「以前」との再会
「え、何ここ……どうなってるの?」
少女はこの白黒の世界を見渡し、驚いていた。
その華奢な体には普段見慣れていた高校の学生服ではなく、ごく普通の私服を纏っている。
五十鈴文歌。その少女は、俺のクラスメイトだった。
彼女は戸惑うようにキョロキョロしているが、動揺しているのはこちらも同じだった。
「なんで……お前が……」
五十鈴という少女はどこか変わっている。
黙っていれば清楚な感じの美少女と見えてもおかしくはないのに、その価値観は少しだけ人とはずれているというか。
具体的に言えば、自分自身の損をあまり考えてはくれないとでもいうのだろうか。
というのも、あのスーパー特進クラスで疎まれていた俺に、いつもこの子だけは構ってきたからだ。
一人でいた俺に、彼女だけは明るい声をかけてきてくれた。
「高山君。ここの問題、教えて欲しいな。私頑張って考えたんだけど、あんまり分からなくてさ」
「英会話のペア、一緒に組まない? 高山君、絶対上手いよね! 私が足を引っ張らないように頑張らなくちゃ。だから二人で頑張ろう。ね?」
最初は鬱陶しそうに退けていたが、それでも彼女はめげず何度もこちらに構ってきてくれた。
そうしているうちに、いつの間にか俺は渋々といった感じで彼女を受け入れてしまっていた。いつしか人と接することを諦めていた、この俺が。
一緒にいて、どこか安らいだ。話していて、楽しかった。
「ふふっ。良かった。高山君、やっと笑ってくれたね」
そう笑いかけてくる、その笑顔が眩しかった。
しかし、それは俺がどうこうとかいう、そういう問題ではなかったのだ。
周り――俺を嫌っていた連中からすれば、それはかなり腹立たしい事であったのだろうから。
俺は異端な存在で、自分たちとは違う生き物。
違う生き物は自分達とは関われない。だから、高山光司は疎まれるべきだ。それが、彼らの見解。
だからそれを覆そうとする人間は――俺と同じく、異端な存在として認識する。
どこにでもあるそんな幼稚なシステムで、彼女が人の輪から外されるのも時間の問題だった。
――五十鈴さんって、頭おかしいよね。前々から思ってたけどさ――
――あの高山光司に色目使ってるんだって? マジでありえない――
俺に対していつも言われているような陰口を、五十鈴に対しても言われる。
止めてくれ。彼女を、俺なんかと一緒にしないでくれ。
俺にならいくら言ってもいい。だから、彼女に対してだけは言わないでくれ。
だからこそ俺も、彼女に冷たい言葉を浴びせるようになった。
「お前となんか、もう一緒にいたくない」
――ありがとう。本当は、声をかけてくれて嬉しかった。そばにいてくれて嬉しかった――
「お前のお節介はただ鬱陶しいだけだ」
――お前の優しさに、いつも俺は救われていた――
「だからもう、俺に構わないでくれ」
――それでもう十分だから。そんなお前が悲しむのを、俺は見たくないから――
それは、彼女を俺から遠ざけるため。彼女への理不尽な悪評を、少しでも無くすため。
五十鈴が嫌いになるのは俺だけでいい。誰も嫌いにならないで欲しい。嫌われないで欲しい。
俺と同じような、人嫌いの醜い怪物にならないで欲しい。
でも、どんなに冷たい言葉を浴びせようが、彼女はじっと堪えた。どころか、俺の心配をしてくる始末だった。
「高山君、とても辛そうな顔をしている。私、そんな顔をあなたにして欲しくない」
……どうして。
俺に酷い事を言われる度に、いつも泣きそうな顔をしているくせに。
傷つくのは分かっているはずなのに。
なのにどうしてお前は、そんな事を言える?
こんな酷い男など、もう放っておけば良いじゃないか。
お前は俺なんかとは違う。優しくて、明るくて。
お前なら、みんなから好かれて、たくさんの友達に囲まれて、優しくて素敵な彼氏だってきっと作れて。
それなのに、どうしてお前は……。
五十鈴という存在は、いつも俺の心をかき乱していた。
彼女がいなければ、俺は全てを捨てられたのに。
俺は彼女が嫌いだった。
――嫌いにならなくちゃ、いけなかった。
「……」
「……」
沈黙がしばらく続いていた。
五十鈴は、不安げな顔で俺をじっと見ている。目覚めていきなりのこの状況だ。戸惑いを隠せないのも仕方がない。
一方、俺も何て声をかけていいのか分からない。この、久しぶりに再会した少女に。
嘗て、置き去りにしてきた少女に。
どのくらいそうしていただろうか。とにかく、その空気は耐えがたいものだった。
俺はそんな五十鈴を無視して歩き出し、ステージを下りてしまった。向こうに置いてきたココロを連れ戻すために。
「あ……」
後方から彼女の悲しそうな声が聞こえた。それだけで内心の動揺がもう凄い。
(いや逃げてるわけじゃない。ただ、ここからじゃ様子が見えないココロが心配なだけだからな、うむ)
心の中で誰にしているのかも分からない言い訳をしながら、無理矢理前に進む。
しかし結局、途中でちらりと後ろを見てしまう。彼女への心配が隠し切れない自分の情けなさと甘さに呆れた。
すると五十鈴は置き去りにされた事に少し悲しそうな顔をしながら、ゆっくりと手足でステージを這ってこちらに向かってきていた。まだ意識を取り戻したばかりで上手く歩けないようだ。
