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「私は未来から来たんだ!」ペペさんはそう言った。
「ちょ、ちょっと待ってください。とりあえず座って話しませんか? 頭に入ってこないんで」そうしなければ、心臓の高鳴りが集中力を阻害してしまう。
「え? うん……。そうだね!」
むっくりと起き上がり、ワイシャツの埃をほろい、二人でベンチに座る。出会った時と同じ構図である。
「たこ焼き、まだ食べます?」
「ううん、もう大丈夫。本当に優しいんだね。お返しは必ずするからさ」
「お返しって……。たこ焼きですよ?」そう言って僕は、たこ焼きを一つ、また一つと口へと運ぶ。食べ時を逃し、若干砂埃の臭いもしたが、それでもおばちゃんのたこ焼きは、圧倒的なまでに美味しかった。
「いや、お返しはさせてもらうよ! 美味しかったから!」ペペさんもその点は同意見だった。実にストレートでわかり易い感想である。まぁ、本気でお返しをしてきたら断ればいいか。そう考え、僕はあまり彼女の言葉を念頭に置かないことにした。
「それは良かったです。で? 僕を捜していたってどういうことです? 僕はペペさんとは会った憶えは無いんですけど……」会っていたとしたら忘れる筈が無い、と思う。それだけ彼女は日本人離れしているのだ。
「当たり前だよ! お互い会ったこと無いもん!」
…………ん?
「だから、私はこの世界で言う未来人なの! 未来から来たんだ! だから昔に会ってる筈ないよ」
僕はこういった不思議発言をできるだけ信じるようにと、普段から心がけて生きている。こういった場合、僕に見えている世界の方が間違っていると、そう考えるようにしているからだ。僕に見えている世界は決して絶対ではないという思想が、僕の中を脊髄のように通過しており、僕自身の軸を固定しているためだ。
そのため、僕は彼女をひとまず信じてみるにした。
だが、どんなケースの上でも捻じ曲げないようにしているもう一本の軸が僕の中には通っている。それは因果関係だ。今回の場合は、彼女の動機。それが見えてこなかったのだ。
だから僕はこう質問した。「じゃあなんで僕を捜す必要があるんです?」
すると彼女はこう答えた。「君が世界を救えるからだよ」と。
あまりにもとりとめのない話に、僕は何を言っていいのか、何を言うべきなのか、さっぱり見当がつかなかった。
「いや……」先に声を出したのはペペさんの方だった。
「君に『しか』世界は救えないんだ。これは間違いなく君が選ばれた存在だということの証明なの。でも、それは喜ぶことでも、誇れるようなことでもないんだよ。神様の気まぐれ。偶然の産物。そういった類のものなんだ。だから多分、いや絶対、君には迷惑をかけることになると思う。でも手を貸してほしいんだ。これは人類からの願いだし、何より私からの願いなんだよ」
彼女の言うことは相変わらず要領を得ることは無かった。瘋癲な女だと、そう吐き捨てることが僕にできれば、多分こんな問答は何の意味も持つことは無かったのだろう。
それでも僕は、「……じゃあ具体的に、ペペさんは僕に何をして欲しいんですか?」と、そう彼女に問いかけるのだ。
「ゴーストを退治して欲しいんだよ」ペペさんはそう言った。
「……ゴースト?」それがそのまま日本語訳で幽霊を指すものなのか、それとも何かあだ名のようなものなのかは、僕にはさっぱり見当がつかなかった。
「いや、幽霊って言った方が、正確だし、解りやすいかな? それに退治と言うよりは、成仏……かな?」
「何にしたって話が見えてきませんよ……」僕は頭の中を整理しながら、そう口にする。
「ええ? 何が解らないの? 具体的に言って貰ってもいいかな……?」
「ええと……」五秒ほど時間を使い、整理整頓を完了させる。「なんで僕なのかってことと、万が一幽霊退治をやることになったとして、どうやって退治する気なのか。その辺りですかね」
「理由と方法だね! おっけ、ちょっと待って……」ペペさんはそう言うと、ベンチからすくっと立ち上がり、右手を天に向かって大きく掲げた。ペペさんを取り巻く大気の流れが変わる。不自然な方向から、不自然な方向へと流れていく風。決して強い風という訳ではない、それは至って穏やかである。落ち葉や砂たちが、風にさらわれ、ゆっくりと流れていく。それらの動きを見る限り、ペペさんを中心にして、つむじ風が起きているようだった。
優しく、静かに動く風。しかし、それらが次第に強くなっていくのが僕にはわかった。
「ちょっ、ペペさん⁉」強い風が来る。そう思った僕は、身構えるようにベンチから僅かに腰を浮かせ、残り二つとなったたこ焼きを仕舞い、中腰の姿勢で風に対応しようと努めた。
「おいで! ハセガワ!」―来るッ―。ペペさんが大声を張り上げたのと同時に、訪れるであろう強風に対して、僕は自分の顔を両腕でガッチリと隠した。
…………。
歯を食いしばり、瞼を固く閉じた僕の耳に入ってきた音は、大気が暴れ出す音では無く、公園にいつも来ている小鳥たちの鳴く声だった。なんとも間の抜けた、平和な音だった。
「安倍明晴だな?」太い男の声が、小鳥たちのさえずりを掻き消す。
恐る恐る両腕を開き、そこに居るであろう男を捜すため、眼球をグルグルと回す、が、男の姿はどこにも認められなかった。空耳? 一瞬そうも考えたが、それにしては随分とはっきりとした声だったように思えた。
「どこを見ている。私はここだ」男の声が再び響く。しかし、相変わらず姿は見えない。
