声の行方
こんばんわ。何とか投稿できました。読んでくださってありがとうございます。
「リル――?」
ジュリアスがリルティの名前を呼んだ時、リルティの心を占めていたのは不安と悲しみばかりだった。
一瞬、自分の心がジュリアスを求めるあまりに空耳が聞こえたのだと思うほど、ジュリアスの登場はリルティには意外なことだった。
それが本当のことだと気付いたのは、灯に揺れる影がリルティの視界に映ったからだ。
何故ジュリアスの声を聞いただけで心が弾むのだろうかと、リルティは戸惑いに心が揺れた。
「リル――」
リルティが返事をしなかったから、ジュリアスはもう一度名を呼んだというのに、リルティは声が震えてしまいそうで、言葉を返すことが出来なかった。
ジュリアスが無事に帰ってきてくれた嬉しさと何故か記憶が戻ってから燻るジュリアスへの怒りのようなもの、何より自分の心がこんなにもジュリアスに傾いている事実を知られたくないという羞恥心。数あるどれも無視できない感情が渦巻いて、リルティは口を堅く閉ざして俯いた。
「お、おかえり・・・・・・なさい」
ジュリアスが近寄ってくるのが静かな庭に小さく響くカシャカシャという金属音でわかって、リルティは声を絞り出した。何か言わなければ、絶対にジュリアスはリルティの正面にやってくるのがわかっていたからだ。
無事に帰って来てくれて良かったとただ喜びを伝えたいだけなのに、色々なものを耐えていると強張った声しかでなかった。
「リル、顔を見せてくれないの?」
ジュリアスは、リルティの態度が不信に思えたのか顔を見せろと言う。それもとても寂し気な声音で――。
ジュリアスの声に、振り向こうと心が揺れたけれど、それを何とか留めることができたのは、くしゃくしゃに歪んでいると自分でもわかる顔のせいだった。
「ジュリアス様・・・・・・、帰っていらしたんですね。お、叔父を待っているのです――」
「テオは来ないよ。アレクシスに頼んだのは俺だから」
テオを待っているのだと言うと、テオは来ないとジュリアスは言う。何故ならアレクシスにテオが待っているように言えと命じたのはジュリアスだったのだ。
ジュリアスは、リルティを責めるような響きでそう告げたのだった。
「あ・・・・・・、そうなのですか。いつもジュリアス様は嘘ばっかり・・・・・・」
「すまないと思っている――」
また嘘――・・・・・・。
ジュリアスの心には沢山の嘘がある。
リルティは、小さなころ嘘をついたら、だれもが眠る夜更けに魔物が嘘を吐いた子を食べにくると何度も言われて育った。幸いにして、リルティは小さな嘘はともかく人を傷つけるような嘘を吐かずに生きてこられた。
ジュリアスはそうではないのだ。きっと生きていくためにも嘘を吐かなくてはいけなかったのだろう。けれど、小さな嘘であっても言われた人間が傷つくということを知って欲しかった。
ジュリアス様は嘘ばっかり・・・・・・。
傷つけるとわかっていたのに、そう責めてしまってリルティは落ち込んだ。ジュリアスがとても済まなそうに謝るから余計に辛くなって、この場から立ち去りたかった。
ジュリアス様は、きっと辛い選択をいくつもしなければいけなかったのだろう。自分の側にいることが出来ないくらい忙しかったのだろう。わかっていたのに、自分の気持ちの整理がつかずにジュリアス様にぶつけてしまった。
リルティは、それがジュリアスを傷つけるかもしれないと不安になりながらも、薔薇で傷を作ってしまった指先の痛みを理由にジュリアスの元から去ろうと思った。
これ以上、ここでジュリアスの側にいればきっと詰ってしまうだろう。さっきから頭の奥で『殴ってしまえ』という小さな声が聞こえるのは記憶を失った時の後遺症なのかもしれない。
「あの・・・・・・薔薇の棘で指先を怪我してしまったので、失礼します――」
リルティは、あれだけ会いたくて切望していたジュリアスから背中を向けたまま、逃げた。
もう、駄目――・・・・・・。
涙腺が決壊しそうになるのは、果たして罪悪感からか恋情からかわからない。
恋は情緒不安定になると聞いたことがあったけれど、まさかこんなにグラグラするものだとリルティは知らなかった。
「リル、何故逃げるんだ?」
ジュリアスはリルティを逃してくれるような男ではなかった。手首を握られ、引かれた。体勢が崩れそうになるのをジュリアスが肩を掴んで支え、手の熱さに震えたリルティに何故逃げるのかと問うた。
心の縁を一杯にしていた透明な滴は、リルティの瞳から零れて舞った。
溢れてしまった――・・・・・・。
リルティは、とめどなく流れる涙を見られたくないと俯いた。きっと化粧も落ちてしまって、みっともないことになっているだろうと想像がつく。
ジュリアスは、リルティを抱きしめて離してくれなかった。何度か離して欲しいと身じろいだけれど、ジュリアスの拘束は解ける気配はない。ジュリアスが望めば、リルティなど片手で動きを封じ込めることだってたやすいのだろう。
