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ファンキー・ビート!  作者: 十山 
第一章 舞い降りる災厄
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6

「また来てね明晴ちゃ~ん!」

「はぁ~い!」

 商売人を馬鹿にするには、僕はまだ若過ぎたようだ。

 たこ焼きを買った。ええ、買いましたとも。急に一個八十円だったたこ焼きが、四十円を切る価格で頂けることになったのだ。買わない方が阿呆だろう。自分との戦い? なんだその暑苦しいワードは。勘弁してくれ、世の中はしたたかに生きてこそだ。決意より価格にメリットを感じたまでである。生きている限り、常に最大の利益を勝ち取り続けたいからな。

 しかしいい匂いだ……。先程は心の中で悪態を付いてしまったけれど、僕はおばちゃんの作ったたこ焼きが大好きなのだ。誉めるところと言えば、まぁ、たこ焼きだし、質量的に数えるほどしかないのだけれど、なんといっても衣である。好みにもよるかもしれないが、衣がいい具合にカリカリなのだ。当時、冷凍食品のそれしか食したことが無かった僕にとって、たこ焼きの衣に歯ごたえを感じるということは、衝撃以外の何物でもなかったのだ。それ以降は、もう虜である。たこ焼きと言えば、僕の中ではもうおばちゃんのたこ焼きしかないのだ。

 今すぐにでも食べてしまいたい……。クソッ、よだれが止まらないぜ……。一つぐらい歩きながら食べてしまおうか……。いや、それはありえない……。体の筋肉を躍動させながらこのたこ焼きを食すことだけは絶対にやってはいけないことだ……。公園だ。近くの公園に着くまでの辛抱だ。

 脳に発生するあらゆる煩悩を掻き消し、いつもたこ焼きを食べる時に使用させて貰っている公園へと、早歩きで僕は向かう。

 食欲を一旦忘れろ。そうだ、携帯で面白い伝説でも見て思考を巡らせてやろう。古代核戦争のことでもマリーセレスト号のことでも、もうこの際なんだっていい。難しくってそれでいて面白いこと、難しくってそれでいて面白いこと……。



 古代核戦争はやはりあったのだ。モヘンジョダロの不自然な放射能数値を叩き出す死体。あれが存在する以上否定はできない。古代の人々が現代を生きる人間達より優れていることは、その他の遺跡やオーパーツにより火を見るより明らかだし、むしろそう考えることが自然だから、この仮説が出て来た、そうするのが妥当だろう……。

 

 …………。

「あれ?」

 ふと行く先に目をやると、眼前の光景に僕は絶句した。なんと、突然目の前に公園が現れたのだ。

 気付けばこんなに長い距離を歩いていたのか……。流石は世界の謎。時間が経つのがあっというまではないか。

 じわ……。

 公園を視界に捉えた瞬間、口の中で再びよだれが暴れ出し、それに呼応するかのように、頭の中がたこ焼きのことでいっぱいになる。

 頭より先に体がたこ焼きを思い出したか……。所詮は動物だな。と、クールキャラを装ったところで、既に古代核戦争の事は頭から吹き飛んでいる。

 ベンチ……。ベンチ……。

 ただひたすらに、ベンチに座り、たこ焼きを口に放り込む自分の姿を想像しながら足を動かす。

 今僕を動かしているのは食欲のみ。その姿は、クールどころか、さながらグールといった感じである。

 あと十メートル、九メートル、八メートル。

 辺りの雑木林には目もくれず、前へ前へと両足を交互に踏み出していく。

 四メートル、三メートル、二メートル。

 両の眼が、公園のベンチに焦点を合わせる。いつも通りの、暖かみのある木製のベンチだ。手入れがしっかりとされているのか、カラスのフンや、土が乗っている様子もない。

 新品さながらのピッカピカのベンチである。

 早く食べたい……、座りたい……。今にも走り出したくなるような距離を、一歩一歩、綺麗に(なら)された地面を踏みしめていく……。


「ぷはぁ~!」

 ベンチに座った途端に、体の中から大量の息が外気へと漏れ出す。

「なんだか公園までの距離より、ベンチまでの距離の方が長いように感じたな……」

 周囲に人の気配が無いことを確認し、独り言を軽く漏らす。

 人の気配は無し。当然だ。こんな平日の昼間に、公園に誰か居てたまるものか。飯時……は少しばかり過ぎているが、食った後にすぐさま活動を始める老人や子供もいないだろう。

「さ~て……」

 手に下げていたビニール袋に手を掛ける。

 たこ焼き、解放っ!


