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「もしもし――――」
私の言葉を遮るように、スピーカーから高い声が響いてくる。
「絢子? 絢子なのね。大丈夫? よかった! LINEも返さないし、どうしてるかと――――」
「ありがとう」
短く答える。叶絵は大学入学当初からの友達である。友達の身を案じ、冷や汗を浮かべて電話をかける叶絵の姿が、私には容易に想像できた。
「心配してくれて……。えーと、家にいるの。もう出ようかと思ってるけど、さっきこの騒ぎを知ってね」
「うそ、大変」
息をのむ気配がする。叶絵にとって私は、大勢の友達の1人なのかもしれないが、私にとっては数少ない信頼できる友達だった。地方から上京し、大学近くのアパートに下宿している彼女は、東京育ちの人間とは一線を画する雰囲気があった。叶絵は、他の人たちが気恥ずかしいと思うような親切を、いつもあっけからんとこなしてしまう。交友関係を広げるのが苦手な私が、大学でそこそこ居心地よく過ごせているのは、叶絵が輪の中に引っ張り込んでくれたおかげだった。
しかし、そんな信頼感、好意はあるにせよ、彼女と相対した時に起きる気まずさはごまかしようがなかった。こちらが身構える前に、懐に入り込んできてしまう人懐っこさは、私のような人間にはありがたい反面、時に恐怖だった。彼女の親切に応えるには、私はあまりに親切心が欠けていたし、それに気付かれるのが嫌だった。
「私もまだ、絢子や、他の子も、ちょっと心配でうろうろしたりして、避難できてなくてね。もう、ほとんどの人が避難したとは思うけど」
叶絵の声は平静を装いつつも取り乱している。もっと早く連絡を返してあげるべきだった、と悔やまざるをえなかった。叶絵の声には決定的な響きがあり、一連の騒動に現実味を加えるなにかがある。
私は、改めて隣家を見上げる。ほとんどの人、の中に、この山中さんは入っているのだろうか?
「何が起こったのか、簡単に説明してくれない? 私まだなんにも知らなくて……」
私が言うと、叶絵はしばらく黙った。
やがて、話しだした。
「そうなった原因は分からないの……。今は、報道機関もパニックになってるみたい。ただ、最初は水道水を伝って、人間のもとにやってきたらしいわ。それをどう呼んでいいのか分からないけど、要するに赤い虫のようなもの。それが、どんどん湧いてくる……」
暗闇の中で、なにか物音が聞こえたような気がした。
そちらに注意を向けようとしたが、叶絵の声がそれを打ち消した。
「あいつらは単体では生きていけないから、生き延びようとする。人に寄生するの」
「寄生?」
予想もしなかった説明に、思わず聞き返した。叶絵が注意深く、「そう」と答える。
「それもおそらく脳に。寄生された人は必ず数十分以内に異常が出て、言動がおかしくなる。私も何人かとすれ違ったけど、……なんていうか、本能に忠実になるの。なんでそうなるかは分からないけど、とにかく、そうなった人がいたら近寄らないほうがいいわ。距離をとって、逃げるの」
「危害があるってこと?」
「そう言えるかな……。私からみたら、寄生された人は、もう人間じゃないみたいで……。それに、虫は人から人へ転移して、どんどん卵を産み付けていくわ」
およそ信じられる話ではなかった。しかし、LINEの「バスで、変な乗客がいる」という一文を、思い出した。ともかく、なんらかの寄生虫のようなものが人の脳をのっとり、人格に影響を与えているというのは間違いないようだ。
私が次の質問を投げかけようとしたとき、今度こそはっきりと物音が聞こえた。