抱きこまれた胸が思っていたよりも厚くて筋肉質なことに気付いて、リルティは今までとは違った意味で赤面してしまった。
「リル、どうして泣いているの?」
ジュリアスは優しくゆったりと彼にしては戸惑いながら、疑問を投げかける。。
きっとジュリアスには想像もつかないだろう。こんなグチャグチャになってしまった女の気持ちは――。
だから、リルティは心にもない言葉を――、嘘を吐いた。
「会いたく、なかった・・・・・・」
ジュリアスの胸に顔を押し付けた状態だったからか、ジュリアスの鼓動が早くなったのをリルティは感じた。
ジュリアスは、窺うようにリルティの名前を呼んだ。
きっとジュリアスは驚いただろう。それだけでいいような気がした。絡まって解けなかった心の綾が、ジュリアスの鼓動一つで簡単に解けてしまうのが何だか少しだけ悔しかったけれど――。
「嘘よ・・・・・・会いたかったわ」
本当のことを言ったのに、嘘を吐いた後だからだろうか、真実のようには聞こえなかったようだ。ジュリアスは喜びも悲しみもしなかった。鼓動だけが早いリズムでトクントクンとリルティに混乱を告げていた。
「指が痛いの――」
「怪我を――?」
指の痛みを思い出したので告げると、ジュリアスが傷を確かめるためにリルティの手を上げた。顔を隠したままなので、そこに温かい濡れた感触を感じるまでジュリアスが指を舐めたのだと気付かなかった。
――何故?
どうして舐める必要があったのかと心で悲鳴を上げて固まっていると、ジュリアスは、棘は抜けているから大丈夫だと言う。薔薇の棘は、指を傷つけることはあっても刺さったりはしないのに、ジュリアスは真剣に舐めたことの正当性を述べていた。
やっぱりジュリアスは変態なのかもしれないと、リルティは思った。
嫌い――? いいえ、嫌いじゃない。あんなに酷いことをされても、許してしまうくらい。
「好き――」
ジュリアスの鼓動が跳ねた。
リルティは、ギュッとジュリアスの胸の服を握って恥ずかしさを堪えた。
「ジュリアス様は、指を舐めたりする変態だけど・・・・・・好きなの――」
自分から、キスをする勇気なんてリルティにはなかった。今、この気持ちを伝えるには――、何故か『変態』という言葉しか思いつかなかった。
リルティは既に極限状態だった。頭の中は、『詰れ』とか『殴れ』とか『好き』とか『信じられない』とか沢山の感情がひしめいていて、リルティの気持ちを揺さぶってくる。
ずっと待っていた――。この気持ちをジュリアスにどう告げればいいのか、考えた末に出た言葉が『変態だけど、好き』だったことは、リルティの人生において最大の恥辱になる。冷静になった後、いっそこの言葉が記憶喪失の間であったら忘れられたのにと思うほどだった。
「リル、変態って言ったら――」
ジュリアスは少し逡巡した後、リルティの言葉を受け取ってくれた。
恥ずかしい――。もうどうしたらいいのかわからない――。
リルティは呼吸すら止めて、その瞬間を待っていた。
ジュリアスの指が首筋を辿り、顎から頬を撫でた時、リルティは仰向けられた先にジュリアスの驚いた顔を見つけた。
「・・・・・・リル、何があったか聞いていいか――?」
心配そうな顔は、何故か懐かしかった。記憶を失った時の夢を見る時、ジュリアスはよくこの顔をしていた。
「どうして?」
リルティは訊ねずにはいられなかった。
ジュリアスは、何故こんなにも恥ずかしい思いで強請ったキスをしてくれないのだろう。人がいうほどにジュリアスはリルティのことを想っていないのかもしれない――。そう思えて、リルティはジュリアスの言ってくれた『愛している』という言葉が偽りであったのかと疑いかけた時、ジュリアスはリルティの前で膝を折った。
ジュリアスほどの身分の人間が軽々しく人に跪くことはありえないことだ。
「ジュリアス様――?」
「リルティ・マーリル・レイスウィード――。貴方にお願いがある」
ジュリアスの真剣な眼差しと声音にリルティは射すくめられたように動けなくなった。 リルティの名前を呼ぶ意味を――。
いっそ鼓動さえ止まるのではないかと思えたが、自分の想いとは反対に胸はドキドキとせわしなく打ち続ける。
「はい――」
リルティは何とか返事を返し、ジュリアスの強い視線を受け止めた。
お、終われないかと思った――。焼き増しみたいなものなのに、何故か言葉が上手く出てこなくて、「お前はリルティか!」と自分で突っ込んでおりました(笑)。最初は言葉を全部なしにして、リルティの気持ちだけを書いていたのですが、どうもしっくりこなくて台詞を入れました。前回のリルティサイドなので、まぁなくてもいいわけなんですけどね。でも書きたかったの!すいません・・・。次は進みます♪