「うわぁ~……」

 目の前には、眩く光る宝石が八つ。頭に乗っけた鰹節をなびかせ、その優雅な姿を僕の瞳に焼き付けまいとしていた。

「はぁ~……」

 選ばれしたこ焼きのみが装着することを許される爪楊枝を持ち、目の高さまで持ち上げて眺めた後、口をゆっくりと開く。

「いただきます……」待ちに待った瞬間である。

「あ~……」口を大きく開き、目を瞑り、自分自身を焦らしながら、ゆっくりとたこ焼きを口の中へと寄せていく。

 カモン……、至福の(とき)……。


「んっ?」

 ……おや?

 訪れる違和感、喪失感。口を閉じた瞬間、たこ焼きを入れる為に大きく空けておいた口内は、宝石の代わりに空気でいっぱいになった。

「アチッ! アチッ!」

 僕のすぐ隣から聞き慣れない女の声が、僕が発する予定だった幸せに満ちた悲鳴をあげていた。

「ハフッ! ハフッ!」

 目を閉じてはいるが、状況は完全に理解した。ハイエナが現れたのだ。

 誰だ? 近所のクソガキか?

「何これ⁉ 超うっま~! ハフッ! この時代の飯は食文化の中でも頂点に君臨するとは聞いていたけど、ハフッ! まさかここまでとは! なんで人間はゼリーばっか食べるようになっちまったのか、ハフッ! さっぱりわからねえなぁこりゃあ!」

 目をぱっかりと開き、声のする方向に視界を首ごと回すと、そこに居たのは半裸の女性だった。

 露出度の高い変な服を着た女性が、誰も居なかった筈の僕の隣に腰を据えていたのだ。

 ハフッ! ハフッ!

 銀色の長髪を揺らし、空色の瞳をぱちくりさせ、テストお疲れ様記念のたこ焼きを必死に喉の奥へと沈める女。

 身長は、座高の時点で僕より幾分か高かった。胸は身長に比べれば貧相なものだったが、服装のせいでインパクトとしては十分なものを僕の脳内に焼き付けた。

 行動や口調はともかく、外見だけは随分と大人びている。

 高校生……、いや、大学生だろうか……。

 ハフッ! ハフッ! ゴクンっ……。

「はぁ~、旨いなぁ~……。ねぇ少年! これなんて食べ物⁉」

 空色の瞳が、鬱陶しく感じるほどにキラキラと光る。

「……海外の人っすか? たこ焼きですよ、たこ焼き。てか、それより先になんか言うことないんすか?」

 これはキレて良い。ていうか既にキレている。海外にも、他人のものを勝手に食べてはいけないという常識は、モラルとして存在しているだろうに……。

「ん? あぁ! 悪い少年! 食料を置いて来ちまったもんでぇ、つい……」そう言って女は、まん丸い頭をポリポリと掻く。

 ぐぅ~……。腹の虫の鳴き声。僕のではない、となると……。

「へへへっ……、悪いんだけど少年、もいっこくんない……?」

 …………。はぁ……。

「……良いっすよ。どうぞ」そう言って僕は、残り七個となったたこ焼きを女へと差し出した。

「ありがとう少年っ!」

 爪楊枝を口から引き抜き、新しいたこ焼きに容赦なくそれを突き刺す女。

 ごめんなおばちゃん。遂にテストお疲れ様記念は、僕の口に入ることは無かったよ……。

「あ~むっ!」

 女は再びたこ焼きを口の中に放り込み、幸せに満ちた表情を浮かべるのだった。

「あなたどっから来たんすか? 百歩譲っても日本人には見えないですけど……」

「ハフッ! ハフッ!」

 大丈夫か、この人……。

「うんま~! え? なんか言った?」

「あ・な・た・は・ど・こ・か・ら・来・た・ん・で・す・か!」

 抜けてる人なのか? イライラするなぁ……。

「どこからって……、私は『み』……」

「み?」

 …………? 何故口ごもる?

