第1話 その後のグリディスート帝国
グリディスート帝国と呼ばれた地があった。
今では人間が一人も住んでおらず、魔物が溢れ、かつては世界を支配しようかという勢いがあった大帝国だった面影は全くない。
グリディスート帝国という名前の国は名実ともに失われたものとなりつつあった。唯志が、念入りにこの国の情報媒体を破壊して回ったせいである。特にありとあらゆる歴史に関わる文献を根こそぎ自身のダンジョンに引き込んでしまったのが大きかった。唯志はこの世界の事を知らなかった。知る事すら、奪われていたからだ。ならば、自分がグリディスート帝国から全てを奪っていっても良いだろうと考えたのだった。ついでにこの世界の人間側の常識について身に付けるいい機会だとも思ったが。
ただで本がたくさん手に入るのだから、唯志としては、文句はない。むしろ、してやった感と満足感が仲良く肩を組んでいるようなものだった。
その結果が、グリディスート帝国からの、ありとあらゆる歴史に関わる情報の消滅と、国民の半数が怪物となり人間でなくなってしまった事だった。文化の継承などは酷く困難だろう。かつて、グリディスート帝国という大きな帝国制の国があり、戦争を有利にするために呼んだ勇者の一人によって、国を破滅させられたという記録くらいしか残せてはいないのだ。
唯志が警告した時にすぐさま逃げ出した国民のほとんどは逃亡生活を送り、魔物に変えられることは無かったが、神聖国・ディヴァイネーティスからの追手に怯えている。
神聖国・ディヴァイネーティスは光の女神を信仰する国家だ。
光の女神がいるおかげで人は生きていけると頑なに信じており、その信仰は光の女神の力の源となっている。ただ、最近は勇者召喚を続けて行ったために、本来の力とは程遠い程に弱ってしまっていた。余りにも人間が、光の女神に縋り付き過ぎたためだと、ディヴァイネーティスでは嘆いていた。我々が、光の女神様に害を為してしまった、と。
女神様の御力を自分達が救済を求め過ぎたせいで、落とすなどあってはならないことだった。そのため、ディヴァイネーティスでは騎士の強化が行われたのだった。いかなる苦難も喜んで迎え、それを克服し、強い信仰を持って光の女神を支えるためだけの騎士だ。その騎士たちが神聖国で最も恐れられ、敬われている。二度目の勇者召喚の後に作られた騎士団だった。そして、その騎士団はもはや狂信者とも言うべき人間しか所属していないので、グリディスート帝国の民は抹殺対象なのだった。
今回の勇者召喚で女神はまた、力が下がってしまったので。
唯志が帝国に侵攻してからの短い期間に難民たちは周辺国家に雲霞のごとく押し寄せた。結果として、周辺国家は自分達の国に辿り着いたのが早い順に、難民認定をしたのだった。だから、最初に逃げ出した難民たちは基本的な人権を保証されて難民先の国で働きながら、生きることが許されていた。
だが、出遅れてしまった難民たちは地獄行きが確定したようなものだ。どこの国にも、入国することができないのだから。いくら、難民は保護対象であるとして、余りに難民ばかりを保護していれば自国の民達から反感を買ってしまう。難民を養うにも無料では済まないのだ。彼らに食糧を与えた分、国を挙げて増産しなければならない。彼らの故郷が無事であれば、彼らの居た国から金銭を回収できた。だが、今の彼等の母国は魔物の跳梁跋扈する異世界にも等しい魔窟と化してしまっていた。
そうなると、金銭を得ることは不可能だし、そもそも、かの国の魔物達が自分達の国に攻め込んでこないとも限らない。
よって、グリディスート帝国の難民たちはいつも追い払われていた。厄介ごとを引き込みたい国は居ない。唯志に強大な力は人類側のありとあらゆる国家に知れ渡っていた。間違った対応をすれば、自分達の国もグリディスート帝国と同じ、滅亡の道を辿らされかねないと理解していたのだった。だから、難民たちが押し寄せる国々は断固として門を開かなかった。開けば、恐ろしい復讐者によって破滅させられるかもしれないから。
だから、難民たちは追い払われ続けた。住み心地の良い地域にとどまることは許されなかった。人間だけでなく、グリディスート帝国御住民たちは魔物にも悩まされることとなった。
だから、彼らは人が住まない方へと逃げて行った。人々があまり住まない北へ。
追手が来なくなるまで必死になって逃げたのだ。
北へ、北へ、北へ。ひたすらに、北を目指した。全ては放浪の旅を止めたいと望んだために。
普通の人には過酷過ぎて住めない、北の地へと彼らは追いやられていくし、逃げ込んでいくのであった。なぜなら、そこにしか彼らを受け入れてくれる場所は無かったからだ。そこでも、人類側は手痛い抵抗にあうのだが。代々、北側に住んでいる民族達が居たのだ。その者達は獣人や亜人達と同じように異常なまでの身体能力を持っていた。そして、異邦人である人間達を排斥し始めたのだった。かつては自分達の先祖たちが侵略者として異民族に対して行っていたことを、グリディスート帝国の国民は自ら味わう事となってしまったのだった。
グリディスート帝国の国民たちを襲う厳しい環境や強過ぎる現地住民たち以外にも問題を抱えていたのだった。人間族であるグリディスート帝国住民たちに降りかかる過酷過ぎる現実はこれだけのものではなかった。
