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綱介への若干の同情を心に仕舞い、教室の扉を開く。廊下に出た途端、まだ涼しい夏の風が僕の体を包んだ。テストに集中していたせいか解らないけれど、僕の体温は随分と上がっていたようで、ちょうど心地良い温度のそよ風は、僕の頭からテストの記憶を奪っていった。もうちょっと勉強しておけば、あそこの選択式問題は絶対間違っていた、そんな後悔達が外気と混じり、溶けていく。
この風が熱風になったら、いよいよ夏本番なんだな……。そんなことを考えながら、二階から一階へと通じる階段を目指し、廊下を歩く。
そんな僕の風情を理解した脳内活動は、突然の衝撃によって活動を停止する。男子史上最悪の鈍痛によって。
「ちょいやさ~!」
謎の掛け声と同時に、右脇腹を、何かベルトぐらいの大きさの繊維が這う。そしてそれを感覚で理解した瞬間、金的へ衝撃が走った。
「ひぎいぃっ⁉」
痛みを感じると同時に、僕の瞳は金的周辺の異物を捉えることに成功する。それは中学生の強力な武器、スクールバッグだった。勿論僕が背負っているそれではない。羽毛のような、と言っても、さすがにそれが無くなったりしたらすぐに判るし、それにその異物は僕の持っているそれとは違い、真っ黒の革製品だった。
「はあぁぁぁ……」
全く予期していなかった激痛に耐えることができず、股間を抑え、屈辱にも廊下に蹲る。
「だ、大丈夫……? 変なとこ入っちゃった? 脇腹狙ったんだけど……」
「も、もうちょい遠くから狙うべきだったな……、バカ女……」
痛みに耐えながら背後を確認すると、案の定『奴』が居た。隣のクラス、二年二組に住み着くロリ顔ショートヘアの悪魔、瀬津織媛である。恐らくスクールバッグで右脇腹を狙う予定が、距離感覚を外したのだろう、スクールバッグの取っ手部分が右脇腹にヒットし、それを支点として、バッグ本体が円軌道を描き、金的にビッグバンを発生させたのだ。
迷惑極まりないミス。お前が男だったらぶん殴っていたぞ……。
「大丈夫? 撫でたげようか?」
「いらん……。黙ってろ……」
その発言から織媛には性教育が足りていないことがありありと判る。三人姉妹という家庭環境が影響しているのだろう。そこは別段責める気は無いが、しかしもう少しその辺りを知っておいた方が良いのではないだろうか。僕はそう思わずにはいられなかった。
「腰トントンしたげるね」
扉をノックするような優しい衝撃が、腰を通し、金的へと伝わる。
「……なんで対処法知ってんの?」
「パパがね、ママに似たようなとこ蹴られた時にやってたの。合ってる?」
「……あぁ、合ってる合ってる」
どんな夫婦だよ……。パパさん、浮気でもしたのか?
…………。
「楽になってきたぞ織媛……。もう大丈夫だ」
こんな場所でいつまでも情けない姿を大衆に晒すわけにもいくまい。
「そう?」
「あぁ……」両足を床にしっかりと付け、ゆっくりと立ち上がる。勿論痛みなんか全然取れちゃいない。ただの気合いである。
「で、何の用だったんだ? ここまで激痛を与えたんだ、ロクでもない用だったら、どうなるかわかってんな?」
本気で言っている訳じゃない。ただの意地悪だ。これくらい許されてもいいだろう……。
「あ、あの……」
「ん?」決まりが悪そうにモジモジする織媛。決まっている、どうせ下らないことだ。
「一緒に帰ろ……?」へへっ、と笑う織媛。
これが好きな子からのお誘いだったら、どんなに嬉しかったことだろうか……。しかし現実。そう上手くも行かない。まぁ、好きな子がいるという訳でもないのだけれど。
…………。
「いっつも一緒に帰ってんじゃねえかぁぁぁぁぁ‼」
僕と織媛は幼馴染でお隣さんである。




