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織媛と歩く下校道。天文中学校は、僕と織媛の家がある天文町中心街より少しばかり外れた場所に位置している為、そこに至る道のりは、比較的のどかであり、静かである(まぁ、中心街の入ったところで、五月蠅いという感想が出るほど都会というわけでは決してないのだが)。この道をのんびり歩くことは密かに僕の楽しみでもある。
その時間の天気は雲一つない快晴だった。
朝は土砂降りだったってのに……、呑気なもんだ。
空を眺めること、それは僕にとって趣味として数えられてもいいくらいに好きなことだった。その中でも、晴れ渡った空は断トツで好きな空である。星空なんかも嫌いではないが、やはり僕の中では青空が一番しっくりくる。
小学生の頃、将来の事なんか何も考える必要の無かったあの頃の記憶が蘇るのだ。『過去を考えることほど無駄な時間は無い』、それが僕の持論である。しかし、あの頃の精神状態だけはとても好きなのだ。世界を無限大なものと思っていたあの頃の記憶。多分このエネルギーは一生お世話になるものなのだ。そう思う。
「ねぇねぇ明晴。テストどうだった? 私今回調子良かったんだよ! なんなら勝負しよっか、ジュースでも賭けてさ。どうせまた渡辺くんと勝負してるんでしょ?」
織媛の声が耳を通して頭の中を乱反射する。空を見上げ、考え事をしていたため、織媛の発する音が脳内で言語として変換されるまでに、少しばかり時間がかかってしまった。
「……あぁ、綱介とはいつも通り勝負してるよ。アイツは調子悪かったみたいだけどな」
「ありゃりゃ……、野球部だもんね渡辺くん。しょうがないよ、大変そうだもん」
「部活ってのは怖えよな。とても手を出す気にはなれないよ」
「そうだねぇ~」
…………。
会話が途切れ、織媛と一緒に空を見上げながらしばらく歩く。
僕が呑気な性格であることは自他ともに了解を得ていることなのだが、最近では織媛まで、僕につられたのかは知らないけれど、のんびりしているような気がする。今だって空をぼんやり見ているし。
…………。
「いやいや、勝負の話は⁉」織媛が話を切り出す。
「ん?」
「さらっとスルーしたけど、私とのテストバトルの話はどこ行っちゃったのさ! 怖いよ~。なんだよその技術。どこで手に入れたんだよぉ~」
普通に生きてれば身に付くだろ。まぁ、今のは故意じゃなくて、純粋にぼんやりしていただけなのだが。
「あぁ、すまんすまん。そうだな……、じゃあハンデはどのくらいつけたい?」
「馬鹿にしてんなぁ? 要らないよ。ガチバトルだ!」
…………。
「……お前、いっつもそれ言って負けてないか?」
「へっへっへ……。プライドを棄てちゃあ、人間這い上がれなくなっちまうからねぇ~」織媛は得意げにそう言う。
なかなか良いこと言うじゃないか。ま、お前がそういう性格じゃなけりゃあ、ここまでこの関係も続いてなかっただろうしな。
僕は気が合わない奴とはあまり永く関係が続かないタチなのだ。一応そういった奴の前でも感情は押さえている筈なのだが……。何かを感じ取るのだろうな。お互いに。
「へぇ、ハンデ無し、ね。負ける気は全く以てしないけれど。でも、お前のそういうとこ好きだぜ」
…………。
「へ? や、ちょっ、何⁉ 急に何言ってんのさ!」織媛が頬を紅潮させる。
「な、なんだ気持ち悪い……。思春期か? 勘違いすんなよ? お前が思っているような深い意味は無い。人間として好きって意味だぞ?」
「は⁉ 何? 何が⁉ 解ってるし! 何そっちこそ⁉ 勘違いしないでよ! バカ!」と言いながらも、彼女の頬の赤みは強くなる一方だった。
お互いもう年頃だ。会話の内容も考えていかなければいけないのだろうか……。そんなことを思うと、僕は少し憂鬱な気分になった。
当たり前だが、織媛とは綱介よりも長い付き合いだ。何事も包み隠さず言い合える関係だと思っている。なんでも気兼ねなく話せる関係、それは間違いなく安らぎなのだ。
安らぎの消滅。考えただけで心苦しい。
「じゃ、じゃあ勝負だかんね! わかった⁉」
「お、おう……」
「なぁ織媛」のどかな道のりが終わりに近づき、天文町商店街が見え始めた辺りで、今度は僕の方から話し掛ける。
「ひゃ、ひゃい!」
なんだその反応は……。
「これから買い物に行こうと思ってんだ。お前には悪いけど、ここからは一人で帰ってくれないか?」
織媛が不思議そうな表情を浮かべる。
「ついてくよ?」
まぁ、そうくるよな。いつもそうだし。
でも今日は、もう少し青空を眺めたい気分なのだ。平日の青空を、真っ昼間から開放的な空間で拝める機会など滅多にない。付き添いがいると、それがいくら幼馴染であろうと、少なからず気を遣う羽目になってしまう。そんな精神状態で青空を眺めるのは、少々勿体ない気がするのだ。それに、空を眺めてぼんやりしている僕では、織媛を満足させるような会話はできないと思うし。これはお互いの為である。
「ごめん。今日は一人にしてくれないか?」
「え~? なんで~? やだやだ! 明晴と一緒がいい~!」織媛は駄々をこねるが、これは彼女による一種のショーである。この場合、僕はのんびりと打開策を考える。
「じゃあ、明後日は日曜日だしお出掛けしよう。これでどうだ!」
…………。
「お出掛け? え、デートってこと?」
……いや、そこの解釈は別になんだっていいのだけれど。昔から織媛は外で遊ぶことが好きだったから、この提案は気に入ると思ったんだが……。この反応はハズレだろうか……。
「駄目か……? 駄目なら何か違う案を……」
「駄目じゃない駄目じゃない! それがいい! それ以外にしたら明晴のこと一生許さないから!」
「怖えよ!」
大当たりだった。
「なら、私も買い物しなきゃ! お洋服とか! 化粧品とか! 下着とか!」
「いや、そんなに気合い入れなくてもいいぞ?」下着?
「じゃあね明晴! また明日~‼」
そう言って織媛は商店街の彼方へと消えていった。洋服店やら化粧品店やらが立ち並ぶお洒落なエリアは、僕の今から向かおうとしている寂れたエリアとは全くの別方向なので、まぁ、ばったり出会うなんてことはないだろう。
さぁて、ゆっくりと羽を伸ばそう。友達と遊ぶ時間もかけがえのないものだが、それと同じくらい、一人の時間というものは価値のあるものなのだ。僕にとっては。