声にならないお姫様
こんにちは。相変わらず暑い日が続いております。元気ですか~?
いつも読んでくださってありがとうございます。
リルティが庭に降りた来たのをジュリアスは薔薇の茂みから確認した。
ジュリアスの立っていた所は、少しだけ灯を減らしているからリルティは人がいることに気付かなかったようだ。それを見越してこの場所に立ったけれど、ここからはリルティの背中しか見えなかった。
リルティの髪は、サイドを後ろにまわし編み上げているが、後ろはフワフワとした髪をそのまま垂らすようにジュリアスは命じていた。リルティの項を他の男に見せたくないと言ったら、グレイスに残念な男を見る目でみられてしまった。母よりも母親のようなグレイスにそんな目を向けられるのは、少し気まずいが、それどころではない。
グレイスが言ったように少しほっそりとしてしまったリルティの後姿を見て、ジュリアスは首を傾げた。
『リルティ様は少しお痩せになられて、背後から見ると、リルティ様だと気づかないかもしれません』
それを聞いて、ジュリアスは心配をしながらこの場所に立った。だが、グレイスの心配は杞憂だった。
「リルを見間違うなんてことはあるはずがない――」
幼かった彼女が成長しても、ジュリアスはちゃんとリルティだとわかったのだ。それに比べれば、何てことはない――が、それをグレイスに言うのは止めておこうとジュリアスは賢明にも思った。
リルティが薔薇に手を伸ばして、声を上げたのを聞いて、ジュリアスは慌ててリルティの名を呼んだ。
「リル――?」
わかっていても、リルティかと問うように呼んだのは待ち伏せして覗いていた気まずさを隠すためだった。
リルティは、突然帰って来た自分を喜んでくれるだろうか。
ドキドキしながら呼んだのに、リルティは振り返らない。
もう一度、リルティに手の届く距離まで近づいて、「リル――」と愛しさを込めてジュリアスは名を呼んだ。
「お、おかえり・・・・・・なさい」
喜びではない、怒りを抑えたような声だった。
なるほど、最後に会った時、暗示を込めて『殴ってやれ――。大嫌いだっていってやれ――』とリルティに言ったのはジュリアスだった。
リルティの罵倒を覚悟して、ジュリアスは振り返るのを待つが、いつまでたってもリルティは背中しか見せてくれない。
「リル、顔を見せてくれないの?」
ジュリアスの声は、途方にくれたといってもいいくらい悄然としたものだった。
「ジュリアス様・・・・・・、帰っていらしたんですね。お、叔父を待っているのです――」
「テオは来ないよ。アレクシスに頼んだのは俺だから」
まるでジュリアスはいらないのだと、言外に言われたような気がして、ジュリアスは責めるようにリルティに告げた。
「あ・・・・・・、そうなのですか。いつもジュリアス様は嘘ばっかり・・・・・・」
「すまないと思っている――」
間髪入れず謝るジュリアスの殊勝な言葉にリルティは驚いたようだった。
「あの・・・・・・薔薇の棘で指先を怪我してしまったので、失礼します――」
リルティは、顔も見せずにジュリアスの元から去っていこうとする。
暗示がかかっているのならもっと罵倒されているはずで、かかっていないのならこんな風にジュリアスから逃げていく理由もないはずだった。
「リル!」
強引に腕を後ろから掴むと、ジュリアスにもわかるほどリルティは身体を震わせた。
「リル、何故逃げるんだ」
ジュリアスは、やりきれない思いと疑問をぶつけずはいられなかった。リルティが拒むのを無理やり振り向かせると、夕闇の中で灯に輝く涙の滴が散った。
「っ・・・・・・」
リルティは自分の顔を見られたくないのか慌てて俯き、逃げようとする。ジュリアスはリルティを抱きよせ、思わず自分の胸元にリルティの顔を押し付けた。
見られたくないという気持ちを汲んだつもりだったが、赤ん坊がむずがる様に身体を捩る度に、ジュリアスはリルティの体温を感じて息を詰めた。
