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最果てでの和解

「……」


 生命力を湧き立たせるような暴力的な暑さとは対照的に、静寂な沈黙がそこにはあった。


 今五十鈴はおらず、俺は一人でいるからしゃべる事もない。

 時刻はもう昼過ぎ。太陽は少しだけ傾いているものの、気温が一番上がるのはこの時間帯だ。

 汗は相変わらず止まらないが、しかし視界に水が映ってくれているというのは気分的に少しだけ涼しくしてくれてありがたかった。綺麗な水ならそのままダイブしたいくらいだが、灰色でよく分からないのでやめている。


 俺は今、河原にいた。理由は当然ながら、今はこの上空に記憶のカケラがあるから。


 目の前を流れる川は、俺達の住む地域の中心を分断する大きな川だ。今いる岸側が学校も含めビルやショッピングセンターも立ち並ぶ市街地。対岸が主に住宅街といった感じになっている。視線を横にずらせばこれまた中々に大きく立派な橋が架かっており、その二つを繋いでいる。その橋部分と街の方だけを切り取って見れば、ちょっとだけ都会っぽく見えるかもしれない。

 ただウチの地域は予算の都合か微妙に手を抜いている所も多く見られ、特にここの河原なんかほとんど整備されてはいない。川が氾濫した時のために土手はしっかりと積み上げられているが、その下の土地に申し訳程度に大きな石がごろごろと敷かれている。その石の間から生える、刈り取られることもなく伸び放題の雑草達の様子と、隣に架かるご立派な橋とのギャップが何とも甚だしい。


 この川で俺は、釣りをしていた。

 釣り竿一式は近くの釣り竿屋から拝借してきたもの。収縮出来るやつで、立派なリールも付いている。

 仕掛けに付くおもりもどんな重さが良いのか良く分からなかったから適当に一番軽いやつで。餌はルアーと生餌があったが、生餌は少々グロかったのでルアーにしておいた。

 川で、一人する「解放」と言えば、釣りくらいしか思いつかなかった。

 人はいないが、魚はいる。色はやはり無くて分かり辛いが、バラタナゴとかオイカワとかが良く釣れる。時折イワナとかヤマメといった綺麗な渓流にしかいないはずの魚も釣れて驚いた。人がいなくなって、多少生態系も変わっているのだろうか。


 釣りは初めてだが、良いものだと思った。

 川の流れる音だけが聞こえる静寂。釣り糸が引いた時の、時折訪れる程よい緊張感。慎重にリールを巻いていき、水面から姿を現す魚を見た時の達成感。

 なるほど釣りがただの食物の確保の手段ではなく、趣味にもなるわけだ。思った以上に魚がいるこの川も良いのだろう。程々に魚が釣れるのは楽しい。


 その一方、五十鈴はと言うと――


「……様子を見に行くか。休憩も兼ねて」


 また一匹釣れた所で、一旦釣りを中断。河原を後にすると、釣り竿一式を拝借したさっきの店へ向かう。本当に近場なのですぐにたどり着いた。

 そして店の中に入った瞬間、「涼しい」幸福感に満たされる。

 ここはクーラーがついているのだ。今まで入った店ではついておらず、せいぜい食品や飲料の並ぶ棚のみの冷蔵が機能していたくらいだったのに。

 作られる量に限りがあるのか完全にはまかない切れていないようだが、この電気もあのジン達が供給しているものなのだろう。普段は厄介としか思っていないが、この時だけは流石に感謝せざる負えない。これが無ければ、俺は今頃この暑さにやられていたかもしれないのだから。

 店の中はそれほど広くもない。店に入るとすぐ横にあるレジの中に入り、店の奥にある小さな部屋へと向かう。

 そこにあったソファーには、ココロを寝かせてあった。

 ちなみにもう服装はぼろぼろではなく、新しい体操服を着せられている。途中で五十鈴に頼んで服を着せ変えて貰った。しかしなぜまた体操服なのだろう? ちゃんとここまでの道中で服装の誤解は晴らせたはずだ。きっと、多分。まあそんな事はどうでもよい。