「あの……。『み』の次は?」

 女の眼がギョロっと大きく開き、空を捉える。明らかに僕を見ていない。

「み、み……。ミラノ! そう! ミラノから来たんだよ!」

 へへへっ……。女の眼が元に戻る。

「ミラノ……、イタリアですか。随分お洒落なところからお越しで。ミラノといえば……、ミラノ大聖堂、ドゥオーモですか…。綺麗ですよね。一度は生で見てみたいですよ」

「う、うんっ! ドゥオーモね! うん! 綺麗! 綺麗だよねぇ~……」へへへっ……。

『ドゥオーモ』のイントネーションがまんま日本語じゃないか……。怪しい……。

「なんでこんな昼間に公園なんかにいるんですか?」

 ぐぅ~……。…………。へへへっ……。女が再び笑う

「もう一個……」今度はジェスチャーも交え、上目遣いで僕へと懇願する。

「どうぞ……」

「わぁ~い!」

 三個目のたこ焼きにも慈悲無く降り注ぐ爪楊枝。この女と別れる時には、一体いくつのたこ焼きが、この紙皿の上で僕の為に存在してくれているのだろうか……。考えただけで切なくなる。

「ハフッ、まぁ、なんでかって聞かれても、偶然だとしか私には言えないんだけどね。ハフッ」

「なんすかそれ。哲学か何かですか?」

 他人のたこ焼きを食い散らかした上に嘘と言葉遊び……。おちょくってんのか?

「原因の方じゃなく……」ゴクンっ。「理由の方で良ければ、話せるけど」

 …………。いや、この際なんだっていいのだけれど……。

「……じゃあ、そっちの方を聞かせてくださいよ」

「いいよ!」女は弾けるような笑顔を僕に向ける。「あのね、人を捜してるんだよ。とっても大切な人なんだ……。絶対に会わないといけないの……。絶対に見つけ出さないといけないんだ。みんなの為にも……」

「はぁ……」絶対に。みんなの為にも。よっぽど影響力のある人なのだろう……。団体のリーダーか何かだろうか……。

「で? 見つかりそうなんすか? その人」

「何とも言えないよ……。でも、私が今ここにいるってことは、その人も必ずこの近くにいるってことなんだ。まぁ、頑張って捜せばすぐにでも見つかるよ!」

 そう言った時の女の笑顔は、先程までの笑顔とは違い、どこかぎこちないものだった。

「強がりばかり言ってても始まらないですよ? 使える人はすぐにでも使うべきです」

 いくら知らない人とはいえ、時間を無駄に使おうとしている人を見捨てることは出来ない。

「その人、この辺りに住んでいるんでしょう? それなら近隣住民に聞くのが一番手っ取り早いですよ。なんてお名前の方ですか? フルネームが駄目なら名字だけでもいいですし」

「何? 少年、手伝ってくれるの?」

「当たり前じゃないですか」困っている人を見捨てられるほど、僕はまだ大人ではない。

 …………。ん?

 突如現れた沈黙。女は顔を伏せ、表情を読み取ることができない。何かマズいことでも言ったかな……。

「あの……、どうしまし―」「少年!」「えっ」

 言葉が途中で遮られる。代わりに体が柔らかいものに締め付けられ、目線とは逆の方向へと倒れていく。

 ドンッ! 衝撃の中、たこ焼きを天へと掲げ、死守する。

 視界の変化、体にかかる重量、そして優しい温もり。全ての要素を統合し状況を理解する。そう、僕は女に抱き付かれ、ベンチに押し倒されていたのだ。

「嬉しいなぁ……。ありがとぉ少年……。感動したよぉ……」

 相当嬉しかったのだろうか。女の瞳が潤み、美しく、そして艶やかに光り出す。アダルトテイストな雰囲気を醸し出す女の表情。その時僕は、素直にこの女のことを綺麗だと思った。

「な、何してるんですか! そういうのいいですから! 早くその人の名前を教えてくださいよっ!」

 なんだその表情は……。くそっ、直視できん……。

「ふぇ? なんで目ぇ逸らすの少年……?」

「そ、逸らしてないっすよ! いいから離れて!」

「離れないよ! こんなに暖かい人は母さん以来だもん! 嬉しい……。ぽかぽかだよ……」

 女の腕による圧力が上昇する。

 なんだ⁉ なんだこのウルトラハッピーな状況は⁉

「少年少年少年少年!」

「やめろ! ほっぺをすりすりするんじゃない!」馬鹿野郎! こっちは男の子なんだぞ!

