い声でそう言う。

 ……結果を見せた所で、どうせ返ってくるのはいつもの反応なのだろうに。


「……分かった」


 感情を押し殺した声でそう言い、朝食を中断して自分の部屋から成績表を持ってくる。

 差し出すと、父はそれをひったくるように俺から取り、そして見るなりその表情は一瞬で豹変した。


「……ッ!」


 まるで憎むものを見るかのように、その結果を凝視する父。

 そんな父を、今にも泣きそうな不安な顔で見つめる母。


「……」


 ……いつもの、光景だった。




 険悪な空気となってしまった中朝食を手早く済ませ、それから逃げ出すように家を出、学校への通学路を歩く。

 時期は九月上旬。九月は秋だというが実際そんなはずはないと思う。

 太陽はじりじりと道路のアスファルトを、そして俺の皮膚を焦がす。世間はまだまだ真夏日だった。

 どこかでセミも煩く鳴いている。風はあるのだが、熱風が顔に当たるというのはあまり心地良い事ではない。


 止まらない汗を拭いながら歩くこと約十五分、俺の通う高校に着いた。

 正門を抜け、生徒玄関へと向かう。


 ウチの高校ではつい先日に学校祭が行われたばかりだ。なのでまだその余韻が残っているのか、今の全体の学校の雰囲気としてはどこか浮ついた感じになっていた。

 たった一つのクラスを除いては。


 それが俺の所属するスーパー特進クラス。有り体に言ってしまうと、大学受験に特化したクラスだ。俺達は二年生でありながら既に受験勉強が本格的に始まっている。

 この高校のスーパー特進クラスは一般の高校にあるそれよりもレベルが高くなっている。なのでこのクラスに集まる奴らのほとんどは、中学時代に成績が一位、二位だったというそういう猛者ばかり。

 故にこのクラスでの闘争は激しい。学校祭中でも平気で勉強しているような奴らだ。

 そして、他人を陥れることも厭わない。特に――


 廊下を歩いていき俺の教室にたどり着く。そしてガラリと教室のドアを開けると、中で先に勉強していた奴ら(というか俺以外の全員。俺が最後だったようだ)がジロリと一斉にこちらを睨んできた。その目は明らかな敵意を含んでいる。


 ――特に入学以降クラス一位の座から揺るがない俺に対して、このクラスの奴らからの視線は厳しい。彼らは、完全に俺を敵と見なしているようだ。


 俺が溜息をつきながら自分の席につくと、一人の男子生徒が獰猛な笑みを浮かべて俺に近づいてくる。

 たしか金田。(自称)クラス・ナンバーツーだったかなんだか。自分で堂々と二番手を名乗るなよと思う。


「おい、高山。この前のセンタープレの結果は返ってきたんだろ? 合計点を教えろ」


 金田は笑みを崩さずそう言う。一見友達との間にありそうな会話だが、こいつの場合は違う。自分よりも成績が下のやつを徹底的に嘲笑う卑劣な男なのだ。

 口振りからするにこいつは今回かなり良かったのだろう。


「お前に教えてやる義務はない」


 彼のほうには目もくれてやらずそう答える。だが金田は引き下がらない。


「なんだ高山。お前、自分の成績に自信がないのか? それとも、僕に負けるのが怖いのか? ちなみに僕はリスニングを含め八百八十三点だったよ。さあ、高山ぁ。お前はどうだったんだ? 言ってみろよ。くくく……」


 俺はすでに本日二度目となる溜息をつく。朝からこいつにからまれているのも面倒だ。そう判断した俺は口を開く事にする。


「リスニングも含めて、九百五十点」


 やつの笑みが一気に凍り付いた。


「ば、ばかな……満点!? そんな点数取れるはずが……」


 逆に、あんな問題をどう間違えろというのだろう。俺にはそれが理解出来ない。

 しかし金田は先ほどの笑みとは一転して、醜悪に歪めた顔で叫び散らし始めた。


「わ、分かった。カンニングだな! 狡猾な貴様のことだ。その程度の事、造作もないのだろう! そうだよ! 僕よりも頭のいいやつなんて、そうそういるはずもないんだ!」

「いい加減にしろよ」


 この時俺は初めてこいつを睨みつける。この男には日頃から散々このようなことを言われ続けているのだ。その鬱憤を晴らすかのように、言葉を吐き出す。


「俺をてめえら凡人と一緒にするなよ。お前らがどれだけ頑張ろうが、俺の足元にも及びはしないんだよ。言っとくが、俺は最低限の勉強しかしていないぜ? 学校祭まで返上して勉強しているお前らが馬鹿らしく思えるよ」