 そして長机を挟んだ向かいのソファーでは、五十鈴までぐったりしていた。


「おい、大丈夫か五十鈴」

「うーん……大……丈夫……」


 口ではそう言っているが、そんなうなされているように言われてもちっともそうには見えない。


(無茶、させすぎたな……)


 俺達は今はこうして休憩ポイントを確保出来ているものの、さっきまではずっと汗だくで炎天下の中を歩き回っていた。移動しまくる記憶のカケラに何度キレそうになった事か。

 川で記憶のカケラを見つけて、すぐにこの店へ入り込む事にした。暑さで結構やられた頭でも、すぐに釣りをしようという考えには至ったからだ。そうしてふらふらになりながら入り込んだ先は、思いがけないオアシスだったというわけだ。

 店内にあった飲料や携帯食料をいただき十数分程休憩をとり、俺はすぐに「解放」へ向かうことが出来た。もう動けないと思っていたのだが。前の二日間でそこそこ体力でもついたのだろうか。


 だが、五十鈴はそういうわけにもいかなかったようだ。ここに来た時点でほぼ限界に達していたようで。

 ソファーに彼女は突っ込むように倒れ込み、今もこの有様だった。熱中症を起こしてなければいいが。

 とにかく、また水分と塩分だけは取らせた。さっきおでこに置いておいた保冷剤は溶けていたので、それもまた換えておく。汗は……もうさっきほどかいてはいない。顔と首元を少しだけふき取っておしまい。

