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「つまらなそう」。彼女はそう言った。言葉の真意を口にすることは無かった。いや、それこそが真意なのかもしれないが、どちらにしろ僕にはよく分からなかった。つまらなそう。それを彼女が口にした時、僕に焦点が合っているように見えなかった。ぼんやりと、宙を眺めるようにしてそう言ったのだ。彼女は恐らく僕にそれを言ったわけでは無かったのだ。僕だけにそれを言ったわけでは無かったのだ。この時代の人間全体に向かって言ったのだろうな。
「ごちそうさま……」昼食の冷や麦を全て胃に入れ、僕はそう言う。
「どうしたの明晴。ボーっとしちゃって」母は食卓の向かいの席からそう疑問を投げかける。ごちそうさまとは言ったものの、僕は席から立ち上がることはしない。
「ボーっと……、してるかな……?」
「その返事が何よりボーっとしてるわよ……」母さんは呆れたような表情を浮かべていた。
「あ、母さん。僕今日昼から織媛と出掛けたいんだけど、いいかな?」
「あら、織媛ちゃんと? 全然いいわよ、頑張ってね!」母さんはそう言う。彼女はいつもそうやって僕を肯定するのだ。そしてその度、僕は自分の小ささがとても嫌になる。
「手伝い、出来なくてごめん」僕は母さんの気持ちを探るようにそう言う。しかし返答は分かっている。探った先にはいつも何もありはしないのだ。
「え? いいのいいのそんなこと。それより頑張りなさいよ!」母さんの中はいつも深淵で、僕の心を静かな闇の中に沈めていく。母さんは僕のことをどう思っているのだろうか。僕をどう感じ、何者だと思って生きているのだろうか。そしてそれらの探索はいつも、他でもない彼女によって打ち切られるのだ。いつも、いつも。
「……明晴? 母さんの顔になんかついてる?」
「え?」体がじんわりと暖かくなる。
「……大丈夫?」母さんは僕の顔を覗き込み、僕の中に何かを探る。
「あぁ、大丈夫だよ母さん」僕は力を込め、それだけをはっきりと言う。
「母さんの事なら心配しなくていいんだよ?」
「え……?」意識が体に定着される。現実の匂いが咄嗟に鼻を突く。
「明晴は明晴の好きなことをしなさいよ。それが私の幸せなんだから」母の言葉。僕には理解できない言葉。
「母さん……」
「ん?」
選び、繕おうとしたが、そんなことが通用しない言葉だということに僕は気付き、口を開き、喉を鳴らす。
「母さんは、僕がつまらなそうに見える……?」言ってから少し後悔した。やはりこれは聞く必要のないことだった。少し驚いた様子だったが、やがて母は答えるのだろう。既に言霊を纏ってしまった僕の音は容赦なく母へと飛んでいく。
「……うん」母は誤魔化すように笑いながら続ける。「ちょっと、ね」と。