 これはこのクラス全体に聞こえるように大声で言う。案の定クラスのやつらは先ほどよりもさらに鋭い視線を俺に浴びせてくる。

 次に俺は金田を真っ直ぐに見据える。


「あと金田、カンニングしているのはお前のほうだろうが。テスト中チラチラとこっち見やがって。鬱陶しいんだよ。気付かないとでも思っていたのか? ナンバーツーだかなんだか知らんが、聞いて呆れるぜ」


 金田の喉から、うぐっと言う声が漏れる。それ以降はもう俺は視線を自分のカバンに戻した。


「分かったら、もうとっとと失せろよ。流石の俺でも、朝からお前に構っていられるほど暇じゃないんだよ」


 カバンから教科書を取り出しながらそう言う。


「なんでだよ……」


 上から憎々しげな声が聞こえた。


「なんで、お前みたいなやつがいるんだよぉっ!!」




「た、高山君……ッ!」


 退屈な午前の授業を終えた昼休み。購買でパンを買い終えた俺は、またクラスの連中に変に絡まれるのも嫌なので一人落ち着いて食べられる場所を探していると、後ろから女子生徒に声をかけられた。


「……」


 振り向き、またかと眉をひそめる。


 前髪は少し目にも掛っている、黒く長い髪。柔和だが、端正な顔付き。間違いなく美人の部類には入るのであろう。

 華奢な身体――だががりがりに痩せているわけでは無く、制服越しでも分かる、出るところは出ている女性らしい身体つき。 

 五十鈴文歌(いすずふみか)。クラスメイトだ。クラスの奴らの名前など苗字しか覚えていないのだが(覚えてない奴すらいる)、彼女だけはフルネームで覚えてしまった。

 ……今朝も、皆が俺を睨みつける中、一人泣きそうな目で見つめていた少女。

 走ってまで俺を探していたのだろうか、息が上がっている。どう見ても運動していない彼女にはキツいだろうに。


「だめ……だよ、高山君……あんな事言っちゃ。あれじゃ、また高山君は嫌われちゃう……」


 今朝、俺が言ったことに対して言っているのだろう。


「これ以上どう嫌われろと? それに俺はただ事実を言ったまでだ。ああでも言わないと分からない馬鹿共が悪い。……それとも、自分を馬鹿と言われて悔しくてわざわざそんな事を言いに来たのか? 五十鈴」


 心を押し殺し、俺が彼女に放ったのはそんな冷徹な言葉だった。

 ……こうでも言わないと、彼女は俺から離れられないだろうから。


「違う。心配なの、高山君が」


 それでも彼女は引かない。真っ直ぐに、俺を見つめる。


「偽善者かよ。全く関係のない他人を心配出来るなんてな。――いや、お前は偽善者ですらない。ただの、あいつら以上の馬鹿だな。今まで俺に構っていたお前はどうなった? お前の周りからも人が消えたじゃないか。俺のおかげで身を亡ぼすとはな、とんだ大馬鹿者だ」


 そう、いつしか彼女に話しかける人もいなくなった。

「高山光司に話しかける変わり者」。前にそんな陰口を聞いた気がする。

 俺なんかのせいで、彼女は一人になってしまった。俺なんかが、いたから。


「……いい。私のことは、どうだっていい。ただ私は、もうあなたにそんな辛い顔をさせたくない、それだけなの。だからやめて。あんな、高山君も辛くなることを言うの……!」