 こんなもんかと思い、休憩を終わらせる。あの記憶のカケラがいつ飛び立つかもわからない。「解放」が楽なうちに、出来るだけ多くやっておかねば。

 部屋を後にしようとした時、五十鈴が起き上った。おでこに当てていた保冷剤の、床に落ちる乾いた音が店内に響く。


「私も……行く」

「おい、大丈夫なのか。無理は……」

「これ以上、足引っ張る訳にもいかないから」


 ふらつく足でゆっくりと立ち上がる五十鈴。思わず駆け寄って支えたくなった。

 しかし、そのまま五十鈴は歩き出す。俺の脇を抜け、部屋を出ると商品棚から適当な釣り竿を取り出す。

 その時、ふらついて棚に手を付いた。


「おい……!」


 言わんこっちゃない。やはり無理をしているのではないか。

 駆け寄ろうとした俺を、しかし五十鈴は手で制した。


「急に起き上って立ち眩んだだけだよ。お願い……私も、高山君の助けになりたいの」


 少し苦しそうな笑顔で、懇願するように、彼女はこちらを見ている。


「私は、もう大丈夫だから。……それとも、やっぱり私といるのは嫌……かな?」

「……」


 ――見透かされている。


「やっぱりあなたは今でも、私を拒み続けるのかな……?」


 それは、かつて俺を見つめていた目によく似ていた。彼女を俺から離そうと、吐いた暴言の数々に耐える彼女の目に。


 やはり、彼女は彼女のままだと思った。

 他人のために必死で頑張ろうとして、自分の不都合はあまり考えなくて。変な所で頑固で。

 五十鈴という少女は、何も変わらない。例え世界が滅ぼうが、何も。

 そんな彼女に、俺はいつも困らされていた。だが――


「そうだな。もう、その理由もないのか」


 世界は滅んだ。もう俺達の周りに人はいない。

 だから、彼女を避ける必要など最早ない。


「高山君……?」


 驚いた様子を見せる彼女に、俺は再度問う。


「本当に大丈夫なんだな? 無理してないな? ……もう何も、我慢はしないな?」

「……うん」


 最後の質問の意味も伝わったのか、躊躇いがちに、しかしはっきりと彼女は肯定する。

 これは何を言っても考え直してはくれないな、と思った俺は溜息を付きながら水分と食料を彼女に渡した。


「栄養と水分の摂取だけは絶対に怠るな。あと、少しでもキツくなってきたらすぐにここに戻る事、それが約束だ。いいな?」


 五十鈴はまた驚いたような表情を作った後、嬉しそうに頷いた。


「うん! ありがとう!」


 そう言うのはむしろ俺の方な気がするんだけどな、と思い苦笑が漏れた。




 五十鈴と共に、「解放」を再開。二人で並んで座り、魚を釣る。

 彼女は意外と筋がいい。魚を俺と同じくらい、あるいは俺以上に釣っている。負けてはいられない。


「……」

「……」


 二人並んだところで結局静寂は守られていた。釣りに集中しているのもある。

 だが、その沈黙を五十鈴が破った。


「『我慢するな』、か。それをさせていた本人は高山君なのに、あなたがそれを言うの?」

「ぐっ……唐突になんだよ」


 ふと思い出したかのように無邪気に首を傾げ、急に痛い所を付いてきて動揺する。


「だったらやめれば良かっただろ。我慢していたのはお前の意志だろうが」

「出来るわけないよそんな事。……優しいあなたに、そんな事だけは出来なかった」


 ハッ、と失笑を漏らす。


「『優しい』、だと? あれだけ暴言を吐いて、お前を徹底的に避けていた俺のどこが……」

「知ってたよ。高山君が私のためにあんなこと言ってくれてたの」


 俺は、思わず黙り込んでしまった。そんな様子を見て、彼女は困ったように笑う。


「もう、私だってそこまで馬鹿じゃない。分かったよ、あなたは必死になって私を庇おうとしてくれていた事。自分が悪者になってまで、私を助けようとしてくれた事」


 目を伏せる。その顔には、複雑な思いが秘められていた。

 歓喜、悲壮感、罪悪感。


「私、本当に嬉しかった。でも、辛かった。その優しさに、私は何も応える事が出来なかったから」

「……馬鹿が」


 本当に、馬鹿だ。

 その優しさに、思いに、何も応える事が出来なかったのは俺の方だと言うのに。

 彼女を傷つけまいと、俺はどれほど彼女を傷つけてきたのだろう。どれほど、後悔してきたのだろう。


「お前が気負う必要なんて最初から何も無かったんだよ。さっきも言った通り、そのまま俺なんて見捨ててしまえば良かったんだ」


 ――諦めてくれれば良かった。いや、諦められれば良かった。


 彼女がそう出来なかったのは、きっと俺のせいだったのだろうから。

 だから――


「そもそも、俺に構ったのが間違いだったんだ。なあ五十鈴、分かっていただろう? 俺に関われば、自分が不幸になる事くらい。なのになんでお前は、俺に話しかけてきたんだ?」


 後悔するなら、最初から出会わなければ良かった。彼女もあの「周り」の一部としていてくれれば良かった。

「彼女の為に」などと言うのはおこがましい事で。理由の一つだったのかもしれないが、それは所詮行動の正当化で。

 五十鈴を遠ざけたいと思ったのは、そんな気持ちの表れでもあったのだろう。

 だからきっとこの質問は、ただの八つ当たりなのかもしれない。


 でも、五十鈴という少女は暫く考えた後、その八つ当たりに馬鹿正直に答える。


「『あなたを知りたいと思ったから』。だって、あなたが悪い人とはどうしても思えなかったし、私がどうなるとかもどうでも良かった。ただ、『高山光司君という人』と話してみたかったの」


 そう答えられて絶句してしまった俺に、五十鈴は顔を近づける。


「私は、私が正しいと思った事を信じたい。私は弱くても、他の人の陰謀に流されて罪のない誰かを傷付ける事だけはしたくない。昔から、私はそう思っている」

「……」


 そうだろう。それは、実に彼女らしい。

 自分の事は省みず、他人ばかり救おうとする彼女には――


 だが五十鈴は余計な事を言ってしまったというように恥ずかしそうに目を伏せたが、すぐにまた話し始めた。


「そんな私は勝手にあなたに踏み込み、思った。『やっぱりこの人は悪い人なんかじゃない、とてもいい人だ』って」

「……それは間違ってる」


 自分では到底、そんな大層な人間であるとは思えない。

 だってたくさん傷付けた。たくさん裏切った。

 だからそう返す俺の顔は、少し苦みを帯びていたかもしれない。

 だが、彼女は笑った。


「うん、そんな反応でいいんだよ。自分で自分を肯定するだなんて、とても難しい事なのは分かるから。だからあなたこそ何も気を遣う必要なんてない。私はただ勝手にあなたを知りたいと近づいて、ただ勝手にあなたをいい人だと思った身の程知らずなんだから。もしも私がそんなただの愚か者と思われていたのなら、あなたが本当に嫌だったのなら突き放されても良かった。でもね――」


