62
「起きてぇ~明晴~」体が揺れる。彼女の声がする。
「はい、起きます起きます」僕は適当に言葉を発し、彼女を宥める。
「早く起きてくれないと私、呪いで死んじゃうよぉ~」
「いや……、解決策貰ったでしょう……」あまりの揺れに睡眠の継続が叶わないものと踏み、僕はその上半身を起き上がり小法師のように勢いよく起こす。目はまだ開かない。しかし睡眠時間は充分。今日も昨日と同じく帰宅してすぐ床に就いたためである。
「……呪いの影響は無いんですか?」僕は腕を大きく上へと伸ばし、寝起きの体に熱を通す。
「うん、無いみたい。まだ一時だし」
「……なんで一時間前に起きてるんです?」欠伸を一つ。
「正確には一時と三十分だから、三十分前だよ」
「それでも早いでしょ。移動に時間が掛かるわけでもなし……」目の周辺を指で圧迫し、本格的な覚醒に向けてのアプローチを掛けていく。
「そのことなんだけど、歩いて行きたいなぁ、なんて……」
「変なことはするなって言ってたでしょう」
「こんな時間に外歩いてる人なんてそんなにいないって! 少しぐらいなら奇跡の前では問題ないよ!」
「ちょっとっ、静かにっ」焦りのおかげで覚醒する。あまり良い目覚め方ではない。「隣に妹が居るんですから」
「妹? 明晴の家族だね! いいなぁ~……」彼女は宙を眺める。「ねえねえ! 奇跡を使って見せてよ!」
「駄目ですって……。それに本来の目的と関係ないでしょう」
「むぅ~……」彼女は両の頬を膨らませる。
「……歩いて行きますから」
「ほんとぉ⁉」彼女はその目をまん丸くさせる。その表情はとても幼く、可愛らしかった。
「とりあえず家の前に繋がるワームホールを開いてください。万が一にでも見つかりたくないですし」彼女の瞳から視線を逸らし、僕は答える。
「うん!」
ワームホールを介し家の外に出る。日中の雨を思い出し天気が心配にはなったが、穴を抜けた先で肌が雨粒を感知することは無く、その心配は杞憂に終わった。雨上がりの空気は澄んでおり、空には雲一つ無かった。
「うわぁ~! 月だぁ~!」月明かりが煌々と照らす青空を彼女は見上げる。「あれが三つめの地球になるんだよ! この時代にはあんな色してるんだねぇ~……」
月明かりに照らされた彼女の横顔はまるで作り物のように美しく、銀髪は夜の闇にとても映えた。僕は暫時彼女に見蕩れてしまっていた。
「嬉しいですか?」僕は思い出したかのように話し始める。
「うん! 嬉しいよ!」彼女はこちらを見て笑う。
変な人だ。そうも思ったが、知らない景色を見て嬉しく感じるのはこの年頃では当然のことだとも思った。
「エウロパは見えるかなあ……」彼女は薄暗い空に向けてその目を凝らす。
「確か双眼鏡でも見える距離ですよ」
「本当⁉」驚いた表情をこちらに向けたかと思えば、その一瞬の間で彼女は右手に双眼鏡を生成した。
「ビーヅは流石にまずいでしょう……」僕は呆れた声で彼女を非難したが、既に彼女はそれで自分の故郷を探すのに夢中になっていた。
故郷を見つけることが出来るだろうか。そう思いながら彼女の真剣な横顔を暫くの間眺めていたが、間も無くして彼女の瞳から落ちる雫を月明かりが映し出したため、僕は目を逸らすことにした。
突入の時間になるまで公園の方向を避けながら、僕らは夜の商店街をぶらぶらと歩いていた。
その間ペペさんからは未来のことを色々と聞き、僕はその辺にあるこの時代の物品を色々と説明したりした。未来の話は興味深く、面白い話がたくさんあった。……ような気がする。忘れてしまった。僕は彼女の話の殆どを記憶できなかったのだ。彼女が孤児であり、彼女の言うママが彼女だけのママではないという話以外、今の僕には関係の無いことだと脳が判断した為だろう。
「時間だよ」彼女は決戦の合図をする。
「はい……」僕は芯の無い声で応えた。ペペさんと織媛のことが頭の中でカオスを形成していた。今優先して考慮すべきは確実に織媛だ。それを理解するのには暫く時間が掛かった。
「うっ……」
橋に向かう途中で彼女から漏れた奇声を僕は聞き逃さなかった。「来ましたか……?」
「うん……、打たれてる……。しかもなんか強い……」
その会話を期に、僕はそれから橋までの道のりをずっと彼女の体を支えながら歩いた。彼女の息は次第に荒くなり、いつの間にかその瞳はずっと地を見つめるだけになってしまった。
「お~い! 大丈夫か~!」
橋のたもとに辿り着くと、聞き覚えのある声が耳に届いた。
月明かりの下、瞳は二つの人影を映す。一つはペペさんくらいの立派な背丈、もう一つは小学生くらいの頼りない背丈をしているようだった。
「ソウルのビート……。トンネルにいた野郎か……。もう片方は……、ジャズ?」ペペさんは途切れ途切れに言葉を繋ぐ。
トンネルにいた野郎。あの時ペペさんと口喧嘩した人で間違いは無いだろう。バトルの前に面倒事は避けたいのだが……。
「早くしな~! リヴァイアサンがお待ちだよ~!」先程と同じ声だった。しかし先程とは違い今度は接近により口元の動きが視認できるようになっていた。どうやらソウルビートは高い背丈の方で間違いないようだ。
「手伝ってくださいよ! そっちの筋の方なんでしょう⁉ ペペさんがもう限界なんです!」僕は必死に声を上げた。
「それはルール違反だから! でも段差は辛いだろうから、直通のワームホールくらいは作ってやるよ~!」
そう言うと、大きい方の人影は右手をこちらに向けた。その右手からは見慣れた黒の空間が広がり、月明かりを次第に隠していった。
全てを隠す黒は僕らの前方二メートル弱までその色を伸ばした後、その成長を止めた。
「リアルで重奏は使えないからこれで限界だよ! 頑張って~!」視界の外から彼の声が響く。
「……ありがとうございます!」万が一にでも彼らに聞こえない事のないよう全力で声を張り上げ、僕は彼女と黒の中にその身を沈めていった。




