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織媛は結局姿を現さなかった。
織媛の居ない帰り道。それはひどく新鮮なもののように感じた。
今日は絵に描いたような青空。
いつものような会話の面倒も無く、この状況ならばじっくりと空を味わえるはずだった。しかし、織媛が連絡も無く消えたせいで、僕の頭の中は彼女の事で一杯だった。
折角の青空なのに……。何をしているんだアイツは……。
――明晴。ビートが揺れてるみたいだけど……―― 本日もまた彼らのバッヂを鞄に装着していたため、僕の中からペペさんの声がする。しかし僕は返事をしない。どういう条件を満たせばビートが揺れるか判らなかったし、僕と同じ帰宅部の連中が近くにちらほら居た為である。
――何か嫌なことでもあったのか明晴―― ハセガワさんは言う。
――別にないですよ―― 僕は自分が声を出して話しているところを頭の中で想像する。言葉そのものを活字として想像するより、口から発する音を想像した方が、彼らに安定して意識が伝わることを無意識的に理解していたためである。
まったく意識で会話するのにも小馴れたものだ。
――ビートの揺れは心の異常を示すのだ。この種類の揺れ方は『怒り』だと思うのだが、違うか?――
――違いますね。僕は怒ってなんかいません――
――絶対怒ってるよぉ~……――
怒っているのは自分でも十分に理解している。しかし、それを認めた時に怒りの理由を尋ねられるのは必然である。今思い当たる怒りの理由を口にすることを、僕の心は良しとしない。
――ねぇ~、ど~したのさぁ~……―― ペペさんの質問に僕は答えない。変に返答を続けていると、心に彼らが付け入れるだけの綻びを作ってしまいかねない。
心の黙秘に懸命になっていると、学校周辺の田舎道は終わり、商店街の賑やかな道が始まる。そのまま真っ直ぐに歩を進め続ければ我が家に到着するのだが、僕は急遽爪先の方向を九十度変え、織媛の好むお洒落なエリアを目指し歩きはじめる。
――明晴! もしかしてたこ焼きなのかな⁉―― ペペさんは期待をその意識に惜しげも無く混じらせ、僕の歩みを鈍らせる。
たこ焼き。勿論考えてはいた(だからこそ彼女に伝わってしまったのかもしれなかったのかもしれない)。
商店街に入った時点で僕の選択肢は二つあった。織媛の影を探しにお洒落なエリアに向かうか、おばちゃんのたこ焼きを喰うために閑静なエリアに向かうかである。
実際、僕の靴がお洒落なエリアの方向に向いた段階では、僕はそれらの選択肢からどちらかを選択してはいなかった。
ただ答えが決まらなかったから適当に歩んだだけなのだ。たまたま方向がそちらだっただけである。
――じゃあ、そうしますか―― 踵を返し、僕は目的地を百八十度変更する。
――やったああああ‼ たこ焼きだぁぁぁ‼―― 彼女の意識は落雷のように僕の脳内に鳴り響く。
――たこ焼き? なんだそれは――
――そういえばハセガワは食べてないんだったね! 美味しいんだよぉ~? カリッときたかと思ったらトロッときてハフハフなんだよ~!――
――そうか、この時代の食べ物の話だったか――
――あ、お金はどうしよう……―― 彼女は弱気な声を出す。
――貨幣が必要か……。明晴、たこ焼きは幾らで購入できるのだ?――
――え、五百円ですけど――
――どれ……。明晴、ズボンの左のポケットを調べるのだ――
何事かと思いながら指定されたポケットの中をゴソゴソと探ってみると、触り慣れた大きさのコインが僕の左手に握られる。
この大きさ。先程までの会話の内容。まさか……。
ゆっくり左手をポケットから引き抜き、その手を目の前で開く。
案の定、五百円玉だった。
――ハセガワさん……。これをどうしろと……?――
――それを使って購入するといい。その程度の貨幣ならば、流しても経済にも大した影響は無いだろう。話の様子ではペペが一度ご馳走になったようだしな――
――これ、本当に使っていいヤツなんですか?――
――使ってやってくれ。制作コストはべらぼうに安かったが、しっかり隅々まで精巧に造られている。問題はないさ――
――やっぱり、造ったヤツですか……――
――君らの使っているそれも造られたものだろう?――
――そうですけど……。こんなもの貰えませんって!――
――何故だ。 勿論それをマサカド掃討の報酬とする気は無いぞ?―― 彼は的外れな補足を入れる。違うのだ。いくら精巧であれどこれは偽造通貨と同じ。こんなもの使って堪るものか。
――……とにかく、今回は奢ります―― きっぱりとそう言うと、僕はそれからの彼らの声を無視する。
こればかりは説明が面倒だ。きっと彼ら未来人の価値観の矯正から始めることになる。今の時代の人間と、惑星を幾つか征服している時代の彼らとではきっと価値観がまるで違う。
偽物はどれだけ精巧であっても偽物だ。
問答は無用。ここはビビリな僕が奢らせて頂こう。




