戸惑いの判断
歩くこと数十分。山の中腹あたりまで来てそこにたどり着いた。
いくつか立ち並ぶ山小屋のようなもの。そこはバーベキュー施設だ。観光業はこんな場所にまで抜かりはない。
すぐにその中の一つに入り、内部を見渡す。中央にバーベキューコンロが取り付けられている木のテーブル。木の長椅子。木炭も残っているし、金網も鉄板もあった。
俺達が今からここで何をするのかと言えば、勿論バーベキューだ。これでこの山での「解放」は行えるはず。その為に食材を揃えてきた。
俺達はちゃんとした昼飯もまだだったし、ずっと歩いていたのでかなり空腹だ。久しぶりにおいしいものを食べて腹を満たしつつ、「解放」まで行えてしまう。我ながらまた良い案を考えたものだと思う。
コンロに木炭を並べて着火剤をぶちまけ、ライターで火を点ける。着火剤に燃え移って一瞬燃え上がるが、すぐに小さくなる。それでも火は着実に木炭へ浸透していった。
団扇で煽り続けて焼くのに十分な火力になった頃には、丁度五十鈴があった包丁で野菜を切り終えてくれていた。
「じゃあ、食べるか」
「お、お肉……!」
五十鈴が目をキラキラと輝かせている。肉が好きなのだろうか。ちょっと意外だ。そういえば「バーベキューをしよう」と伝えた時もやたら喜んでいたような気がする。
ご要望通り、肉から焼いていく。
ジュウウウという肉の焼けるおいしそうな音と共に、なんともおいしそうな匂いまで漂ってきた。この破壊力は中々のもの。この匂いで隣に寝かせたココロが飛び起きるのではないかと期待したくらいだ(流石にそれは無かったが)。
「わああ……」
そして五十鈴は、とても幸せそうな顔をしていた。早く食べたくてしょうがないのだろう。
そんな顔をしてもらえると、俺はただ肉を焼いているというだけなのに得意げな気分になってくる。
「もうしばらく待ってな。あと少しで焼けそうだ」
五十鈴は今日本当に頑張ってくれている。お礼も込めて、彼女に早く食べさせてあげたい。
だがその時だった。五十鈴が何故か急に真顔になった。
「どうした? 五十鈴」
「……今、思ったんだけど」
ゆっくりと上を見上げる。舞い上がる煙。それが屋根下へ吸い込まれ、外へ出ていく。それがどうしたというのだろう。
「上になんかあるのか?」
「ううん。そういう事じゃなくってその――」
「うん?」
少しだけ躊躇った後、言う。
「――これって、なんか……おびき寄せているみたいだなって」
一瞬間をおいて、五十鈴のその言葉の意味を理解した。
「……あっ」
タイミングを見計らったかのように、小屋に地響きが起こる。
「逃げるぞ、五十鈴!!」
「ああっ! お肉……!!」
何が起こっているかなど分かっている。急いで外に脱出してみれば、目の前には巨大ジンがいた。昨日以来だ。
小屋の屋根にまで届く影の巨躯。簡単にこちらを捻り潰せそうな強靭な腕。どう考えてもあんな化け物に勝てるとは思えない。
「あ、あれが……」
「くそッ!!」
まさか巨大ジンは鼻まで利くなんて。それならこんなおいしい匂いを漂わせた俺達の失態だ。
「とにかく逃げるぞ!!」
「うんっ」
しかしその時、重大な事に気づく。
「しまった、ココロがまだ中に……!!」
「ええっ!?」
慌てて出てきたためココロを連れてくるのを忘れていた。彼女はまだ小屋の中にいる。
しかし救出にいく時間を、みすみす彼が与えてくれるとは思えない。
「どうするの、高山君!」
「助け出すしか……ねえだろ……!」
迷っている暇は無い。小屋に向けて走り出す。勿論巨大ジンが待ち構えている。
その彼に向け、俺は拳銃を取り出して数発発砲した。
咄嗟だった上に当然まだ使い慣れているはずも無く、弾は全然狙った方向へは飛んでいってくれない。それでも標的がでかいのと至近距離だったため、何発かはその身体に命中してくれた。
が、全く効いている様子はない。影には穴が空くどころか揺らぎすらもしない。立派な拳銃を持っているのに、まるでおもちゃを扱っているかのようだった。
「くっ……!」
こんなの奴に対して何の武器にもならないだろうが……と思いながら火を点けたライターを構える。しかし何故か巨大ジンは強い警戒を示し、大きく後退した。
「……?」
よく分からないが、チャンスだ。すかさず小屋の中に入る。
「ココロ!」
椅子に寝かせてあった彼女を担ぎ上げる。あとはここから脱出するだけだ。
その時、外で悲鳴が上がる。五十鈴の声だ。
何事かと思い入口を見れば、巨大ジンがこの小屋そのものに向けてその腕を振り上げていた。
「やば……!」
小屋から出て一瞬遅れて、そこは大破される。凄まじい威力だ。その衝撃で吹っ飛ばされ、ココロと共に地面を転がってしまう。
「うぐ……っ!?」
目を開けると、もう拳を俺に向けて振り上げ直している巨大ジンが視界いっぱいに映った。
その巨体で、その動きの速さ。俺は地面に倒れたままで、避けられそうもない。
「そんな……高山君ーー!!」
五十鈴の声が聞こえる。
そして巨大ジンの拳は振り下ろされ――
◇
あたしが逃げ、巨大ジンが追う。たまにあたしが反撃に出る。大体はそんな感じで続いていた戦闘の最中の事だった。
「……!?」
突如、巨大ジンが進路を逃げるあたしから全く正反対へ変えた。
今まであたしを執拗なまでに追いかけまわしていたあの巨大ジンがだ。追われなくなった分余裕が出来たのは嬉しい。しかし、一体どうしたというのだろう。