「明晴!」ペペさんは僕の名前を呼び、左手で宙を指さす。
「ここ、ここ」「え……?」ペペさんが指さした先が宙では無く、先程掲げた右手の上だということが解れば、そこから先はあまり時間がかかることは無かった。
「鳥……ですか? それ」見慣れない種類の小さな鳥がぺぺさんの掲げた右手の上にちょこんと乗っかっていた。随分と目つきの悪い鳥だった。
「可愛いでしょ! フクロウだよ! 名前はハセガワ! 仲良くしてね!」
「只のフクロウではない。アナホリフクロウである」フクロウが口を開くタイミングと同時に、先程の男の声が耳へと届く。
「フクロウはフクロウでしょ! さ、明晴に理由と方法を教えたげて!」
「理由と方法? 何を言っているペペ。せめて記憶ぐらい寄越してから言え」
「あ、そっか。こっちでの記憶同期は手動だもんね」そう言うとペペさんは、胸に手を当て、静かに目を瞑る。
「……ふむ。オーケーだ。後は私に任せろ、ペペ」
「ペペさん……。未来のフクロウは人語を操れるのですか?」
「えっとね……」
「無理するなペペ。後は私に任せろ」
「え、そう?」
よいしょ……。ペペさんがベンチに腰を落とす。
「じゃあ説明は任せちゃうね! そんでさハセガワ! 早速だけれど、お小遣い頂戴よ!」左手をフクロウにかざすペペ。
「なんだペペ……、もうこの時代の市場に金を回す気か? できる限り金銭の流入は控えろと上から言われただろうが……。せめて使い道を言え」
「お腹空いた!」
「……」フクロウの表情が曇る。
いや、フクロウがどの感情の時にどんな表情をするのかなんて僕は詳しくないけれど。まぁ、人間基準で言って、怪訝そうな表情になった、という感じである。
「お前……、飯を買う気か?」
「家に食料忘れちゃって……」ヘヘヘ……。
「……まったく、仕方のない奴だ」そう言うと、フクロウは頭で空中をトントンと叩く様な仕草をする。
「ふむ、いけるな。五秒間待っていろ」
フクロウが何もない空中に何かを見つけると、精一杯に翼を広げて「そこ」へと飛び込んだ。するとその瞬間、フクロウの姿は跡形も無く宙へと溶けていった。
「ペペさん。ハセガワさん、消えちゃいましたけど……」
「ん? すぐ帰ってくるよ?」
「ほら、食糧だ」「うわっ!」気が付くと、フクロウはペペさんの肩に乗り、何かをペペさんに差し出していた。
こんなに近い距離だったのに、何も見えなかったし、わからなかった。一体どこから出てきたのだ……。
「わ~い! しかも私の大好きなマスカット味!」ぺぺさんの右手には、青色のパッケージをしたゼリー飲料が握られていた。
「ありがとね! ハセガワ!」
「私は持ってきただけだ。感謝なら用意してくれた母君にするんだな」
「うん! もちろんママにもするよ? でもハセガワにも感謝したいからする!」
「……ふん、まぁ、とやかくは言わないさ」
状況は既に、とても理解のできるような代物では無くなっていた。
女がフクロウを呼び出し、そのフクロウは人語を解し、瞬間移動で食料をどこかから持って来る始末……。
最早僕の知っている常識は、力を誇示できる立場にないように思えた。
「んまぁ~い……」
僕の混乱とは対照的に、ペペさんの表情は、ゼリーによる空腹の解消により、みるみる緩んでいった。
「安倍明晴」「はいっ!」突然フクロウに名前を呼ばれる。
フクロウとは言っても、その声と佇まいのせいだろうか……、何故だか少しばかりの緊張を覚えてしまう。年上のプレッシャーを感じる。
「貴殿も御一つどうだ?」フクロウはそう言って、肩? に掛けたポシェットから、ゼリー飲料を一つ両の翼で器用に取り出し、僕へと差し出した。色はペペさんの飲んでいる物とは違い、緑色だった。
「遠慮はするな。ペペが貴殿のたこ焼きを食べたことは知っている。安心してくれ、これで恩を全て返したつもりにはならないさ。気持ち程度だ。受け取ってくれ」
「貰えませんよハセガワさん。量も限られているでしょう? そんな小さいポシェットじゃ、ぎちぎちに詰めても七,八個だろうし……」
食料って言うんだから尚更だ。そんな大事なモノを取り上げたくはない。
「案ずるな少年。これは『フォー・ディメンション・ポシェット』。三次元にプラスして、もう一つの次元を組み込んである。幾つ入っているかはペペの母君次第だ。母君は心配性だからな……、少なくとも三ケタは入っているさ」ハッハッハ。
「そ、そうなんですか。じゃあおひとついただきます……」手を伸ばし、フクロウからゼリー飲料を受け取る。
フォー・ディメンション・ポシェット、か。機能、和訳共に、何か著作権的なものに触れそうな道具だな……。そんなことを思いながら、たこ焼きを食べたい気持ちを抑え、ゼリー飲料を口へと運ぶ。
ずるりと、塊になったゼリーが食道をつたう。その感触は、別段珍しいものでもなく、一般的なゼリー飲料のそれだった。だが。
「うえっ……」
喉を落ちていく感覚に追従するように現れた、味の方に問題はあった。
ゼリー飲料の魅力といえば、爽やかな味わいとすっきりとした喉越し、そして高いエネルギー量にある。
しかし僕が今口にしているそれは、なんというか、その三点の中の、エネルギー量に極限まで加重を掛けたであろう仕上がりだった。端的に言えば、極甘だったのである。
味覚系が砂糖の味しか感知しない……。
「ハセガワさん……。これ、何味ですか?」
「グレープフルーツ味だが?」
「まじっすか……」
人間の食文化は、あまり健康的な方向には進んでいかないようだ。
「ふむ、じゃあぼちぼち話していこうか。理由と方法について」




