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「綱介くんを使うといい」床に倒れた僕を見下し、先生は言う。「一度使ったんだろう? 理由も必要なら説明するが」
「話が早すぎます……。先ずは世界が崩壊しない理由を……。それから先生が知っている限りの崩壊の条件を……」
「明晴大丈夫……?」ペペさんは僕の異常を察したのか、倒れたパイプ椅子を戻したのち、僕の向かいで両の膝を折り曲げ、視線の高さを合わせてこちらに優しく両手を伸ばす。
「ありがとうございます……」僕は彼女の腕に体重を乗せる。誰のせいでこうなっていると思っているのだ……。
「崩れてないんだからいいじゃないか。危険行為の兆しがあれば僕や同業者がしっかりと食い止めるよ」
「またそうやって隠すのか。ほんと意地汚い……」僕の看病を診ながら彼女は嫌味を一つ吐く。ここ数日は彼女のダークサイドをよく垣間見ているような気がする。呪いの影響が少なからず彼女の表層をも浸食しているのだろうか。
「よっこいしょ……」僕の両脇に手を掛けると、彼女はその声を合図に赤子を持ち上げるようにゆっくりと力を加えていく。脇に食い込む彼女の手は肉を巻き込み痛みを発生させる。しかしそのストレスは彼女のせいではなくて僕の体重のせいなのである。彼女の手付きは至って優しい。いつもきっと優しかったのだ。
「知りたいのなら教えてやっても構わんさ。でもそちらが動きづらくなるだけだと思うよ? リスクを知らない若いビートの方がダイナミックな動きが出来るからね」
「アンタらの保護を明晴は求めてないんだよ」彼女は言いながらパイプ椅子の上に僕を戻す。しかしその返しは正しくない。
「ありがとうございますペペさん」
「どういたしまして」彼女は険しい表情の合間に柔らかい笑顔を混ぜる。
「明晴くんの気持ちも彼女と同じな訳かい?」
「危険な行為は理解しておいた方がいいですから」僕は一旦目を固く瞑り集中力を高めながら答える。
「だから僕らが食い止めるって……」
「手放しに信頼しろと?」
「いいぞ明晴! 言っちゃえ!」ペペさんは全身を動かして元気に応援すると、僕の隣のパイプ椅子に腰を下ろした。彼女はこれから交わされる僕らの問答にわくわくしているようだった。
楽しませるようなものは期待できないと思うが……。
「信用できないかい?」
「出来るわけないでしょう。大体声聞師なんて聞いたことないですよ」これは嘘だ。あれだけの知識を披露されて信用しない方が実際おかしい。しかし彼らの手が届かない事態に陥った時の為にやはり崩壊の条件は抑えておく必要は絶対にあるはずなのだ。ゴーストを無しにしても万が一のことに限って起こるものだ。
先生は唸っていた。
「ちょっとぉ~。なんで答えられないの? そんなに隠すほどのこと? 崩壊させる条件はその恐れのある存在全体が知って置いてて然るべきだと思うけどな~」ペペさんは純粋だった。しかし残念ながらこの時代の人間は格下の人間とわざわざ対等な立場に立つことを好まない。先生は先程カードという言葉を使った。彼は知識の価値をよく理解しているのだろう。
「生徒の前で嘘を付くのは良くないですよ」
「……何か嘘を付いたかな?」
「先生が崩壊についての情報を開示しない理由は僕らのビートをダイナミックに動かす為じゃない。寧ろ正反対。縛るためでしょう?」
「危険に対しての無知はビートに優しい。それは確かだけれど?」
「明晴。これに関してはこの人の言う通りだよ。知識量とビートの力は反比例するんだ」
「その法則を否定する気はないですよ。詳しく知らないですもん。でも崩壊の危険自体を僕はもう知っている。先生が隠しているのは危険そのものじゃなくて危険への対応です」
「おやおや、鋭いね」
「あ、確かに。対応への無知は反対にビートを縛るかもしれない。ビートの天敵である恐怖が常に付き纏うことになるから……」
「それもまたカードとして使う気ですか?」信用を買うのだ。客観的に等価となるくらいにはカードを切るべきでは?