今度はあたしが巨大ジンの追跡を開始。彼は山を下っていく。今まで戦闘の舞台となっていた山頂付近からはどんどん離れていく。
そしてその途中、上空で記憶のカケラを補足する。
(まさか……)
とても嫌な予感がした。
やがて彼は中腹の開けた場所に到達。小屋のようなものがいくつか見えるから、そこは恐らく人の娯楽施設か何かなのだろう。
あたしは木々の影からその様子をうかがう。そして小屋の一つから出てきたのは、さっき出会った高山光司という男ともう一人女性(まだ生存者がいて、彼が味方に引き入れたのだろう)。やはりそういう事だったのか。
記憶のカケラがここにある事から、どうにも彼らはここで「解放」をしていたのだろう。そしてどんな「解放」をしていたのかは知らないが、それは巨大ジンをおびき寄せるものだった。
彼らは、あたしたちの戦闘に巻き込まれたという事になる。
高山光司はココロという女性を小屋の中に置き去りにしてしまったようだった。連れ戻そうにも巨大ジンが立ちふさがり、あたしのあげた拳銃で応戦しようとする。馬鹿、あんなもの効くはずもない。
しかしライターで必要以上に怯んだ巨大ジンを見て(あたしのおかげだ)、彼は小屋の中へ入っていく。そこからがまずかった。
怯んでいた巨大ジンだったが、すぐに攻撃体勢に戻る。高山光司の入り込んだ小屋そのものを狙い、一撃で破壊。彼は何とか避けたものの、もう次の一撃を避けるのは無理そうだった。
圧倒的な力を見せる影の王者。あたしでもまだ勝てないのだ。彼らには勝機どころか、逃げ切る事すら無理だろう。
(……あたしは)
この時あたしの頭をよぎっていた考えは、彼らを見捨てるという事だった。
巨大ジンが全力で拳を振り下ろした瞬間。核への防御は確実に緩む。その隙に一気に核へ弾を叩き込むというのはどうだろう。それは彼らを囮に使うという作戦。多分それは今までの策で最も成功率が高いと考えられる。
彼らがやっている「解放」ならその後あたしが続行すればいい。もう彼らはかなり進めている事だろう。多少疲れているとはいえ、後はあたしだけでもやれる。
そう、これはアクシデントなどではない。巨大ジンを倒せるまたとないチャンスだ。
(あたしは、手段を選ばない。あれを倒す事、ただそれだけを考える)
これがあたしだ。あたしはこうでなければならない。
多少の犠牲は仕方がない。ここでやらなければもう彼を倒せる機会はないかもしれない。
「だから、さようなら。高山光司。あたしのために、どうか死んでください」
さっき出会い、もう死別する相手に対し、聞こえているはずもない言葉をかける。
そして――
◇
連続的な銃声音が響き渡った。
それはまさに俺が叩き潰される直前。それと共に拳を振り下ろそうとしていた巨大ジンが大きくのけ反る。
「……?」
あまりにも突然のことで一瞬呆然としてしまう。しかし悠長にそんなことをしている暇はない。巨大ジンが怯んでいる隙に、立ち上がり近くに転がっていたココロを回収。こちらも呆然としてしまっている五十鈴の手を引き、巨大ジンへの逃走を開始した。
「走るぞ! 五十鈴!!」
「え、なに今の……どこから……?」
必死に走りながら考え、今起こった事についてすぐに思い当たる。
無数の銃弾。拳銃すら全く効かなかったあの巨大ジンが怯むほどの破壊力。この「山」で起こった事。
間違いない、マイだ。彼女の機関銃の攻撃が、俺にとどめを刺す直前だった奴の動きを止めてくれた。
まさに間一髪。また彼女に助けられる事になるとは。
(すまん……本当にありがとう、マイ。君には感謝してもしきれない)
逃亡は成功したようだ。走りながら後ろを見ても、巨大ジンが追ってくる様子は今のところない。
申し訳ないが、奴の相手はまた彼女に任せる。約束通り、今俺達は「解放」に専念する事にする。こちらが先に終わったのなら、今度こそ彼女の援護をしよう。
(俺達も頑張る。だから君も負けないで欲しい。頑張って欲しい)
そんな届くはずもない祈りを、再び俺達の後方で戦闘を再開したであろう一人の少女に向けて送る。
上空を見れば、記憶のカケラは再び移動を開始していた。
◇
銃口から煙が出ていた。空薬莢があちこちに散らばっていた。
呆然とした頭で、たった今自分がした事を理解する。あたしは機関銃を撃っていたのだ。高山光司を殺す直前の巨大ジンに向けて。
彼は突然の襲撃に不意をつかれたのか大きくのけ反ったものの、核の防御は忘れていない。弾は全て黒の影に吸い込まれ、虚しくもその攻撃は失敗に終わった。
その隙に高山光司達の逃亡は成功する。無事に戦線の離脱を確認。
怯みから立ち直った巨大ジンは、最早彼らのことなど眼中にない。その核で忌々しそうに「見ている」のは、彼の所業を邪魔したあたし。
だが、あたしの頭の中は今それどころではない。
(あたしは……一体何を……?)
せっかくのチャンスだったのに。こんな好機はもう二度と無かったかもしれないのに。あたしは何故撃った? 何故巨大ジンを妨害した?
分からない。全く、意味が分からない。
巨大ジンはあたしの追跡を再び開始。あたしの足も勝手に動き、戦闘は再会される。だが逃げ始めてなお、あたしの頭の中はしばらくここにあらずといった感じだった。
(あたしは助けたかったの……? 守りたかったの……?)
胸中で何かが広がる。温かい。
――なんだ、これは?