 一息付き、彼女は――そっくりそのまま返す。


「もう、我慢だけはしないで……高山君。あなたにだって、ちゃんと誰かに踏み込む権利があるの。誰かのために、誰かから離れるなんて事はやめてよ」


 その目には、少しだけ涙をにじませていた。


「私が不幸になったなんて決めつけないで。気遣う事で、私を知る事を放棄しないで。ちゃんと私を見てよ。私は――そんな綺麗な人間なんかじゃない」


 その言葉を聞き、愕然とする。


「……嫌じゃ、なかったのか? お前は、不幸じゃなかったのか?」

「もう……誰だよ、それ。私に、そんな事が出来るわけないじゃない」


 五十鈴は片腕を伸ばし、釣り竿を掴んでいた片方の俺の手を取り、握りしめる。


「私は自分の感情のままに、あなたといようと思ったんだよ。助けようだなんて、建前でしかなかった。ただ――私はあなたといて幸せだった、それだけだよ」


 ――ああ、本当に。何様なんだ、俺。


「……やっぱりお前は、変わっている。俺と望んで一緒にいたかっただなんて」


 そんな悪態を付きながらも、俺は自身の動揺を抑えきれずにいたかもしれない。

 ずっと彼女を、不幸に自ら身を投じる聖人のように思っていた。そんな生き方は間違っていると否定したかった。

 だがそれは違った。彼女にも、ちゃんと真っ当な人らしい所もあったのだ。

 今更ながらにそう気付かされ、俺は自身を悔いていた。

 結局、彼女を知ろうともしない事で俺が一番彼女を見くびってしまっていた。

 ならば、今度こそ素直になろう。それが、彼女に示せる精一杯の敬意になるのなら。


「でも、ありがとう。俺も、お前といられて嬉しかったんだ。我慢するなってお前は言うが、我慢するのも結構大変だったんだぞ。綺麗じゃない? 嘘言うな。――お前が綺麗じゃなかったら、一体世界の何が綺麗だと言うんだ」


 ずっと胸の内に秘めていた言葉。言ってはいけないと、ずっと思い込んでいた言葉。

 それを、俺は長い時間をかけてようやく彼女に届ける。


 そう言うと、途端に彼女はぼっと赤面し、俯いてしまった。


「……あれ、五十鈴……さん?」

「……卑怯だよ。不意打ちで、そういう事言うの。でも、以前からそんな所あった気がする。高山君って案外……」


 何やらよく聞き取れない声でぶつぶつと呟いた後、少しだけ頬を膨らませた顔で俺を睨みつける。怒っているつもりなのかもしれないが、可愛い。


「もう、最初からそう言ってよ。本当はとっても悲しかったんだよ? 高山君に冷たくされたの。私も、本当に辛かったんだよ」

「そりゃそうだ」

「……」

「……あ、いやその、悪かったよ。もうあんな事も言わない」


 もっと頬を膨らませる彼女に、今度こそ俺はたじたじになる。情けないな俺。


「……本当?」

「ああ、本当だ」


 そう言うとしばらくふくれっ面で睨んでいたが、しばらくしてからやっと微笑んでくれた。


「……良かった。いいんだよ、もっと遠慮しないでも。高山君が体操服フェチだったのには驚いたけれど、そんな高山君も私はちゃんと受け入れられるから。言ってくれたら私も着替えるからね」

「誤解が! これっぽっちも! 解けてないーーー!! というか微妙に変質してるだけだったーー!!」


 世界が滅んで。その片隅で。

 俺達は、ようやく少しだけお互いを分かり合える事が出来た。

 これは、そんなささやかな一つの和解。



 

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「終末へのココロギフト」を読んでいただきありがとうございます!よろしければこちらより、現在連載中のファンタジー 「そして勇者は、引き金を引く〜引きこもり少年と怪物少女の、異世界反逆譚〜」 も読んでいただけるととても嬉しいです!よろしくお願いします…!
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