「ずる賢い子供だ。解った。教えよう」
「おぉ! よく解んなかったけど明晴の勝ちだね! ざまあみろ!」
「元気だなぁ……。これで明晴くんの双子の炎なんだから現代と未来の教育がどれだけ違うか一目瞭然だ」
「ふ、双子の炎まで知ってんのか! この変態!」ペペさんの顔が紅潮する。未来では知られると恥ずかしいことなのだろうか。
「崩壊の条件は別の時代同士の受動的生命体の接触で間違いないよ」先生はペペさんを一瞥することなく話を進める。
「無視かよ! きぃー!」彼女は表層を乱す。崩壊の後に織媛の話もある。脱線は面倒だ。ここは僕も無視しておこう。
「でもペペさんと先生の接触が崩壊を引き起こしていませんよ」
「能動的生命体の目の前で接触が行われていればセーフなんだ。君の認識が接触そのものを奇跡にすることが出来るからね」
「そんな抜け道が……」ペペさんは怒りを忘れ、先生の言葉に仰天する。
「じゃあペペさん達を僕の傍に置いてさえいれば大丈夫なんですか?」
「大体はね。ただ変なことはしない方が良い。今まで通りやるんだ」
変なこと。知識に胡坐をかいて過剰なことをするな、ということだろう。
「わかりました。そこは長くなりそうなんで突っ込みません。じゃあ、二枚目のカードを」
「織媛ちゃん攻略だね。理由は必要なんだろう?」
「憑依の件も気になるので、適当にお願いします」
「憑依ね。彼女は名前が悪くてね。それがゴーストとのシンクロを最大まで高めてるんだ。ビートの利用が普通になった時代の人間にもゴーストとの差異が判らないくらいに」
「また馬鹿にしてるな~?」彼女は僕の隣で目を細める。
「普通の憑依なら判りやすいんですか?」
「一般人でも一目で判るよ」
「全部名前のせいなんですか?」
「全部名前のせいだ。そしてあれだけシンクロが深ければビートでは綺麗に切り取れない」
「恋心を切り取るのに断面がずたずたになっちゃうよね?」
「あぁ、普通ならね」先生が彼女の言葉に応じる。「しかしこちらにも名前の強い人間が幾らか居る。その一人が綱介くんな訳だ。しかも彼の名前は織媛ちゃんの名前とこれ以上ないくらいに相性が良い。彼女の始末をつけるには彼以外在り得ない」
「スパッといけるの?」
「それはもう綺麗に。恋心と一体化したゴーストをスパッと」
彼らはジェスチャーを交えながら会話する。
「恋心はどうなるんです?」
「ゴーストと一体化している心だ。残すことは出来ない」
「アイツの恋は?」
「頭から消えるよ。ただそれ以外の方法は恋の成就しかないんだからね」
「恋の成就? そんな方法が……。なら駄目元でもアイツに告白させないと」
「それは今晩君が直接彼女に提案するといい」そう言うと先生は席を立ち、部屋の隅に設置されたプラスチック製のレターケースを探り出す。
「話はこれで終わりですか?」
「終わりだよ。綱介くんさえ呼べば彼は勝手に動き出す。名前がしっかり彼を引き摺ってくれるだろう」先生はレターケースを二、三回引いた後、その中から何かを取り出した。「あったあった」
先生は椅子に座り直し、机の上に何枚かの紙を置く。見るとそれは四百字詰めの原稿用紙だった。
「……なんですかこれ?」
「バックレの反省文。二千文字以内ね。じゃあ君の班の子達が待ってるだろうから僕はこれで。書き終わったらそのまま帰っていいよ。あ、足りなかったら裏とかに書いてね」
先生はそう言うとさっさと指導室から出て行ってしまった。
「明晴、この紙でなにするの?」
「儀式ですよ」
こればかりは避けられないか……。織媛とは夜にコンタクトするしかないようだ。