 数々の酷い言葉もこらえる。少女は目に涙を溜め、こちらに訴えかけてくる。


「……ッ!!」


 ……まただ、いつもの事だ。また俺は、彼女に何も言えなくなってしまう。

 沈黙を作ってしまいかけたその時、金田が向こうから歩いてきた。


「おいお前達、二人で会話でもしていたのか?」


 朝の俺からの反撃からは回復したらしい金田は俺らの姿を認めるなり、例によってあの獰猛な笑みを浮かべて問いかけてくる。


「五十鈴が朝馬鹿にされた事を俺に抗議してきた、それだけだ。特に会話はしていない」

「……ッ!? 高山君……!」


 一切の感情を欠いた顔で、俺はそう言う。これ以上俺のせいで彼女の風評を悪くするわけにはいかない。


「へえ、ならいいけど。そう、高山はクズで疫病神なんだよ、五十鈴さん。だから君も不幸になった、ようやくそれが分かってきたみたいだね」

「なにを……!」


 金田に反論しかけた五十鈴に、言葉を被せる。


「金田、五十鈴が目障りだ。連れてってくれ」


 低い声で俺はそう言う。普段なら迷惑極まりない金田だが、今回はいいタイミングで来てくれた。俺が彼女から離れる口実が出来た。

 それに、こうでも言っておけば「高山光司にコケにされた」と彼女を同情してくれる人も出てきてくれるかもしれない。また少しでも五十鈴に話しかける人が出てきてくれればいい。


「……そうだねぇ。行こうか、五十鈴さん」


 彼女の腕を掴んだ金田は、さっきとは違う下品な笑みを浮かべている。彼が五十鈴に下心があるのは見え見えだった。

 でも、きっと俺なんかといるよりはよほどいい。

 俺はそのまま反対方向に歩いていく。


「高山君……! 待って、高山君……!!」


 ……これでいい。俺は、一人でいい。だから五十鈴、お前はもう俺に構うな。


「なんでなの……」


 後ろから、声はまだ聞こえていた。


「なんで高山君が、悪者にならなくちゃいけないの……!!」



   ◇



 周りとの「差」が出てきたのは、いつ頃だっただろうか。


 気が付けば、誰よりも勉強が出来るようになっていた。

 中学のテストでは満点が当たり前。英語もその頃にはほぼ使いこなせるようになっていた。

 それを先生等大人たちは寄ってたかって褒めちぎってきた。


 ――いやあ、高山君は本当に凄いねえ――

 ――聞いた? あの子、また満点を取ってきたらしいわよ――

 ――本当? もう、とってもいい子ねえ。うちの子と変わって欲しいくらいよ――

 ――高山君は、まさに私たちの町が生み出した神童だよ――


 だがそうやって大人から褒められれば褒められるほど、同世代の――学校の奴らからは憎まれた。

 よく靴を隠されたり机に落書きされるなどの間接的嫌がらせを受けたし、集団での暴力を受けたこともあった。

 その時は決まって先生達がすっ飛んできて、やった奴らに厳しい処分を言い渡したものだ。

 その大人たちからの寵愛振りが、さらに彼らの神経を逆撫でしていったのだろう。

 おかげで俺は友達というものが作れなかったし、同世代の奴らと話すという機会すら殆ど無かった。

 