「リル、どうして泣いているの?」
リルティが動かなくなると、ジュリアスもその手の力を緩めた。
リルティの細くなった肩は頼りなげで、ジュリアスの心を締め付ける。
「会いたく、なかった・・・・・・」
言葉を詰まらせながら、リルティはジュリアスを拒否するように告げた。
「リル?」
何故会いたくないのかと聞きたくて、ジュリアスは名を呼んだ。
「嘘よ・・・・・・会いたかったわ」
リルティがまるで恋で遊ぶ貴婦人達のようで、ジュリアスは普段と違ったリルティとの差にウロウロと走り回りたい気分になっていたが、長年鍛えたジュリアスの表情筋は無表情を貫いていた。
「指が痛いの――」
「怪我を――?」
ジュリアスの胸元に顔を埋めたまま、リルティは思い出したように痛みを訴える。
ジュリアスが指を確かめると、少しだけ血が赤い珠を作っていた。
思わず、それを舐めとると、顔を上げないままのリルティが固まったのがわかった。指に棘がささっていないか確かめるためだと、ジュリアスは自分自信に言い訳をした。
「大丈夫、棘は刺さっていない」
慰めるようにジュリアスは、リルティの柔らかな髪をそっと撫でた。
「好き――」
リルティの短い言葉の意味が、ジュリアスの耳から入って頭で理解するまでに一瞬以上の時が必要だった。
「え――」
ジュリアスは自分の願望が空耳を発生させたのかと、本気で思った。リルティの指がジュリアスの胸元の服をギュッと握らなければ、しばらく動けなかっただろう。
「ジュリアス様は、指を舐めたりする変態だけど・・・・・・好きなの――」
信じられない言葉に一瞬、『まさか、さっきのように嘘だとかいうんじゃないだろうな』と疑心暗鬼になりながら、次の言葉を待ったが、リルティの口から否定の言葉は出てこなかった。
リルティの耳がリンゴかサクランボのように真っ赤になっていて、ジュリアスはハッと気が付いた。すっかり動揺してしまいながらも、ジュリアスはリルティの言葉を拾った。
「リル、変態って言ったら――」
リルティの首筋を撫で、顔を上げるように手を添えると、ジュリアスが想像していたよりもリルティは悲壮な顔をしていた。
「・・・・・・リル、何があったか聞いていいか――?」
喜び勇んで口付けをと言いたいところだが、リルティの様子はそんな甘いものではなかった。
まるで人質をとられて、ジュリアスに口付けを強要されているような錯覚に陥るくらいの緊張感でリルティの眉間には皺が寄っている。
「どうして?」
リルティは自分の表情に気付いていないのか、ジュリアスに疑問を投げつけてくる。
どうして? それはジュリアスが言いたい台詞だった。
何故、そんな悲し気な顔をして『好き』と呟くのか、まるで口付けを強請るように変態という言葉を口にするのか。
リルティに何があったのか知ることが、ジュリアスにとっての最優先事項であった。
肩を押し、距離をとるとリルティの前に膝を折る。第二王子であるジュリアスが、膝を折るのは父と兄にだけ――。しかも折ったことがあるのは、騎士として叙勲された成人の時のみである。
「ジュリアス様――?」
涙も止まるくらいにリルティは驚いていた。
「リルティ・マーリル・レイスウィード――。貴方にお願いがある」
リルティの名前を呼んだジュリアスの顔は、見たこともないくらい真面目なものだった。自分より低い位置にジュリアスの顔があるが、それも普段ではありえないことだ。
リルティは逃げ出したいくらいドキドキと鳴る鼓動を抑えて、「はい――」と何とか声に出すことができた。
活動報告にも書きましたが、リルティ視点で書きたかったなぁ。
でも何回書き直しても、戻らなかったんですよ(笑)。変態はキーワードのように使っているつもりなのですが、あそこで『変態』と言うリルティの心の揺れを感じてくださいませ(まかせた!)。