そんな状態で、彼女は懸命に俺の後を追おうとしている。
(ぐ……)
……結局根負けしたのは、俺の方だった。
「ほら」
ステージの下から手を出し、這い寄って来る五十鈴の手を取る。そのまま彼女が下りるのを手伝ってあげた。
「あり……がとう。高山……君?」
「ああ、正真正銘俺は高山光司だ。……今のこの現状に心当たりは?」
いきなりそう切り出す。当然ながら彼女はますます困惑した表情を見せた。
「それって、今のこの世界の状況のこと? ……うん、何がなんだか。私と高山君以外色が無いし、私達以外、人がいない……?」
彼女の手を引いて、ゆっくりと歩き出す。
「意識が無くなる直前の記憶は?」
「ええと……あれ? それも分からない。何していたんだっけ、私……」
「……そうか」
ひたすら頭に疑問符を浮かべているかのような彼女を見、俺は嘆息する。
つまり五十鈴も俺やココロと同じ。
「こうなる」前のある一定期間の記憶がごっそりと抜け落ち、なぜ世界が滅んだのかまでは分からない。
やはり、そう簡単に手懸りは得られないと改めて分かった。
「ねえ、高山君は何か知ってるの? どうして、こんな事に?」
五十鈴はやや混乱している様子でこちらを見ている。
「信じられない事かもしれないが、この世界は全てを失ったんだよ。色も、人も、……未来も」
俺は、歩きながら自分の知っている全てを彼女に話した。
生き残った人間は俺達含め僅かな事。あと五日後にはその俺たちも死ぬ事。それを阻止するには、世界を救うには、記憶のカケラを探し出して「解放」という行為を行う必要がある事。そんな状況でもこの世界は確かに時間は進み、そして元の世界では考えられない機能を果たしている事。その中の一つ、ジンの事。
改めて言ってみると、なんとも信じ難い話ばかりである。自分で言っていても胡散臭さが凄い。
当然ながら五十鈴も、そんな話をされて驚きと戸惑いを隠せないようだった。
「――まあ、全部受け売りなんだけどな。こいつの」
立ち止まると、五十鈴が息を呑んだ。
目の前のベンチで横たわっていたのは、影に縛られて眠らされている少女。
終始ニコニコしていたその顔は今無表情で、目も硬く閉じられている。正に「眠り姫」といった風体だ。
「こいつの名前はココロ。俺は、この二日間彼女と一緒に『解放』を行ってきた。中々頼りになる奴なんだが、今は『巨大ジン』ってやつに眠らされて動けない。そいつを倒すのはさっき俺を助けてくれた子に頼んで、俺は今日の『解放』を単独で行っていたというところだ。そしてお前を見つけた」
「そう……だったんだね」
なんとか状況を呑み込んでくれている様子の五十鈴を、俺はじっと見た。
「ここにいるという事は、お前も俺達と同じ『生存者』なんだな。どうしてあんなところで、ジンに見張られながら眠っていたのかは分からんが」
そういえば、俺が世界がこうなってから目が覚めた場所も道端だった。どうしてあんな所に俺はいたのだろう。やはり失ってしまっている記憶が気になる。
「とりあえず、お前はこれからどうしたい?」
五十鈴の意志を尊重するために問うと、彼女は少し考えた後、こう答えた。
「その……『解放』? だっけ。私もそれがやりたい。私も、高山君のお手伝いがしたい」
やはりそう来るか……と俺は眉をひそめた。
出来れば俺は、五十鈴にはどこかに避難していて欲しかった。例えば秘密基地……いや、今の状況だとあそこもあまり安全とは言えないかもしれない。とにかく、どこか安全な場所にでも。あるのかは分からないが。
ジンに遭遇する事によって五十鈴を危ない目に遭わせたくないというのもある。
しかし、以前あんな事があったから俺自身五十鈴といて気まずいという理由もあった。せめてココロが起きていてくれれば少しでも気が紛れるのだが。
だが、一人では「解放」がキツいと言うのも事実。それにこの「生存者」をジンから助けようと思ったのは、「解放」を手伝ってもらおうという目論見もあった。
本人もこう言ってくれているのだ、ここは五十鈴だからどうとか俺の私情を挟んでいる余地もない。
「そうか、ありがとう。そう言ってくれるのなら助かる。……ただ、手伝うというからには覚悟しておけよ」
ココロを再び担ぎ上げると、空を見上げる。五十鈴も俺の視線を追った。
視界にあるのは、記憶のカケラ。不規則な速度で回りながら青い光を放っている。
が、それもしばらくだけだった。
ちょうど記憶のカケラは羽をはばたかせ始めると、また彼方の空へ飛んでいってしまった。
「……え?」
呆然とした様子でそれを見る五十鈴。
「……歩くぞ、今日は」
また、俺の頬を一粒の汗が伝う。
新たな協力者を得たものの、状況は依然最悪なものだった。
「ところで高山君。その、ココロちゃん……だっけ? どうしてこんなボロボロの体操服にタオルがくるまされているだけの格好なの? えっともしかして……高山君はこういう服装が好きなの……?」
「おいおいそんな事はどうでもいいだろこの状況にまだ危機感を抱けないのかお前は全く。……しょうがない、話せば長くなる。道中は長いし、ゆっくり分かりやすく話してやろうじゃないか。いやむしろ聞け、絶対聞いとけ。その不穏な誤解を晴らすために一言一句聞き漏らすなよ分かったな……!?」