「私はペペっていうんだ!」

 はぁ? 何でこのタイミングで自己紹介? ペペ? 変な名前の人だな……。どこの国の名前だ? いや、その線は消えたんだっけか……。

「てか、あなたの名前じゃなくって、捜している人の名前を教えてくださいよ!」

「冷たいこと言わないでよ少年! 私は少年が気に入ったの! だから私の名前も憶えて!」

 圧力が更に増していく。最早幸せの姿はそこには無く、苦しみだけが、心身へじわじわと染み渡っていった。

「解りました……。憶えます、憶えますから……。離してください……」

「おっと、ごめんごめん」異変に気が付いたのか、女、ペペさんは、ごねることなく僕を解放する。解放……、というかまぁ、締め付ける強さを緩くしただけで、依然押し倒された格好のままなのだが……。

「はぁ……はぁ……」体内の酸素濃度を、体が自動で修正を始める。全身で行うポンプ運動。これをしている時、心の底から生きていて良かったと思える。

「ごめんね少年……。大丈夫?」

「ごほっ……。大丈夫です……」酸素循環が上手く行っていないのか、体が悲鳴を上げている。

「ねえねえ、少年は何て言うの?」

「え……、な、なんすか……? げほっ……」

「名前! 少年の名前だよ! 私も教えたんだから教えてよ!」

 ペペさんが抱き付く形から若干離れることによって、顔を正面から向き合わせるという構図になる。顔が近い。少し動いただけで、鼻と鼻がくっつきそうな距離だ。

「い、いや、だから捜している人の名前を―」「いいから!」えぇ……。一体何なのだ……。人捜しは急ぎの用事でもないのだろうか……。まぁ、名前なんか減るものでもあるまい。

「み、明晴……ですけど……」

「……えっ」とだけ口に出し、ペペさんが目を丸くする。僕はその反応に、ただただ不信感だけを憶えた。

「な、なんです?」「上の名前も」「え?」「上の名前も聞いていいかな?」間髪入れずに不自然な会話が続いていく。ペペさんの口調は、怒っているのかと勘違いしそうになるほど、平淡で、温度を感じないものだった。

 彼女の急激な変化に若干の恐怖を感じつつ、僕は答える。たった一つの僕の名前を。

「安倍です。安倍明晴……」

 …………。

 濃厚な沈黙が世界に舞い降りる。お互いに何も言わなかった。取り立てて語る程長い時間では無かったと思う。しかしそれは実に奇妙で、永遠を感じる時間だった。

 涼しい夏の風が、僕らの隙間を縫って通り抜ける。耳に届く音は、誰が植えたかもわからない雑木林の揺れる音だけ。絹のようなペペさんの頬に一筋の汗が伝う。心臓が高鳴る。汗の匂いと香水らしきものの香りが混じり合い、ペペさんから僕へと流れ込む。その甘い香りは、僕の思考を遥か彼方へ置き去りにするほどの威力があった。彼女が何に驚いているのか、彼女が誰を捜しているのか、そんなこと達が、頭の隅っこへとトコトコと移動を始める。

 彼女の眼と、彼女の隙間から覗く青空が僕の世界のすべてになった。その時僕は、そう感じた。

「見つけた」彼女の声が僕の意識を引き戻す。

「何をですか?」意識が同調しないまま、僕は声だけを現実へと送り込む。

「君を捜していたんだ。安倍明晴くん」

「…………」言葉は出なかった。どこから手を付ければいいのか、僕にはさっぱりわからなかったから。

「会いたかったよ」そう言って彼女は、再び僕の体に優しく纏わり付いた。


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