プロローグ
「二十歳までにミュージシャンになれなかったら死んでやる」
当時15歳だった俺は、実家の二階にある自分の部屋で、誰に向ける訳でもなく、そう宣言した。その時の記録は、当時付けていた日記にもしっかりと記されている。
言うなれば、その宣言は、生きるための言い訳のようなものだった。
自分で言うのもあれだが、15歳という年齢は多感で、やはり俺自身もそうだった。その感受性の豊かさが、おそらく悪い方向に働いてしまったのだろう。当時の俺は、とにかく死にたがっていた。
ただ辛いから死にたかった、ただ面倒だから死にたかった。明確な動機のない、たちの悪い自殺志願者だった。
覚えていないだけで、もしかしたら明確な理由や、きっかけとなる出来事があったのかもしれない。辛い出来事なので、思い出さないようにしているだけなのかもしれない。しかしまあ、おそらくは勉強や受験が辛いだとか、人間関係が面倒だとか、将来への不安だとか、そういった小さな苦痛の積み重ねなのだろう。
社会人から見れば「そんなくだらない理由で死にたがってんじゃねえ! 」「社会に出たらもっと辛いことがいくらでもあるぞ! 」「社会なんてそういうもんだ馬鹿野郎! 」などと言いたくなるようなくだらない自殺願望なのだが、精神的に未熟な当の本人はかなり本気で悩んでいたのだ。
本当に生きることが苦痛で、本当に死のうとしていた。
しかし、人はそう簡単には死なない。死ぬためには、生存本能に書き込まれた死への恐怖を乗り越えなければならないし、十代の健康な肉体から生を奪うほどの行為をしなければいけなかった。多少手首に傷をつけたり、体調を崩したりしたところで死は生を打ち負かせない。
生きなければならなかった。否応なく、やむを得なく、生きるしかなかった。
だから俺は言い訳を作った。生きるための、勉強をするための、人間関係を形成して社会に 溶け込むための、言い訳を作ったのだ。
音楽は好きだった。バンドなんかも組んだりしていた。それは一見、人間関係に不満を抱えて自殺を考えるような子供に見えないが、客観的に上手くやっているように見える人間が抱えている、内心の苦痛は他人には分からない。
しかし、どうすればミュージシャンになれるのかも分からなかったし、そもそもミュージシャンが何なのかもよく分かっていなかった。
だけれどそれは、俺が唯一見つけ出した生きるための妥協点であり、目標であり――束縛だった。
当時15歳の俺は――彼は、俺をその言葉で束縛した。
「二十歳までにミュージシャンになれなかったら死んでやる」という彼の宣言、それはこういった意味を含んでいる。
「オレはすげー死にたいけど、本当は絶対に生きていきたくないけど、だけどミュージシャンになれるなら我慢して生きるからな! 無理して生きるんだからな! だから絶対守れよ! 破るんじゃねえぞ! 」――ということである。
二十歳という期限は、彼にとって「自立」「大人」といった目安の年齢だったのだろう。特に深く考えずに決めたのだろうが、迷惑な話である。
所詮個人的な宣言であり、誰も聞いていないところで日記に書かれただけの薄っぺらい誓いなので、もちろんその宣言を破っても、忘れても、無かったことにしても、誰にも咎められることはない。
――俺以外、彼以外からは。
俺は、彼の苦痛を知っている。彼がどれだけ我慢して、どれだけ耐えて、無理をして生きてきたかを誰よりも知っている。そんな彼が唯一心の拠り所にしていたのが、この宣言なのだ。
だからそれは、俺を束縛した。
俺には、その宣言を、言い訳を、無かったことには出来なかった。