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電車内は天文駅のホーム同様全く混み合ってはいなかった。人より空席が多くの空間を支配するそこで、僕と織媛は遠慮せずボックス席を陣取り、窓を軽く開け、お互いに向き合う形で会話を始めた。二つの雑音の中での僕らの会話といえば、彼女の持ってきた動物園のパンフレットを使った軽い予習や、二年前の修学旅行の話などが主だった。僕は彼女の悩みについての詮索を終了する気は無かったのだが、如何せん彼女がそういった仕草や言葉を欠片も発することが無かった為、全くそれについて掘り下げることは出来なかった。電車に乗り込んでから綻び一つすら見せないのだからまったく器用なものだ。まったく彼女の鉄壁には脱帽である。
「そういえば、修学旅行も動物園行ったよね」織媛はパンフレットをぼんやりと眺めながら言う。
「あぁ、今日行くとこは修学旅行の時のと比べると随分と小さいから、比較しないように気を付けないとな」僕は冗談交じりにそう言ってみる。
「ば~か。今日は今日で楽しいも~ん」織媛は足をパタパタさせる。
「ちゃんと景色も見とけ」
「言うほどの景色じゃないじゃん。それに高校生になったら嫌でもいっぱい見れるよ。隣町にしかロクな高校無いんだからさ」
「そう言ってやるな。町長も頑張ってんだから」
「頑張ったって何とかならないことばっかだよ。そんなもん」
「あんまり言うなって……」
「だって近隣の町どこも合併してくんないんだ……、よぉぉぉ⁉」織媛が突然奇声をあげる。僕は織媛の様子と車窓に映る景色を半々の比率で眺めていたため、突然の彼女の咆哮によって体が痙攣する。
「……な、なんだよ、天文がどことも合併できないのがそんなにショックか?」
「違くて違くて! これ! メンフクロウ!」織媛は体勢を前のめりに崩し、パンフレットをこちらに向けてその一角を指差す。白いブラウスの胸元がはだけ、その奥を僕の瞳が捉え始める。
「お、おう……。それがどうした……?」
「私メンフクロウだ~い好きなんだよね~」
――何故……――
――お? ハセガワ起きた?――
――あんな阿呆面のどこがいいというのだ……。どう考えてもアナホリフクロウが猛禽類いちキュートだろう⁉――
――いい年こいてキュートとか言わないでよ―― 脳内に雑音がポツポツと現れ始める。しかし僕は努めて彼らに呼びかけはしない。
「でも、確かにアホ面だな……」僕は彼女の指先にある写真をじっと見つめる。
「このアホ面がいいんじゃ~ん。何にも考えてない感じが最ッ高!」
――何も考えてない感じが好きだなんて、判る女の子だねぇ――
――何が判っているというのだ! メンフクロウだぞ! メンフクロウ!――
「何も考えてないのが好きなのか?」
「うん。良くない? 正直そうでさ」
――アナホリフクロウだって正直だぞ……。明晴! そう言え! 言ってやれ!――
――目付きが悪いんじゃない? 小難しい顔しちゃってさ。イメージが大事よ?――
「小っちゃい頃からこの子の大ファンでさ。でも修学旅行の時に行ったとこにはいなかったんだよね~。まさかこんな近くにいたなんて……」
「灯台下暗しってとこだな」
「そんなに近くないやろがい!」織媛はチョップで軽く僕に突っ込みを入れる。別にボケたつもりは無いのだが
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ。
電車が突然ベルの音をやかましく鳴らし始める。
「織媛、窓」
「ほいほいっ」織媛は前のめりになっていた体勢をやめ、一方の窓差し錠に手を掛ける。僕もまたもう一方のそれに手を掛け、彼女と同時に錠をつまみ、窓を閉める。
辺りは急に真っ暗になり、轟音が響き始める。
「へっへ~、息ぴったりだね!」彼女がサムズアップのポーズを決める。
「おうおう」
――んぎゃ~! 外が真っ暗~! 霊域⁉ この鉄屑ごと入ったの⁉――
――明晴! 状況は⁉ 目標は⁉――
二つの意識が脳内にて暴れ出し、頭がガンガンと響き出す。
――トンネルですよ! すぐに抜けますから落ち着いて!―― 僕はここにきて初めて彼らへの意識でのコンタクトを試みる。
――トンネル? はぁ? 何でこんなに暗いわけ?――
――闇が怖くないのか? 人間の癖に――
――闇って……―― 織媛はパンフレットに適当に目を通し始める。トンネルの中ではノイズがあまりにも多いため、僕も織媛も好んで会話をしようとはしなかった。お互い大声を出すことを面倒くさがる性格なのである。まぁ、そのため僕は彼らとの対話に全力を注ぐことが出来たわけだが。
――しっかし瘴気が濃いなぁ……。ほんとに現実?――
――一体何人の人間を喰ってきたのだ……――
――え? ここ人死んでるんですか?――
――人柱ってやつかな? えげつないことすんねぇ――
――ケガレチが発生しているな。場所としてもとても悪い。誰も気にも留めないのだろうが――
――嘘? ケガレチ? もしかして霊道にまで育ってる?――
――育ってるな。車体が結界になっているから霊障は避けられているようだが――
――なんでこんな鉄屑が結界になるのさ。まさか車体に御札でも埋め込んでるとでもいうの?――
――……そのまさかのようだな――
――っか~! この時代でも折り合い付けるのに必死って訳だ――
脳がペペさんの薄ら笑いの情報を受け取る。相変わらずノイズは皆無であり、実にはっきりとしたビジョンだった。
――ハセガワ、私の言いたいこと分かる?――
――分かるぞペペ。ボッコボコってわけだな?――
――ボッコボコって訳よ……。ニッシッシッシ……――
彼らの考えていることは手に取るように解った。つまりそういうことなのだろう。僕は昨日の霊域での出来事を思い出し、脳が痺れる感覚を受け取る。実に涼しく、夏にはぴったりの冗談だ。綱介の怪談にも全く見劣りしていない。既に全身鳥肌まみれではないか。織媛は依然パンフレットに夢中である。助かった。彼女に情けない姿は見せたくない。
轟音が晴れ、車窓から日の光が差し込み始める。
「明晴! へいへい!」そう言って彼女はこちらを見つめながら再び窓差し錠の一方に両の手を掛ける。
「お、おう!」彼女の呼びかけにより僕は若干の驚きと共に現実に戻る。窓差し錠の一方を片手でつまみ、全力で筋肉を躍動させる。
開いた窓の隙間から涼しい風が勢いよく車内へと流れ込み、心地良い突風がセットした髪型を緩やかに崩していく。