神聖国・ディヴァイネーティスの追手が恐ろし過ぎた。彼らの多くが狂信者ともされる光の女神の信徒なのだ。グリディスート帝国は女神に負担をかけたうえで、勇者召喚を行い無様にも失敗したのだ。多くの資源、多くの時間、多くの財産、尊い女神の加護を全て無駄にした。現在、帝国が召喚した勇者達の半分ほどが冒険者となっている。あまり、魔族や獣人達とは戦っていないのであった。この状況も、また、グリディスート帝国出身の難民たちに不利に働いていた。
加えて、召喚された勇者達も、断罪の魔獣に戦いを挑まれた上で、敗北してしまっている。おまけに、魔獣と化した元勇者と同郷であるという理由で見逃されてもいるのだ。そうなると、魔獣に負けてしまう実力しかない召喚勇者たちは本当に魔族・亜人連合との戦いの時に戦力になり得るのかという疑問も生まれている。だから、グリディスート帝国が為した事は全て裏目に出てしまっているのだ。
唯志を放り出した時点で、帝国の寿命は尽きたようなものだったと言っても言い過ぎではないかもしれない。唯志を放り出すことが無ければ、もう少しましな状況だったはずだ。少なくとも、最悪の魔獣は生まれていなかっただろう。この帝国のミスは宰相であったプレイディス・パストツールが行ったものだ。恐らく、パストツール家は人類史において最も愚かなミスをした家として語り継がれることになるだろう。
開けてはならない、禁忌の箱を開けて希望だけを閉じ込めてしまった人物のような感じだから。
パストツール家の人間は、獣人、亜人、魔族達にとってはありがたい一家かもしれないが。人類側の致命的なミスのおかげで、歴史上現れたことのない大英雄が自分達の味方をしてくれるようになったのだから。これは、獣人側にとっては本当に有り難いことだった。
獣人、亜人、魔族達にとっては唯志の存在は信じられないほどの幸運であり、救いだった。人類側の強大な軍勢をものともせずに、同朋を助け出し、帝国の最深部に潜り込んで、帝王を暗殺してのけ、国民たちすらも魔物に変えてしまった。物語に出てくる強力無比の邪神のような振る舞いだった。そして、何よりも見返りを全く求めないというのが神の遣わしてくれた救世主のように思えてしまったのだった。もちろん、唯志が望んでそのようになったのではないとも分かっていた。
彼はただただ、自分を壊した帝国に対して復讐がしたかっただけなのだから。ただの人間に過ぎなかった彼が、死に物狂いで修業をしてあれほどの力を手に入れたのだろうという事は、雲の大陸に住む者達にとっては暗黙の了解に等しいほど知れ渡った事実だった。自分達にばかり都合の良い、まるで奇跡のような存在だったのだ。
ただ、彼は獣人の村に長期滞在しており、話した者達からは意外と普通だと語られてもいる。彼は自分がされたことを決して許せなかったため、復讐に走った。そして、努力に努力を重ねてついに、怨敵を滅ぼしたのだった。
唯志が為したことは、雲の大陸の住民たちにとってはあり触れた民話や神話の一幕のようなものだった。それでも、自分達が生きている時代に神話や民話の英雄譚のようなものを見る事ができるとは思っても居なかった。
獣人、亜人、魔族と呼ばれている者達は、光の女神が無駄にかごを与えている人類に搾取されるのが嫌で、人類に対して反抗を決め込んだものの、光の女神の横やりが入って<勇者>という超・迷惑な相手がやってくるようになったのだ。その者たちは、獣人や亜人、魔族達を物語に出てくる架空の存在であるかのように扱った。人格を持った存在とは見なされずに、彼らの頭の中にある理想像にそぐわないと、暴力を振るわれるものも多かった。初代勇者は、獣人、魔族、亜人達にも温かい聖人君子のような立派な男だった。そんな彼も、光の女神に導かれるように、この世を去って行った。
いや、奪われたのかもしれなかった。獣人などの異種族にも、決して偏見を持つこと無く接してくれた初代勇者は本当に立派な人物だったのだ。自分達が生きていきやすいように、様々なことを教えてくれたのだから。多くの作物を彼は提供してくれた。見たことのない作物だったが、彼が提供してくれるものは常に獣人達を喜ばせるものばかりだった。
雲の大陸には、初代勇者がこの世を去ってからも、戦と豊穣の神として祀られ続けている。
光の女神によって、この世界の人類を守る守護者のようなものとされてしまい、神に近い人間となったので雲の大陸の住民たちが行っていることはあながち、間違っていないのだった。
グリディスート帝国は初代勇者の時代に栄華を極めた。紫そして、人類が危機に襲われるたびに光の女神に懇願して勇者を呼んでもらっていた。
そうして、光の女神に頼り続けた結果、傲慢となり、自分達人間以外の種族を見下すようになった。異世界から招いた異郷の戦士たちの血と汗と涙の結果、人類側の大陸は発展したのだった。勇者が訪れるようになるまでは、人類側はぱっとしない立ち位置だった。
だが、光の女神が招いた光の勇者達が訪れてからは一気に状況が変わった。
魔族、獣人亜人の連合軍を簡単に追いやれるようになってしまったのだった。それは光の女神がもたらした奇跡だけれども、人間側は自分達が光の女神にとって正しい存在であるから、守って頂いたのだという選民思想につながっていったのだった。
こうして、かつてのグリディスート帝国は出来上がったのだった。
今ではすっかり見る影が無くなってしまっているが。それも、また栄えた者は、いつかは滅びるという定めなのかもしれない。