 憎まれたのは同世代からだけではない。父からもだ。


 父は俺の本当の父親ではない。その人は俺が物心つく前に亡くなってしまっている。彼は母がその後再婚した人。

 そんな境遇にある人はこの世にいくらでもいる。それほど珍しい事ではない。そして、大抵はそんな事でも家族の仲は円滑に進むものなのだろう。


 だが、俺達はそういうわけにはいかなかった。

 昔は父も俺の本当の父親のように接してくれていた。まだ俺も普通の子供だったから。

 しかし、成長し俺の頭が良くなるに連れて父の態度は変わっていった。難関大学入試の問題を解けるようになった頃には、彼は俺を忌々しげな顔で見るようになっていた。


「お前は私を馬鹿にしているのだろう? 父などとは思っていないのだろう?」


 俺と父の大きな違いはもう見た目だけではない。凡人である父のと、俺のこれから進む学歴もきっと大きく違う。

 そんな「他人」の日々伸び続ける才能を、どうして穏やかな気持ちのまま身近で見届けていることが出来ようか。それは、しょうがない事だった。

 こうして「父」と呼べる人にすらも、俺は妬まれている。

 俺は天から授かったこの頭と引き換えに、色々な物を失ってしまった。

 取り戻せることはもうない。俺はもう戻れない。

 ならばもう何も望むまい。何も願うまい。

 冷徹な仮面を手に入れる。涙一つ流さない。


 ……たった一人。俺は遠い場所にたどり着いていた。



   ◇



 目が覚めたら、世界が滅んでいました。


 突然こんな事実を受け入れろと言われて、誰が受け入れる事が出来ようか。

 しかし、俺は突如目の前に現れた同年齢くらいのその少女に、その事実を告げられたのだった。


「何を言ってるんだ……お前は……?」


 当然として、俺はそう返す事しか出来ない。


「何もどうも、言った通りだよ。この世界は滅んだの、色を失ってね」


 色が、消えた。俺は改めて辺りを見渡す。

 今俺が見ている世界は、あらゆるものが灰色。その濃淡でしか物との物の境目が、嘗てあったであろう「色」の境目が認識出来ない状態となっている。

 最初こそ自分の錐体細胞がおかしくなり、色の識別が出来なくなったとばかりと思ったが、下を見れば俺の肌、着ているTシャツとジーパンの色はちゃんと見る事が出来ている。

 そして、目の前に立つ少女の色も。

 本当に、「失った」のは世界の方だとでも言うのか。


「なんで、そんなことに……」


 ただ事ではない。何が起こったらそうなる?


「具体的にどうして世界が滅んでしまったのかは、私もよく覚えていないの。気が付いたら世界はこうなっていて、そして事実として私はそれを『知って』いた。私達以外、みんないなくなってしまった。残されたのは私達と、この『失われた世界』だけだという事を」


 世界は灰色になっただけではない。遠くを見ても、確かに俺達以外人がいない。この世界にいるのは、本当に俺達だけのようだ。


 世界の終わり。それが、今置かれた状況。


 では、「そうなる」直前の記憶は? 思い出そうにも、何故かそれを思い出す事が出来ない。そんな衝撃的な事が起こったのなら、忘れる事も出来ないはずなのに。


「記憶が……ない。覚えていないのか……?」

「そう……やっぱりキミも。不思議だよね。私達は、世界の破滅そのものについては忘れてしまっている」


 自分が何者なのかは分かる、名前も。

 ――嘗て、自分がどんな人間だったのかも。


「これから俺達はどうなっちまうんだ?」


 少女は即座に答える。


「今は、まだ破滅の初段階なんだ。世界はまだ形だけは残しているからね。でも今から一週間後、この世界は跡形もなく崩れ去る。その時はもう私と君も助からない」

「……!」


 再び俺は息を呑む。

 それはつまり、俺達の命もあと一週間きりだという事で……。 

 黙りこんでしまった俺に、ふっと、少女は優しい笑みを向けてきた。


「大丈夫だよ、言ったでしょう? 『失ったものを取り戻そう』って」


 そう言うと、彼女は俺の手を握ってきた。


「紹介がまだだったね。私の名前は『ココロ』。キミと同じ、この世界の『生存者』だよ。キミの名前は?」


 戸惑いつつも、俺は彼女の問いに答える。


「高山光司だ」

「コウジ……そう、いい名前だね。――それじゃ、行こっか」

「行く? どこへ……?」


 そう尋ねると、その不思議な少女――ココロは、再びとびきり明るい笑顔を俺に向けてきた。


「決まってるでしょ? 世界を救いに、だよ。この世界に再び色を取り戻すの、私達で!」



 

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「終末へのココロギフト」を読んでいただきありがとうございます!よろしければこちらより、現在連載中のファンタジー 「そして勇者は、引き金を引く〜引きこもり少年と怪物少女の、異世界反逆譚〜」 も読んでいただけるととても嬉しいです!よろしくお願いします…!
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