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人形  作者: 香山
1:目覚め
2/4

 階段を下りながら、もし母が生きていたら、良美さんのように娘を手塩にかけただろうかと考える。母は高卒でデパートの生鮮売り場に就職し、20代半ばで父と出会い、結婚した。父は教養のある人物だったが、母の知性は明らかに父に追いついていなかった。母が死んだ年、私は11歳で、家族も含めた大人のことを少し難しく考え始める時期だったので、母が事あるごとに言う「お母さんバカだから」という責任逃れのような一言が嫌いだった。


 リビングにたどり着いた私は、時計を見た。18時30分になろうとしている。父は帰ってこないし、神坂からの返信もこない。私は我慢できなくなって、携帯を手にとって父に電話をかけた。今日はデート相手の女性の43歳の誕生日らしく、父はいつもより緊張した面持ちで、イタリアンのランチに出かけるための衣装を選んでいた。しかし、私が夜中家にいると分かっていて家を空けるような父親ではないし、相手の女性も夜は用事があるという話だったはずだ。

 耳元でコール音がむなしく鳴った。留守番電話サービスに加入していない父の携帯は、いつまでもそのまま鳴り続けていた。


 色んな考えが一気に浮かんでくる。一番最初に浮かんだのは、私の予想が的中したのかもしれない、ということだった。ここ最近の父の様子は、明らかにおかしかった。思い悩むような苦しそうな顔をしたり、かと思えば母の遺影の前でむせび泣き、許しを乞うたりしていた。思うに父は、母が死んでからの10年間の生活に疲れ、母を求めて苦しんでいるのではないか。父は、交際相手には事欠かない男だったが、母を誰よりも心のよりどころにしているところがあった。私の脳裏に、突拍子もなく、父が対向車に向かってアクセルを踏み込む様子が浮かんだ。携帯を握る手が、じっとりと汗ばんだ。

 十数回目のコール音が鳴ったのと同時に、LINEの受信で携帯が震えた。私はびっくりして携帯を取り落しそうになり、あわてて握りなおした。先ほど、神坂に連絡を送った時にはきちんと確認していなかったが、LINEの通知が100件を超えていた。そのほとんどが、サークルか、バイト先のLINEグループの通知である。


 サークルのLINEグループの最新メッセージは、「みんな無事?」という、一言だった。私が所属しているテニスサークルは、テニスの練習よりも飲み会やイベントごとが多いミーハーサークルで、普段のLINEもじゃれあうばかりの気楽なノリだった。「無事?」というワードは、このサークルには似つかわしくない。私は異様なものを感じ、未読メッセージを全て読むために、LINEグループを開けた。

「ニュース見た?」――――14時07分、一番古いメッセージ。「見てない」「どうしたの?」「見て!」「みんな大丈夫?」「家から出ないで」「今、バイト中」「異常ないか? くれぐれも気をつけて」「なにか――――バスに、変な乗客がいる。雰囲気がおかしい。子どもの手を強く握りしめて、子どもが痛がってる――――」「次で、バスから降りろ」

 私は途中から、これは脱出ゲームなどの遊びの一種で、みんなでサバイバルを楽しんでいるのではないだろうか、という疑問を拭えなかったので、いまいちLINEに入り込めなかった。私は活動的な部員ではないので、私の知らないところでこういうイベントが興じられていても不思議ではない。

 LINEのメッセージを辿っていくと、最初は家に留まっていることを推奨する流れだったが、時間が経つにつれ県外に脱出することを推奨する流れになっている。少し不気味だったのは、どんどんLINEが過疎化し、「みんな無事?」というメッセージに至っては、まだ誰も返信していないことだった。


 私は、バイト先のLINEも全て最初から読むことにした。こちらも、一番古いメッセージは14時10分とサークルの方のLINEと近い時間帯である。「今日はバイト休みですか?」そこから少し時間が空き、14時40分に同じ人物から「店長と連絡がとれません。今日は休ませてください」とある。こちらのLINEは、それほど盛り上がっていなかったが、一定間隔おきにメッセージがきていた。リーダー格のバイトからは、「お疲れ様です。私も店長に連絡しましたが、繋がりません。ニュースで言っているように、外出は非常に危険なので、みなさん気をつけて下さい」15時16分、「避難指示出たようです」「交通機関は使わないほうがいいでしょうか?」「電車も止まっていると思います」「避難指示は出ていても、受け入れ先が決まっていないようです」「気をつけて」

 私は今度こそ、わずかに現実味が湧いてくるのを感じた。私が寝ている間に、何かが起こり、三時間前には避難勧告よりも緊急性が高いとされる避難指示すら出ていたようだ。寝る前と、後で、空気感が微妙に変わってしまったように感じたのも、そのせいだろうか。LINEの情報を整理すると、交通機関は止まり、避難先は県外としか示されておらず、サークル部員の一部は「変な乗客」などの、人間の異変に敏感になっている。強力な伝染病かなにかでも出現したのだろうか。この情報量では推理できない。


 私はもう一度バイト先のLINEをチェックし直し、神坂が会話に参加していないことに気付いた。それどころか、決められた数人のメンバーしか発言しておらず、16時20分のメッセージを最後に、ぷつりと会話が途絶えている。

 詳しいことは分からなかったが、相当悪いことが起こっていると考えるべきかもしれなかった。父と神坂、二人と連絡がとれないのはそのことと関係しているのかもしれない。18時42分。もうすぐで19時だが、神坂は迎えに来るのだろうか。


 私は、事態をはっきりさせるためにニュースを見なければならないと思った。バイト先とサークルのグループLINE以外は、叶絵という大学の友達からしか連絡がきていなかったので、とりあえず携帯を置いて、テレビを点けようと立ち上がる。リビングのテレビラックには、小さな木の器が乗ってあり、いつも父が乱雑にライター、ガム、ペンなどの備品を投げ込んでいる。私は、電源ボタンに伸ばしかけていた手を止めた。器に、今あるはずのない車のキーが入っていた。

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